溝口健二は本当に世紀の名匠か? [映画]
1投稿者:777  投稿日:2009年03月20日(金) 03時16分49秒

雨月物語

●1953年/日本/大映
●監督● 溝口健二
●脚本● 川口松太郎、依田義賢
●原作● 上田秋成
●音楽● 早坂文雄
●撮影● 宮川一夫

京マチ子(若狭)、森雅之(源十郎)、田中絹代(宮木)、水戸光子(阿浜)、小沢栄(藤兵衛)、毛利菊枝(右近)
http://www.amazon.co.jp/%E9%9B%A8%E6%9C%88%E7%89%A9%E8%AA%9E-DVD-%E6%BA%9D%E5%8F%A3%E5%81%A5%E4%BA%8C/dp/B000VRRD34
2投稿者:777  投稿日:2009年03月20日(金) 03時24分35秒

雨月物語

http://www.youtube.com/watch?v=GbZff17UCg8&feature=PlayList&p=4301D7B1533D2C23&index=0
http://www.youtube.com/watch?v=ncCTAuh_voU&feature=PlayList&p=4301D7B1533D2C23&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=nXzb8tLaNgM&feature=PlayList&p=4301D7B1533D2C23&index=2

http://www.youtube.com/watch?v=L8wgawni0mc&feature=PlayList&p=4301D7B1533D2C23&playnext=1&playnext_from=PL&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=Q_49cz25NoY&feature=PlayList&p=4301D7B1533D2C23&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=97mznXilLHg&feature=PlayList&p=4301D7B1533D2C23&index=5

http://www.youtube.com/watch?v=7QP2X7Ozntk&feature=PlayList&p=4301D7B1533D2C23&index=6
http://www.youtube.com/watch?v=7NArhv9vHV8&feature=PlayList&p=4301D7B1533D2C23&index=7
http://www.youtube.com/watch?v=-f0G6bSF_bE&feature=PlayList&p=4301D7B1533D2C23&index=8

3投稿者:777  投稿日:2009年03月20日(金) 03時25分55秒

'08年2月25日は、日本映画を代表する名キャメラマン宮川一夫の生誕100周年記念日。

歴史に残るそうそうたる名作群を支えた映像の名手だが、最大の代表作といえば

溝口健二監督の 『雨月物語』 ('53大映)に尽きる。

怪奇幻想物語の古典を題材にしたモノクロの映像美は、日本映画のひとつの頂点だ。


戦国の世、それぞれの欲望に翻弄される2組の夫婦の物語…。


とくに主人公(森雅之)が謎の美女(京マチ子)に溺れていく「朽木屋敷」の場は、

どこをとっても幻想美の極み。

ひと部屋ひと部屋 灯かりがくべられていく奥行きのある照明の演出、

どこかモダンな市松模様のふすまや、錦糸の1本1本まで映えようかという きらびやかな衣装、

そしてそして、ふたりが戯れる外庭の超俗とした空気感! (写真)


それは「伝統的な和」の美というより、国内外の最新技術を貪欲に取り入れた映画職人たちの

ほとばしる才気のフィルターを通した「進化する和」の美。

(日本的というなら、もっと俗気たっぷりのチャンバラ劇や人情現代劇のほうがふさわしい)

照明 岡本健一、美術 伊藤熹朔、衣装 甲斐庄楠音、そして撮影 宮川一夫…、

鬼才・名匠たちによる「ほんもの」の技だ。

4投稿者:777  投稿日:2009年03月20日(金) 03時27分13秒

もうひとつの名場面「霧の琵琶湖」での、深い霧の中から小舟が浮き上がるように現れる瞬間は、

えもいわれぬ幽玄の魔術に言葉を失ってしまう。

http://blogs.yahoo.co.jp/nacchann0904/53751468.html
5投稿者:777  投稿日:2009年03月20日(金) 03時29分16秒

『雨月物語』(1953) 
光と影の織り成す死の物語。溝口健二監督の代表作

黒澤監督が『羅生門』によってベネチア映画祭の金獅子賞を取った翌年に、同じ大映から製作された溝口健二監督の3年連続ベネチア映画祭受賞作品となったうちの一本です(1952年の『西鶴一代女』の監督賞、1953年の『雨月物語』、1954年の『山椒大夫』での銀獅子賞)。

 次の『近松物語』も素晴らしい出来栄えですが、出品した時に当時の大映の社長の永田雅一がフランス語をバカにする発言をヨーロッパでしてしまうという失態のために4年連続はありませんでした。

