ハイルヒットラー! [本/雑誌]
1投稿者:777  投稿日:2009年07月04日(土) 19時29分01秒

@『「ヒトラーの経済政策」副題:世界恐慌からの奇跡的な復興 武田知弘 著(祥伝社)』を読む。その1 2009/6/28(日) 午後 10:36 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/28276079.html

ハイルヒットラー!戦前ドイツの人々は何故あれほどまでにヒットラーに熱狂したのか?戦後教育を受けた私にとって記録映画で、ヒットラーに熱狂する市民の姿は謎であり、ドイツ国民は騙されていたのか?

私は本書を読み、また一つ目から鱗が落ちました。熱狂する市民の姿は強制されたり騙されたりしてヒットラーに熱狂していたのではなく、また、憎きユダヤ人を人種差別することに陶酔しれているだけではなく、純粋に荒廃した祖国ドイツ経済を立て直し、民政に尽力した偉大な政治家として、心からヒットラーを賛美していたものでした。

アドルフ・ヒットラーといえば、第二次世界大戦を引き起こした張本人であり、20世紀最大の犯罪者、スターリン、毛沢東、とともに悪の代名詞の筆頭である。(これに原爆投下のGoサインを出したトルーマンを加えたい。)

武田氏も私(Ddog)も、ナチスによる残虐行為やユダヤ人虐殺を擁護するつもりはないが、後世全否定されたヒットラーは、何故ドイツ国民を熱狂させ、圧倒的な支持を受けたか、冷静に見つめてみたいと思います。ナチスドイツが疲弊しきった経済を奇跡的に復興させたこの事実は、今日の金融危機を今後どうすべきかのヒント処方箋が数多く見つけることができます。本書は、戦前のドイツ経済の復興を成し遂げたヒットラーと天才シャハトの功績を本当によく纏めた本だと思います。是非是非読んでください。

序章:ケインズも絶賛したヒットラーの経済政策とは
よく、「ナチスがケインズ理論を実践していた」と言われるが、私も誤解していたが、この表現は正しくはない。「ケインズもナチス・ドイツが行っていた経済手法と同じ考えを持っていた」が正解に近い。もしかしたら、「ケインズがナチスの経済政策からインスピレーションを貰った」とした方が正しいのかもしれません。
ケインズの理論を世に広めた「雇用利子及び貨幣の一般理論」は1935年に発表されたが、ナチスは政権が発足した1933年にアウトバーンなどの公共事業を積極的に展開し失業者を激減させている。

第二次世界大戦緒戦で欧州をほぼ席捲したナチスドイツフンク経済相は、1940年7月25日「欧州新経済秩序」を発表、ヨーロッパ共通通貨をマルクとして、通貨圏内は人や物資本や労働も自由に動き間割れる計画を発表した。
これは今日のユーロ通貨とほぼ同じである。
この計画を聞いたイギリス政府は当代随一の経済学者ケインズに非難論文を発表してくれと頼んだところ、思惑とは違い逆にケインズはこの計画を賞賛した。

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「第一次世界大戦後、為替面における自由放任主義は混乱を招いた。関税はここから逃れる手段とはならなかった。しかしドイツでは、シャハトとフンクが必要に迫られて、より優れたものを作り出した。彼らは近隣諸国の犠牲の上にこの新しい制度を利用した。しかし、その基礎になっている考え方は、実際のところは健全かつ有用である」byケインズ
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第一次世界大戦後歴史的なハイパーインフレに襲われ、経済が立ち直りかけたところで世界恐慌に襲われたドイツは、金本位制の欠陥を早くから見抜き、金本位制に代わるシステムを模索していた。
P18〜19
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これまでナチスは、当時の常識では考えられないような経済政策をいくつも打ち出してきた。
金の保有量がほとんどないのに、大量の公債を発行してアウトバーンのような大事業を行なったり、外貨を用いずに物々交換で貿易をしたり、労働組合をすべて解散させ、労使を合体させた一元的な組織を作ったり、等々である。

