邪馬台国は大和のくに [地域]
1投稿者:777  投稿日:2009年05月31日(日) 22時26分29秒

■奈良・箸墓古墳築造、卑弥呼の死亡時期と合致 歴博測定

 古墳時代の始まりとされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)が築造されたのは240〜260年という研究を国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)がまとめた。
放射性炭素年代測定によるもので、250年ごろとされる卑弥呼の死亡時期と重なる。畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石を投じることになりそうだ。

 「魏志倭人伝」など中国の史書によると、卑弥呼は2世紀末〜3世紀初め、それまで戦乱を繰り返していた倭国(わこく)(現在の日本)の国々が共通の女王として擁立。
邪馬台国に都を構え、239年には中国・魏王朝に使者を送って皇帝から「銅鏡百枚」など多くの品々を贈られたとされる。

 全長280メートルの前方後円墳である箸墓は、最大でも110メートルだったそれ以前の墳丘墓とは規模が大きく違う。強大な政治権力が誕生したことを物語り、時代の画期を示すものと考えられている。
魏志倭人伝にある卑弥呼の墓と、箸墓の後円部の大きさが近いことなどから、古くから箸墓を卑弥呼の墓とする考えがあった。

 考古学では、少し前までは4世紀の築造と考えるのが主流だった。宮内庁指定の陵墓で本体の調査はできない。
周囲で出土した土器や他の古墳で見つかった鏡などを手がかりに研究が進み、3世紀後半と見る研究者が増え、卑弥呼との関連が注目されるようになっていた。

 歴博は全国の5千点を超す土器の付着物や年輪の年代を測定。その結果、箸墓の堀や堤からも出土し、箸墓が築造された時期の土器と考えられている「布留(ふる)0式」が使われた期間を240〜260年に絞り込んだ。

 31日にハワイで始まる放射性炭素国際会議と、同日に早稲田大である日本考古学協会の研究発表会で報告される。

 歴博研究グループ代表の西本豊弘教授(考古学)は
 「慎重に進めた5年間の研究の総まとめで結果には自信を持っている。どのようにしてこの年代を求めたのか、だれでも検証できるように測定データも含めてきちんと公表するようにしたい」
と話している。(渡辺延志)

朝日新聞2009年5月29日
2投稿者:777  投稿日:2009年05月31日(日) 22時29分06秒

■邪馬台国 ナゾ解き続く 化学分析、畿内説に"軍配" 箸墓古墳

 「昼は人が造り、夜は神が造った」と日本書紀に記された箸墓古墳(奈良県桜井市)。邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説もあり、大和か九州かで揺れる邪馬台国の所在地論争もからんで、被葬者は古代史最大の謎ともされる。

その築造年代を「放射性炭素年代測定」は西暦240〜260年とはじき出した。これは、中国の歴史書に記された卑弥呼の没年とほぼ合致。科学分析は邪馬台国畿内説に“軍配”をあげた形になった。
しかし、測定法の精度を疑問視する見方もあり“謎解き”はまだ続きそうだ。

 「卑弥呼が魏に朝貢(239年)。2代目女王・壱与(いよ)朝貢(266年ごろ)」。中国の歴史書「魏志倭人伝」は、3世紀の日本について年代順に細かく記述している。

 年代測定を行った国立歴史民俗博物館の研究チームは、箸墓古墳や他の遺跡出土の土器など数千点の放射性炭素年代を調査。
箸墓古墳の周(しゅうごう)から見つかった「布留0(ふるゼロ)式」とよばれる土器は、西暦200〜300年代の測定結果が出されたが、
これより少し新しいとされる形式の土器「布留1式」では270年ごろと割り出したことなどから、「布留0式」を240〜260年に絞り込むことができたという。

 研究チームの小林謙一・中央大学准教授は「かなり精度の高いデータが得られた」と強調する。

 一方で、考古学者を中心に慎重な見方が多いのも事実だ。
かつて箸墓古墳を発掘した奈良県立橿原考古学研究所の寺沢薫・総務企画部長は
 「研究途上の炭素年代測定によって、10年単位まで絞り込むことができるのか疑問がある。これで箸墓古墳の築造時期が決まったとはとても思えない」
と指摘する。

 箸墓古墳を270年ごろの築造とみる兵庫県立考古博物館の石野博信・館長も
 「科学的な炭素年代を頼りにしたいが、まだまだデータが不足している」
と慎重な立場だ。被葬者像については
 「箸墓のような巨大古墳は、戦乱をおさめ、卑弥呼の後に女王になったとされる臺与(とよ)(=壱与)こそふさわしい」
と話した。

産経新聞 別報(関西版)2009年5月29日
3投稿者:777  投稿日:2009年06月01日(月) 01時40分41秒

■箸墓古墳:歴博が「卑弥呼の墓」説 築造時期などから

  ──考古学協会理事、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請──

  ──データの信頼度など会場から質問続出──


 国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)の研究グループは31日、古墳時代の始まりを示す箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)は240〜260年に築造されたと、東京・早稲田大であった日本考古学協会の研究発表会で報告した。
247年ごろとされる邪馬台国の女王・卑弥呼の死亡時期と重なるため、邪馬台国所在地論争の点で注目される。しかし、この測定結果によって箸墓を卑弥呼の墓とするには問題が残り、数値が独り歩きすることへの懸念がある。