 それはさておき、この作品は『羅生門』との類似性がとても多く見られる作品でもあります。製作責任は永田氏、会社は大映、音楽は早坂文雄さん、撮影は宮川一夫さん、出演は京マチコさん、森雅之さんなどなど。設定を少し変えれば続編としても繋がるのではないかと思うほどです。

 内容はいわゆる怪談物であるためにとても暗く、陰惨としていて身の毛がよだつような描写も多々あるのですが、嫌味が無く大変美しい作品に仕上がっているのです。恐い話なのです。寒くなる話なのです。

 でも圧倒的な美しさが我々見るものを包み込んでくれます。ここでいう美しさとは単純なそれではなく、「構図」と「撮影技術」の卓越からくる美しさです。それは照明であり、音楽であり、演技であり、映画の要素が一体となって生み出すアンサンブルの美しさです。

 真剣に良いもの、より良いもの、そして最高のものを作ろう、世に出そうとする意気込みの素晴らしさ。


6投稿者:777  投稿日:2009年03月20日(金) 03時29分40秒

特に素晴らしいシーンをいくつか。先ずは舞台となる長浜の武家屋敷でのワン・シーン。夜が近づき、屋敷の侍女たちが通路や部屋に明かりを灯していくところ。ホラー映画が陳腐に感じる恐ろしさと妖艶さが一体となっている素晴らしいシーンです。

 画面から「死」の匂いが漂います。ここでの宮川カメラマンは一世一代のカメラを見せてくれています。この作品の7割以上のシーンはクレーン撮影などに代表される移動撮影で撮られています。

 宮川さんと溝口監督の狙いは怪談物なので、この世のものとは思えない不安感を出したいというものだったようですが、見事にそれ以上の不安感と病的な躍動感を生み出しています。撮影の凄みを味わえる貴重な作品です。

 ワン・カット、ワン・カットで一時停止をして「写真」の美しさ、それも構図と色調の美しさを堪能して欲しい。止まった「写真」からでも溝口監督の撮りたかった人間の持つどうしようもない「情念」や「貪欲」、そして「業の深さ」が伝わってきます。

 もうひとつの素晴らしいシーンは屋敷での宴会シーンです。京マチコさんが舞うシーンでは彼女自身の美しさはもとより、音楽が映像を盛りたてていて、映画の基本の「音」、「映像」、「物語」のうちの「音」と「映像」の融合の妙を聴く事ができます。

 最初は美しく妖艶な雅楽の調べだったものが、地響きを思わせる亡き父の地獄からの呼び声に代わる時、緊張感が最高になり、しばらくドキドキしました。早坂さんは黒澤監督作品だけでなく、溝口監督作品でも引っ張り蛸で両巨匠に才能を搾り取られたためか、早世されました。
7投稿者:777  投稿日:2009年03月20日(金) 03時31分08秒

ここでの地獄の歌はこの作品の中の恐ろしいシーンのなかでも一二を争う恐さです。音が映画に占める影響の大きさを感じられます。

 色調の美しさならば、森さんと京さんが裸で湯浴みするシーンの妖しい美しさ。むせ返るような女のにおいが画面から伝わります。エロティシズムとはこういうことです。

 溝口監督の偉大さを日本人全てに味わってほしい。彼の作品はスペクタクルです。一大絵巻なのです。監督本人も映画は最初から最後まで見たときに一巻の「絵巻物」でなければならないと宮川さんに口酸っぱく言われていたそうです。

 味わってはじめて良さが分かるもの、それが溝口作品です。人物を突き放し、冷淡に薄情に、救われることの一切無い厳しい作品を作る溝口監督。しかし根底には人間への悲しみと愛おしさが確かにあります。

 前述した50年代の3本とこの作品、それに『祇園囃子』、『お遊さま』、『折鶴お千』などは見て欲しい作品群です。
http://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/200510/article_13.html
8投稿者:777  投稿日:2009年03月20日(金) 03時35分20秒

源十郎と若狭の出会いからお化けの正体となって消えるまでに、京マチ子のメイキャップは3度変わっています。

参考にしたのは、金剛流能面です。今手元に能面の写真集は持っていませんが、最初は孫次郎と呼ばれる少女の能面であったことを覚えています。

 B琵琶湖の芒ヶ原のロケーションの後、オープンセットに繋がるのですが、そのオープンセットは直接セットの入り口へ繋がっているのです。ロケーションの後、朽木屋敷に繋がるのですが、まずセットの前に庭の木戸の入口があってオープンセットの庭関係は直接朽木屋敷のセット内の玄関へと繋がっているのです。