これを見て、諸外国の学者やマスコミはこぞって「ナチス・ドイツはすぐにダメになる」と論じてきた。親独的だった日本でさえ、ナチスの前半期は「ドイツの飢餓輸出」1934年4月11日時事新報)、「ドイツ独裁政策は完全に行き詰った」(1936年2月17日大阪毎日新聞)というように批判的なことばかりいっていた。

しかしそれに反して、ナチスはダメになるどころか見る間に景気が回復し、失業者を事実上ゼロにし、史上最大のオリンピックを行なうなど、先進諸国の中でもっとも活力のある国になっていった。

2投稿者:777  投稿日:2009年07月04日(土) 19時29分40秒

第1章600万人の失業問題を解消

アドルフヒットラーが政権の座に就いたのは1933年1月。その前年1932年国内第二位の銀行ダートナー銀行が破綻し、国民総生産は35%減少し、失業者は560万人(失業率30%)であった。3年後ドイツは失業者を160万人にまで減らし国民総生産は大恐慌前の1928年を15%も上回る急回復をした。
世界恐慌でダメージを受けた国では最も早く回復をした。
ヒトラーは、別に難しい経済理論を知っていたわけではない。「社会を安定させ、活気づかせるためにはどうしたらいいか」ということを、自分の経験と知識から導き出したのである。ヒットラーはこう国民に呼びかけた、「今から4年まって欲しい、4年で失業問題を解決し、ドイツ経済を立て直す」
ナチス結党以来「底辺の人の生活を安定させる」のが結党以来の一貫したテーマであった。
P27
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ドイツを蘇らせた「第一次4ヵ年計画」
ヒトラーは政権を取った2日後の1933年2月-日、新しい経済計画(第一次4ヵ年計画)を発表する。
連立政権でまだ政権基盤も安定していなかったが、とにかくこれから「ドイツは変わる」
という印象を国民に与えたかったのだろう。大急ぎで計両が策定され、発表されたのだ。
つまりヒトラー政権にとって、最大の懸案事項は経済政策だったのである。
この「第一次4力年計画」は、
・公共事業によって失業問題を解消
・価格統制をしてインフレを抑制
・疲弊した農民、中小の手工業者を救済
・ユダヤ人や戦争利得者の利益を国民に分配
・ドイツの経済界を再編成
というのが主な内容だった。
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ヒットラーが政権を奪取してすぐ莫大な予算をかけ再軍備に狂奔したというのは戦後作られた作為的イメージである。実際は1942年まではイギリスよりも軍事費の国民総生産における比率はイギリスを下回っていた。
ヒットラーはアウトバーンの公共事業や国民の福祉増進に予算を割き、一心不乱に失業対策を行った。その結果合法的に権威を獲得したものだった。

アウトバーン建設を開始したのは1932年ブリュニンク内閣であるが、微々たる予算ですべての公共事業が3億2000マルクだったのに対し、ヒットラーは初年度20億マルクの思い切った予算を計上した。
アウトバーン、都市再開発、再軍備で、失業率は一気に低下した。

ヒットラーは資金捻出の為既に世界的有名なシャハト博士をドイツ帝国銀行総裁、経済大臣の要職に就かせた。

シャハト博士は第一次世界大戦後のハイパーインフレを収束させた既に伝説になった当代一流の専門家である。

シャハト博士はドイツ帝国銀行総裁に任命されると、ドイツ経済を検証し、どの程度なら国債を発行してもインフレが起きないか計算し、16億マルクと計算し、公共事業費未消化分6億マルクとあわせ、22億マルクを作り、結果このお金がドイツ経済を救ったことになった。

公共事業を行って景気を刺激することは、バブル崩壊後の日本やニューディール政策で行われたが、ナチスが行った公共事業ほど目覚しい効果が上がらなかった。

3投稿者:777  投稿日:2009年07月04日(土) 19時30分17秒

ナチスの公共事業が大成功したポイント3点

'''1)支出の多くが労働者賃金に振り向けられた。'''