 発表後、司会者の同協会理事が「(発表内容が)協会の共通認識になっているわけではありません」と、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請を行った。

 歴博グループは、放射線炭素年代法によって全国で出土する土器に付着した炭化物を中心に年代を測定。
箸墓でも、築造時の土器とされる「布留(ふる)0式」など16点を測り、この前後につくられた他の墳墓や遺跡の出土品の測定結果も総合して240〜260年を導いた。

 発表者の春成秀爾(ひでじ)・歴博名誉教授は
 「この時代、他に有力者はおらず、卑弥呼の墓が確定的になった」
と述べた。

 しかし、土器付着炭化物は同じ地点から出た他の資料に比べ、古い年代が出る傾向がある。

 中国の史書「魏志倭人伝」では、卑弥呼の墓は円形とあって前方後円墳の箸墓とは異なるなど、文献上からも問題があり、会場からはデータの信頼度などに関し、質問が続出した。【伊藤和史】

毎日新聞 2009年5月31日
4投稿者:777  投稿日:2009年06月20日(土) 23時59分56秒

99 :出土地不明:2009/03/31(火) 22:52:34 ID:EIv1QfQZ

鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85


112 :出土地不明:2009/06/18(木) 23:22:16 ID:H5jIqf+0
>>99
中国少数民族には、太陽は鳥が引っ張ってくると言ういい伝えがある。

だから、太陽を引っ張ってもらう鳥に止まってもらうために鳥居がある。

鳥が太陽を引っぱってくれないと朝があけない。

実際に、鳥の模型を止まらせた鳥居もある。

少数民族の鳥居には、鳥の模型を止まらせたものもある。



113 :出土地不明:2009/06/19(金) 01:43:48 ID:9/5gRbpN
太陽の船には鳥がとまってるよ
5投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 16時52分34秒

542 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 10:56:18

女王卑弥呼の墓という説がある箸墓古墳(奈良県桜井市)と同時期とされる濃尾平野の遺跡群(愛知県)の
土器を放射性炭素(C14)年代測定で調べたところ、卑弥呼が没したといわれる西暦250年前後と重なった、
と12日、名古屋大と愛知県埋蔵文化財センターの研究グループが発表した。濃尾平野は邪馬台国と対立した
「狗奴(くな)国」の有力候補地。同センターは「『魏志倭人伝』に記された狗奴国の実態を知る手がかりになる」としている。

 同日、名古屋大であった日本文化財科学会大会で報告された。同大学グループは03年から愛知県で出土した
弥生〜古墳時代の土器80点以上をC14年代測定で調査。これまでは欧米の年輪年代を元にした国際標準の補正データを使ってきたが、
1〜3世紀の土器の年代が考古学者の見解より最大100年古くなり、測定結果が疑問視されていた。

今回、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)が作成した日本独自の補正データを用いた結果、3世紀中ごろから4世紀前半と判定された。

 同博物館による補正データは箸墓古墳周辺の土器にも応用され、同古墳の年代が卑弥呼の没年ごろと重なるとの結果が出ている。
濃尾平野には箸墓古墳と同時期に大型の前方後方墳が相次いで築造され、邪馬台国に対抗する勢力が形成されたとみられる。(今井邦彦)
6投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 21時54分31秒

【考古】南九州に国内最古級の前方後円墳 宮崎大など発掘調査

1 : ◆KzI.AmWAVE @Hφ=Eφ ★:2005/05/19(木) 00:49:58 ID:??? ?

 九州最大の古墳群で、特別史跡の「西都原(さいとばる)古墳群」(宮崎県西都市)から、
国内最古級とみられる前方後円墳が確認された。宮崎大学などの発掘調査でわかった。
出土した土器から、築造は3世紀中ごろと考えられ、南九州では最古。大和政権があった
畿内でも、このころ古墳が造られ始めており、本土の南端でも同じ動きがあったことになる。
これまで、大和政権が主導したとされてきた古墳文化成立に、再考を迫ることになりそうだ。

 確認されたのは西都原81号墳。長さ52メートルで、卵形の後円部と短いバチ状の前方部
を持つ「纒向(まきむく)型前方後円墳」と呼ばれるタイプだ。本格的な巨大古墳の登場に先
立つもので、3世紀中ごろまでに造られたとされる奈良県桜井市の纒向石塚などと同じ形。
後円部からは、弥生時代と古墳時代の過渡期にあたる土器が出土した。このため、4世紀
とされてきた西都原古墳群の築造開始も、半世紀前後さかのぼることになる。

 纒向型は全国で30例を超えるともいわれるが、南九州での発掘は初めて。南九州は
「地下式横穴」など独自の埋葬文化を持ち、のちに「隼人(はやと)」と呼ばれる人々が中央
政府に反乱を起こすなど、長く中央とは一線を画してきた土地柄だ。

 近年、大和政権は全国の有力豪族の連合体だったとの見方もあり、発掘責任者の柳沢
一男・宮崎大教授(考古学)は「南九州の勢力も、古墳文化の成立に参画していた可能性を
考えなくてはならなくなったのではないか」と話している。

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