 Cロケーションの配光からオープンセットのやや夕景のライテングそれからセットへ繋がる。そのライテングは非常に難しいものです。照明技師の岡本健一さんと撮影の宮川一夫さんだからこそリアルな映像として撮影出来たのでしょう。

D芒野ロケーションから朽木屋敷の裏木戸がバタン、バタンと揺れています。そのバタン、バタン屋は私が担当していました。

E塀に源十郎と若狭と老婆右近の3人の影が塀に流れてセット荒れ庭の入口に入ります。

Fキャメラ位置は必ず溝口先生が指定されました。その後、ちょっと俯瞰やローとかのキャメラ操作の変化は宮川さんまかせでした。全部宮川さんまかせというのは間違いです。確かに宮川さんの芝居のつかみ方が上手でありましたから、先生からの余計な注文は少なかったというのが真実です。撮影はキャメラマン任せで芝居をつけるだけなら映画監督は要らないでしょう。そんなのは芝居だけの演出なら舞台監督で結構です。映画監督は要りません。

G角川ヘラルド映画制作、「溝口健二没後50年特別ディスク時代を超える溝口健二」の中で田中徳三氏は「溝口監督はカメラを覗かず、芝居だけを見ていた。カメラは、宮川さん任せであった。」と述べていますがそれは間違いです。キャメラの真横についたファインダーの後にはどのスナップスチールを見ても溝口先生の目が光っている姿が映っているはずです。小津安二郎監督のようにカメラマンを押しのけて直接レンズを覗く監督ではなかったのです。カメラマンのように直接レンズから被写体を見ていないのですが、キャメラの横に付いているファインダーから同じ映像を見ておられるのです。

9投稿者:777  投稿日:2009年03月20日(金) 03時38分38秒

 セットの天井には、大型ライトを置く台とそれを運ぶ通路が走っています。それを“ガッショ”(どんな字を書くか解りません)と呼んでいました。祇園囃子の大ラストの撮影の頃溝口先生は“ガッショ”の上まで上られたのです。それは、カメラの位置を視る為です。“ガッショ”の上まであがられた監督を私は他に知りません。キャメラ位置を宮川さんまかせと言うのは間違いです。キャメラ操作は宮川さんの仕事です。
チーフ助監督には、スケジュール主体の制作部的助監督と現場主体の助監督の2種に分かれます。制作部主体も大切なのですが、田中徳三さんは制作部主体で現場へ出られる事は少なかったのでしょう。余談ですが、黒澤監督は、助監督時代制作スケジュールも現場関係も両方に素晴らしい方だったと監督新人協会(助監督の会)で聞きました。


12.<芒の庭の宴> スチール14

@寝室から岩風呂の終わり迄のシーンは観客の想像を期待してのカット割りになっています。直接的な表現を避けて観客の思考に委ねるのは自信と勇気と決断が要ります。観客の知性を信頼するからこそ出来るものです。

A岩風呂から芒が原の宴へのつなぎは、江戸中期の画家、尾形光琳の代表作「紅梅白梅図屏風」の感じです。この屏風は男女の睦み合った姿を秘めています。溝口監督より「その感じで撮って下さい。」と言われ私が美術全集を持って、宮川さんに届けました。紅梅白梅の絵を入れる


10投稿者:777  投稿日:2009年03月20日(金) 03時41分08秒

17.<さまよう想い> スチール 19

@源十郎の身体の魔除けの凡字は甲斐庄楠音先生が書かれました。「もう一つだねー」と言いながら甲斐庄先生は首をかしげられていました。私、宮嶋が「先生…キララは…キララはどうでしょう…」「アッ そうだ!」と甲斐荘先生が言われました。

   “きらら”というのは、浮世絵の大首やらフルサイズの人物の背景に振る雲母粒のことです。この凡字がキラキラと光って神秘的な感じを出しているのは浮世絵版画からの発想です。

A 源十郎が朽木屋敷の縁側から庭へ転げ落ちる場面は、3回テストが行われました。2度のテストで3回目にオッケイとなりました。キャメラ位置は俯瞰です。先生はキャメラの横におられます。私は丁度芝居をしている森さんに近い位置に身を隠していました。3回目の本番の時森さんは縁側から敷石に転げ落ちた時“ごつん”と大きな音がしました。本番が済みOKになると、すぐ森さんの処へ駆け寄りました。