アウトバーン建設費のうち46%が労働者賃金に充てられ失業対策として無駄は無かった。
経済学でいう
「[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%97%E6%95%B0%E5%8A%B9%E6%9E%9C/ 乗数効果 ]」が最大限得られた。
公共事業で買収する土地はその計画が決定した時の値段を基準にされ、日本のように不動産業者一儲けさせるような事はさせなかった。ナチスが作った労働戦線という組合が企業を監視し、賃金のピンはねを許さなかった。
日本での高速道路の資金はゼネコンや地元企業、地主に払われ労働者に払われる賃金は微々たるものです。日本の場合投資した資金は地主やゼネコンに蓄積されやすく、乗数効果を得にくい。

'''2)適切な事業内容を選んで公共事業を行った'''

普及しだした自動車産業を発展させるのに適した公共投資であった。必要なものを必要な時に作った。
日本の場合、同じ道路でも既に交通網は整備されことさら必要ではない道路の建設が多い。

'''3)一定の時期に集中的に行われた'''

1933年に莫大な予算を集中して投資した。その結果ドイツ経済自体の潜在能力を素早く引き出すことに成功した。公共投資を始めて2.3年後建設業以外の産業が活気づいた。
日本の場合は、500兆円もの大金を10年間に渡り分散投資したため建設業界が公共投資頼りの体質となってしまい、他の産業が活気付かなかった。

ナチス・ドイツの経済政策には感心させられる。

'''国民に暗示をかけて不況脱出'''
かのゲッペルスを宣伝大臣に据え宣伝省を作った。
「国民を洗脳支配した」と批判の対象となったのだが、ナチスは自分達がやろうとしていることを国民に理解してもらう為、そして景気は人々の心理で決まる側面を持つことを理解していた。
P45
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ナチスは、新しい主要な法律などを作ったときには、すぐにその夜ラジオでヒトラーやナチスの首脳が、その法律の趣旨などの説明をする。また街中のいたるところにポスターがあり、政策に関するメッセージを発している。その情報を受けて、国民は納得したのだ。ただやみくもに統制ばかりをされれば反発も起きるが、その理由をきちんと説明されているので、反発は起きにくかったのだろう。
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'''中高年を優先的に雇用する'''p45
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ナチスの雇用政策で興味深いのは、妻や子供がいる中高年の雇用を優先していることである。
一家の大黒柱を雇用すれば、取りあえずその一家は飢えずにすむ。それは社会心理の上でも安定につながる。
しかし雇用を市場に任せていれば、中高年の雇用はあまり守られない。同じ能力ならば、企業は若い人を雇いたがるからだ。
なので、ナチスは、その部分にテコ入れをしたわけである。
工場で欠員が出た場合は、中高年労働者を優先的に採用するように決められた。これは道徳的順守義務となっていたが、もし雇い主がそれを守らない場合は、国家による強制もあった。

4投稿者:777  投稿日:2009年07月04日(土) 19時30分48秒

'''ナチス式大規模店舗法'''p47

ナチスは中小企業や小規模農家を救うのもテーマの一つであった。

大規模商業施設が出来はじめのころで、ナチスは中小小売店を救うべく、新たに小売店を開く時は許可制として、地域の店舗数人口を考慮し許可の発行不発行を行い統制した。


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A『「ヒトラーの経済政策」副題:世界恐慌からの奇跡的な復興 武田知弘 著(祥伝社)』を読む。その2 2009/6/30(火) 午前 1:03 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/28310398.html

引き続き、ヒトラーがいかなる経済政策をおこなったか本書より引用していきます。
政権を奪取したナチスおよびヒトラーは実に巧みな経済政策を行った。善政と言って過言ではない、「痒い所に手が届く」とはヒトラーの経済政策のことをいうのかもしれません。

 私(Ddog)は基本的に小さな政府で市場原理に任せるべきであるという反ケインジアン派である。その信念の基となっているのが、「政府は政策を常に誤る」「官僚は責任を負わない」「一人の優秀な官僚の頭脳より、多数の平凡な経済人の頭脳が出した答えの平均の方が正しい」というのがその反ケインジアンを標榜する私の基本的な考え方であるが、ナチスの行った経済政策はその信念が揺るがされてしまう。