    森さんの頭に手をあて「森さん大きな音がしたし頭にコブができていまっせ」といって擦りました。森さんは「一生懸命になっていると何も自分では感じなかった。この監督さんは大変な大物ですよ。八ちゃんがんばりな」と言ってくれました。

    雨月物語までに吉村公三郎監督の組みで森さんとは2度ばかり一緒の仕事にかかわりましたのでよく知っています。森さんに教わった重大な芝居の事があります。

   「普通映画ではロングとか寄りとかクローズアップとかサイズを変えて観客の思いを引っ張り回すけれども、舞台のように客観ポジションだけでも舞台役者は芝居によってアップの手元足元バストのサイズ目元まで芝居によって観客の視線と意識を集めることが出来る。」と教わりました。溝口先生のロング演出を思い浮かべて下さい。


18.源十郎の帰宅

@源十郎が腑抜けのようになって自宅へ帰って来て、宮木の雰囲気とその見えない影に呼ばれて、家を廻るのです。又入って来た時、食事と夕餉の明かりをつけて鍋をかけ、生活のよそおいを作る仕事は助監督の仕事です。

    小道具係は助監督や美術部からの注文で道具は調えますが、それを設定して動くのは助監督の仕事です。芝居に関係するものですから、よその部は関係しないのです。その設定は友枝金次郎と私宮嶋がしました。

    ここの場面について田中絹代さんが後日語っておられた事を聞いたことがあります。「OKが出て森さんがホッとして近くのスタッフよりタバコを貰って口につけました。溝口先生は『御苦労さまでした。』と大満足な様子で森さんのくわえタバコに自分のライターで火をつけられました。」と絹代さんの話。その時のたばこは私が森さんに差し上げたタバコです。
http://tsune.air-nifty.com/miyajima/2007/06/post_2613.html
11投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 14時37分33秒

外国では溝口作品中もっとも有名で、しばしば、世界映画史上のベストテンといった催しに入選している。“東洋の神秘”を代表する傑作、というわけである。一種の怪談であるが、たしかに、こういう高雅なロマンチシズムの香りをただよわせる怪奇映画は日本の特産と言っていいであろう。

京マチ子の若狭の情熱と、田中絹代の宮木のエレガントな気高さと、二人それぞれの美しい死霊の魅惑はたぐい稀なものである。前者は、朽木屋敷と呼ばれる幽霊屋敷全体のあやしい光線のなかで激しく輝き、後者は、簡素な田舎家の夜の灯の中の、ひっそりとした身のこなしで、見る者を不思議な静けさのなかに引き込んでゆく。伊藤熹朔の美術と早坂文雄の音楽はともに能から多くの要素を取り入れて巧みにこなしており、宮川一夫のカメラがまた神秘的である。日本的幽玄美ここにあり。


黒沢の『生きる』と共に国際的評価の最も高い日本映画の一本。上田秋成の古典怪奇小説集『雨月物語』とモーパッサンの『勲章』をヒントに川口松太郎が翻案したストーリーを基に、溝口健二は日本的情趣に溢れた幽玄の世界を創造した。

そして宮川一夫のカメラワークが素晴らしい。琵琶湖を血だらけの船頭を乗せた小舟が漂っている場面や、死霊若狭の朽木屋敷のシーンでは、深い霧が絶大な効果を上げている。能の動きや表情を取り入れた京マチ子の演技も印象的である。
http://nihon.eigajiten.com/ugetu.htm
12投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 20時46分59秒

日本の一流の古典作品と幽霊は切っても切り離せない深い関係を結んでおり、源氏物語から能、雨月物語に至るまで亡霊は無くてはならない重要なモチーフだからです。これはもう伝統だと言い切るべきで、日本の芸術に亡霊は欠かせない。こうやって開き直ると、日本の夏の「怪談話」という習慣も宗教行事に見えてくるから不思議なものです。まぁこの習慣が「お盆」と関係ないわけがありませんから、実際に宗教行事なのでしょう。

 しかし私が注目するのは、日本の夏が梅雨に始まり、「お盆」という祖霊が現世に戻る時期を頂点している点です。これは「雨月物語」と完全に一致する構成であり、雨=水が異界と現世の橋渡しをする構造を示します。水と異界との関係は非常に緊密なものがあるようです.
13投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 20時47分43秒

かつて宗教は現世と異界を統合していたのであり、その意味では神を否定する仏教といえども例外ではありません。とりわけ密教系の宗派では異形の怪物が仏法の守護として活躍しますし、チベット曼荼羅に描かれている仏神達は正確には「仏」ではないのかもしれません。むしろ「自然神」とでも形容すべき何かのように思われます。そして「自然」こそ、あまりにも使い古され汚れきった言葉ではありますが、東洋における「自然」とは一種の怪物、聖なる怪物だったと思われるのです。そして我々は「極楽」というイデオロギーで構築された彼岸よりもこの怪物を愛し続けてきたのだと思われてなりません。少なくとも芸術の中では、イデオロギーはこの怪物を駆逐できなかったようです。

 古代信仰で「自然」はモノ、すなわちモノノケであったり荒ぶる神と言われたりしましたが、仏教伝来以来モノはヒトの心の奥底に潜む事となったようです。そもそもモノもタマの一種である以上、人魂が物の怪になるのに時間はかからなかったと思われます。したがって祟り神とは恐らく悲劇的魂の奥底に隠されたモノノケの現前であり、モノ=カミとしての真実を宿していると信じられたと思われます。これは正確にはルサンチマン(怨恨)とは異質な次元の問題で、むしろ不当に処分されたカミ、すなわち真理の再来だと言ったほうがいい。ですから聖徳太子や菅原道真・柿本人麻呂といった有名な祟り神は同時に真理の所有者でもあるわけです。

 その意味で、中世日本の最大のモノノケの所有者は女だったと言っていいでしょう。源氏物語以来、日本に於いて女の情念は芸術にまで高められましたが、世阿弥・観阿弥による能楽はそれを美学として定着させました。そして、能だからこそそれが可能だったとも言えます。
何故なら能楽がもともと猿(申)楽と称されたことから推測すれば、猿女=アメノウズメに始まる芸能だと考えられるからです。
14投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 20時50分36秒

したがって、能の舞が円運動を基本としたものであり、正方形の舞台の上を円を描くように動くのは偶然ではありません。それはタマの象徴であり、縄文から古墳時代まで繰り返し描かれてきた「円」のモチーフの継承だったはずです。同じ象徴を我々は相撲にも見つける事ができますが、相撲の起源がアメノタジカラオにあるとするなら、ウズメと同様天の石屋戸神話に関係する儀式と考えていいでしょう。

 天の石屋戸神話とはアマテラスがスサノオによって象徴的に殺され、復活する神話です。いわば海神にして水神スサノオが天に昇ることで高天原に常夜、すなわち常なる夜が訪れたわけです。そしてこの永遠の夜に終止符を打つのが能の始祖たるウズメです。すなわち、女神アマテラスを死の闇から召喚させたことになるわけです。したがって能楽がかつて「翁」+五番立てで上演されていたのは意味の無いことではなかったはずです。それは厳密な宗教儀式だったのであり、初番目の「神」から始まり五番目の「鬼」に至るまで異界の亡者や怪物が象徴的に召喚されるわけです。そして、円運動の舞の魔術はその祟り神達との和解を約束したのかもしれません。
 
つまり、日本における怪異の中心軸は恐怖にあるわけではなく、むしろ隠蔽された真理と不知の悲劇の現前にあると見なくてはならないのかもしれません。その意味で言えば「雨月物語」の雨月は異界の涙だと見なくてはならない。そして、上田秋成の意向とはまさにそこにあったと言っていいでしょう。「邪淫の性」「吉備津の釜」などの女の物の怪は愛欲と執念の化身などではまったくありません。生身の女を物の怪として見ているのは社会の通念の方であり、生の女の魂を徹底的に抑圧した結果、「怪異」という幻想が生み出されるのです。雨月物語のこういった社会批判的側面を育てたのは怪談の伝道者にして江戸文化の中軸たる話芸、「噺家」の反骨精神の影響があったのかもしれませんが、明治以降に展開される文学の方向を考えてみると、秋成は明らかに「自己と社会」という問題に突き当たっていたと考えられるのです。

 尤も、こういった文学論としての「読み」からは、自意識の拡大という主題しか見えてこないということもできます。異界を主題とする以上、やはり問題は常夜たる「闇」に向けられるべきなのかもしれません。とすれば、雨月の時から開示される「闇」の真相に対して、江戸期の日本人でさえ無能をさらす結果となったということになります。まして現代の我々なら輪をかけて無能だろうと考えるのがスジでしょう。実際、我々は「闇」に包まれて存在していることすら認めようとしないぐらいなのですから。
15投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 20時59分24秒