'''中小企業貸し渋り対策'''p49

1934年信用保証制度の設置 3月ベルリン保証協会設立。
協会が保証人となって中小企業へ資金融資し易くした。融資額1口5000マルク利子5.5%1事業者2口まで。資金用とは運転資金に限定、固定資産購入借金返済には使えない。最長2年であった。つなぎ融資さえ安定すれば金融不安の解消に効果覿面であった。ベルリン保証協会の他に合わせて4協会設立された。

'''価格統制'''p52

一見ナチス政権の負の面のようなイメージがするが、第一次世界大戦後、極端なインフレとデフレを繰り返したドイツ経済を安定させるには有効な対策であった。
P52
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ヒトラーは政権を取るとすぐに穀物価格安定法という法律を作って、穀物の価格を固定した。これは農産物の暴落を防ぐための処置である。
もちろん、まったく固定してしまうと、農家の向上意欲も損なうし、消費者側からの反発もあるので、市民の所得レベルを見ながら目取低価格を設定するという方法が採られた。その価格以上であれば、売買していいという設定である。
また1934年秋には価格管理官という官僚が作られ(以前にもあったものを復活させた)、原料や重要食料品の術格を統制した。
1935年4月には、食料品などに関する不正な値上げを防止する法律が施行されている。
これは肉や穀類の販売値段は、仲買人の手数料から小売商人の利益にいたるまで、法律によって決められるというものである。
もし法定価格以上の値段で販売していた場合、当該官庁にその旨を届け出ると、販売したほうはすぐに営業停止を命じられ、超過した金額は払い戻されることになっていた。
ナチスの物価統制は迅速だった。

5投稿者:777  投稿日:2009年07月04日(土) 19時31分40秒

'''農家の借金を凍結する。'''p53

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当然、ナチスは農家に手厚い保護をした。
(略)
そのためナチスは、世襲農場法という法律を作った。
世襲農場法は、一定の条件を満たす農家は、農地を借金のカタに取られないようになり、大きな借金を背負っている場合は、返済できる金額まで引き下げられるという法律だった。
一定の条件というのは、
.7.5ヘクタール以上125ヘクタール以内の農地を経営していること
・正統なドイツ人であること
・男子-人に農場を継がせること
などである。
125ヘクタール以内という条件は、ちょっと不思議に思われるかもしれない。ユンカーと呼ばれる貴族的な農場主に対しては、この法律の恩恵を受けさせないようにしたのだ。ナチスは、弱小農民の味方というわけである。

これらの条件を満たせば、ドイツの正統な「農民」と認められ、惜金があったとしても、農地や農機具を取られることはない。

債務を抱えている農家は、新しく作られた「債務償却銀行」に、毎年支払い可能な額を払い込めば、これまでの惜金はそれですべてOKということになった。債務は、「債務償却銀行」が立て替え払いしてくれるというわけだ。

この法律の適用を受けた農民は、その引き換えとして、今後土地の売買はできなくなるし、ドイツの名誉ある農民として、農作物の調整などに進んで協力しなければならなかった。1938年の時点で、この法律の適用を受けた「世襲農場主」の農地は、ドイツの全農地の38%に及んだ。

また、ナチスは半年間・都会の青年有志を農業支援に赴かせた。最近、日本でも都会人がボランティァを兼ねた農業体験をする「援農」がときどき行なわれているが、それを大がかりにしたものだといえる。
1933年から1935年の2年間で、平均10万人の青年が農村に行っている。農家は、宿泊場所と食事だけを提供し、青年たちには職業紹介失業保険局から若干の給料が支払われる。
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中高年を優先に雇った為青少年の失業対策兼非行防止策である。
日本の農業政策、中小企業対策もナチスを見習うべきである。

http://www.asyura2.com/09/hasan63/msg/412.html
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