欧米化された現代日本が所有する「闇」とはいったいどういった類のものなのでしょう。個人的な闇から社会の闇まで、かつての時代に優るとも劣らない様々な闇が存在するように思われます。しかし、我々は「闇」の扱いを忘れたらしい。馬鹿の一つ覚えのように「分析」することしか知らない。闇の払拭など、愚かな野望だと知るべきです。何故なら、仏教に随えば人間は「無明」を生きる存在だからです。ここが何処で、自分が誰かを知る事も無く生まれかつ死んでいくのです。だからこそ、異界との接触が必要とされるのです。この世こそが闇であり、彼岸からの視線だけがこの闇を照らすことができるのです。

 ですから、現代日本の頭痛の種になっている少年犯罪や少女売春に対して、少年少女の心の闇を分析することで駆逐できると考えているとしたら大きな間違いだと言っていいでしょう。そこには大人のする愚かな行為ほど子供は簡単にやってのけるという、非常に単純な理由しかない。しかし、真実の「闇」がそこにあるのも事実です。それはつまり現代日本のモノノケの最大の所有者が、女ではなく子供だという意味です。

問題になるのは、したがって年齢ではなく、人間全体の本性です。殺人や売春という最も汚らわしい、しかし同時に最も魅力的な愚行の衝動をいかにすれば除去することができるのでしょうか。あるいは匿名のいやがらせや集団リンチという卑劣な、しかし快楽を伴う犯罪を断固として禁じる手立てがあるのでしょうか。答えは疑いなくNOのはずです。何故ならそれらは人類が歴史的に繰り返してきた悪行だからです。だからこそ被害者は亡者となっても語らねばならないし、我々はその語りを聞かねばならない。

 雨月とは闇の水です。そもそも透明な水が漆黒の闇を吸い込むとき、魔物が現れるのです。しかし、水は同時に鏡でもあることを忘れてはいけません。魔物とは我々の反転像に過ぎないのです。常世では時間が過去へと遡行するごとく、常夜にあっては現世の弱者・被害者が、疎外され捨て去られたモノ達が猛威を振るうのです。全ての世界宗教の悪魔は、もともと古代の自然神だったことを思い起こしましょう。魔界とはいわば老子のいう「道」に最も近いのであり、やはり常夜は常世でもあるわけです。そして実際の蛮行の全ては、我々人類の手になることを忘れてはなりません。

だとすると、本当の魔物とは現世の我々だということになります。これは大いに可能な仮説のように思われるのですが・・・。
http://www.geocities.jp/kenichi_fr/sub3.htmetud19.htm
16投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 21時19分58秒

溝口健二の最高傑作は、西鶴一代女・雨月物語・近松物語という意見が多い。溝口監督は、落ちた人間を描くのが非常に上手で、しかも映像の美しさは見る者をうならせる。私が思うに、落ちた人間を描く点では西鶴一代女がベスト、映像の美しさでは雨月物語がベスト、脚本の見事さでは近松物語がベスト、である。

西鶴は大映作品ではないので、有名な撮影監督の宮川さんとは組んでいないが、他の二つでは組んでいる。だから雨月と近松の映像は特に美しい(宮川カメラマンは羅生門で黒澤監督と組んでいる)。特にゴダールも言うように雨月の映像は美しいのである。

さらに、戦争により名誉欲や金銭欲をかきたてられた人間が、欲望に翻弄されるストーリーも心をうつ。

最後に、この作品はお能のように霊的な世界が重要かつ美しい映像としていくつか出てくるが、ここに日本の精神文化が凝縮されていて、それが海外で評価される所以であろうと思う。

http://www.amazon.co.jp/%E9%9B%A8%E6%9C%88%E7%89%A9%E8%AA%9E-VHS-%E6%BA%9D%E5%8F%A3%E5%81%A5%E4%BA%8C/dp/B00005GEAW
17投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 21時35分47秒

溝口映画「雨月物語」は監督本人も「能ですよ。能のこころ、能のフォルムをやったんだが,まあ見て下さいよ.」

と言うように、能の影響が顕著で、特に若狭役・京マチ子のメーク・アップは能面を模しており、歩く姿勢や動作も能の演技を模倣している。若狭が仕舞を舞うシーンや小鼓を打っシーンも能生の演技を模倣している.

若狭が仕舞を舞うシーンや小鼓を打っシーンもあり、背景音楽として能の克qや謡がしばしば使われている。また、朽木屋倣の長い廊下と端にある部屋が橋がかりと能舞台の形式を連想させる.

http://books.google.co.jp/books?id=lREjla-F-5wC&pg=RA2-PA262&lpg=RA2-PA262&dq=%E8%8B%A5%E7%8B%AD%E5%BD%B9%E3%83%BB%E4%BA%AC%E3%83%9E%E3%83%81%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%AF&source=bl&ots=QePKTAzy_m&sig=QjRrIcO0fRumE59f5ezmQITf81w&hl=ja&ei=B9_ESdiGBcqBkQWLyb3DDA&sa=X&oi=book_result&resnum=1&ct=result
18投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 21時47分12秒

匂い立つ幽玄の美

これは溝口監督が、上田秋成『雨月物語』の中の「浅茅が宿」「蛇性の婬」から題材を得て、映画化した作品である。戦国時代を舞台にした、二組の貧しい夫婦とこの世には亡い一族の姫との、幻想的な物語である。

 ゴダール(フランスの映画監督)は、「好きな監督を3人挙げるとしたら?」と尋ねられ、「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ。」と答えたという。世界のゴダールいわく、「UGETSUなどを観ていると、その映像の美しさに、5分で涙が出てくる」。ヨーロッパの映画ファンには、クロサワよりミゾグチの方が人気が高いだろう。『雨月物語』は、1953年に、ヴェネチア映画祭で銀獅子賞を受賞している。

 ゴダールが言うように、この映画が与える衝撃は、戦慄するほどの映像の美しさである。しかも最後まで映画の糸が切れず、緊張感が張り詰める。白黒映画なのに、白と黒のグラデーションに、絢爛たる色彩が浮かびあがる。陰翳が織りなす、幽玄の世界である。時に画面をつよく斜めに横切る線は、向こう側の世界へ渡っていくようだ。静と動のつりあいも完璧で、激しさと静かさが共存している。

欲望と戦乱に翻弄される愚かな人間を描いているが、説教臭は一切ない。判断も解釈も下さず、ただ見ること・見せることに徹底している。溝口の妥協を許さない姿勢が感じられるが、描き方は淡々として、過剰な部分はない。このような時代物、死霊物の映画が、作り物の印象を与えないのは、王朝時代から中世・近世にかけて培われた美的感性や精神文化が、核にあるからだ。能の影響も大きい。この映画は、日本文化の幹からにじみ出る無常観と様式美を、非現実的、幻想的な空間に溶け込ませており、そこに普遍的な美が匂い立っている。日本古典の文化テクストとして、ぜひ一度観てほしい。
http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2008b/1169/169g.html
19投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 21時57分04秒

映画「雨月物語」が素晴らしい作品でありえたのは、もつぱら、源十郎と二人の女の幽霊の出会いを描いたいくつかの場面が絶品であることによつている。若狭を演じた京マチ子の、たぐい稀れな妖しいエロティシズムと、彼女が出現する朽木屋敷の描写の神秘的な美しさ。宮木を演じた日中絹代の、妻というよりはむしろ母としてのかぎりないやさしさ。この二人の女の幽霊は、満日が生涯に描いた数多くの女たちの中でもとくに魅力的な女性像である。

幽霊は日本の伝統演濠1のもっとも重要な主題のひとつである。とくに能では、その傑作の多くが、幽霊が現世の旅人に出会って、自分の生と死を恨みをこめて物語る、という形式で書かれている。溝日は日本の映画監督たちのなかでは伝統演濠」をもつともよく研究していた人物であったから、幽霊をとりあげるということは、伝統演劇の主題と形式を映画にとり入れるということであつたと思われる。
20投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 21時59分38秒

実際、「雨月物語」の魅力の多くの部分は能の影響によるものである。

若狭が座敷で、仕舞を舞いはじめると、座敷の一方に飾られていた鎧が謡曲を唄いはじめる。あの世から響いてくる死者の声である。これで朽木屋敷は完全に能の舞台を思わせる世界になる。それは、死者が出現することによつて恐怖に充たされた世界であると同時に、なんともいえない優美さと、あわれさとを含んだ世界である。

成仏できずに現世に迷い出てくる死者を、恐ろしい存在と見る以上に、むしろ、あわれと見るところに、西洋や中国の幽霊物語とは違う日本の幽霊物語の特異性があり、それをもつとも良く表現しているのは能である。能の表現についてよくいわれる 「幽玄」というきわめて説明し難い言葉は、おそらくはこうした気分のことをいうのであり、「雨月物語」はいくつかの瞬間でこうした 「幽玄」な気分を表現することに成功している。この映画が、溝口の作品中、西欧でもつとも有名な作品であるのも、おそらくはそこに理由がある。
http://209.85.175.132/search?q=cache:ZnxUH-sJKmoJ:www.kochi-wu.ac.jp/nyushi/problem/gakubu/h21/AO/H21cultur_AOsyoronsiryou.pdf+%E9%9B%A8%E6%9C%88%E7%89%A9%E8%AA%9E+%E8%83%BD&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
21投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 22時30分07秒

2006年 6月 17日に東京紀尾井町キャンパスで開催した「雨月物語 溝口健二没後 50周年記念対談」

脇田晴子氏は中世女性史が専門で「「雨月物語」と、中世に生きた女たち」の対談では溝口作品と史実の違いを指摘した。

「土器は女が作り、陶器(須恵器)は男が作る。古代、中世では、女の作った土器を男が売りに出たり、土取り、薪運びなど力仕事をする。場面に設定された北近江では筑摩鍋が有名で、女は筑摩明神の祭りにおいて、大きな鍋に自分と交わった男の数だけ小鍋を作って入れて供えるという風習がある」こと。

また当時の畿内と近辺は、村落や都市の共同体編成が強く、村はやすやすと攻め込まれることはなかった。軍が勝手に村に入り、強奪されない仕組みが作り上げられていた。無力と思われていた村落の百姓や女たちは強かった」と指摘。

また御自身も能舞台で舞う演者であり、「能楽の中の女たち」の著書もある脇田氏は「雨月物語」の能場面を「能楽をはじめとする古典芸能を持ってきたことは、この作品が古典芸能の伝統の上に立ち、その継承を踏まえて作られたもの。姫君は王朝風の雅な姿で、のどかな越天楽今様の節で美しく舞う。そこへ戦国武将の亡霊を声のみで表現する父君の謡を、能の囃子で聞かせるのは凄い。姫君の雅がこの世のものならぬことを能楽の音で表現している」と、伝統を踏まえながら、映画手法に劇化した溝口監督の功績を評価した。

さらに「こうした映画的な手法が秋成の「蛇性の淫」とは違った優美さ、「浅茅が宿」の戦乱の中の庶民生活を描き、その両者を一人の男を媒介として繋いだところに、意外と戦後社会の歴史性を持つ。出世や金儲けに狂奔する男立ち、平和を希求し、生活と子供を守りたい女、「浅茅が宿」にはなかった子供が加わっていることからも、それが伺える」と指摘。また、『雨月物語』で演じられる夢幻能の構成から、また俗謡の意味からも映画の細部に込められた意味を解釈していただいた。
22投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 22時42分22秒

【脇田】 やっぱりこれ、この『雨月物語』というものは、幽霊のお話です。幽霊といえば、最初にそういうのを芸術の中に入れていったというようなのはお能ですから、絶対お能が出てくるんですね

やっぱりお能は、幽霊はお能の専売特許というふうに思います。夢幻能というのがあって、宮木は前シテで後シテは若狭姫。それを源十郎という男でつなぎ合わせた。

複式夢幻能というのは、世阿弥が作ったんですけれど、その夢幻能で幽霊が出てきて過去を語る。または、地獄の責め苦を語るというのが、能の常套手段になっている。これは亡霊供養のためとか、その亡霊に対する鎮魂であるとかいうふうに、今、能楽研究者はおっしゃっていますが。私は、やっぱりそこから出発しても、一遍上人の念仏なんかでも、あそこで供養料を受け付けて踊る。そういうところはあるんですが、世阿弥の能になってきますと、その人の、その亡霊の生きているときの最も凝縮した生の在り方、一生というものを亡霊が出てきて舞台で再現するものであると思ってます。

そういう意味では、俗な言葉で言えば、亡霊出現の劇は、その過去を再現する手段になっているんであると。手段と言うたらちょっと身もふたもないですね。しかし、そのために出てくるんだというふうに、私は思っています。そうすると、やはりそこは図式がありまして、男は『平家物語』に取材した平家の公達の修羅能で、その最期のありさまを美しく演じてみせる。

女は、そういう生命が凝縮した瞬間が、やっぱりこれは恋愛になるんですね。これからは違う人も出てくると思うんですが、中世はもう恋愛。先ほどおっしゃった「井筒」のように、男を恋い慕う、その凝縮したもの。
23投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 22時51分23秒

これは最近、私はすごく感銘を受けたんですが、現在は「小面」とか「若い女」という美しい、京マチ子さんは、その美しい能面をちょうど二重まぶたにぱっちりさせたような顔だなあと思って、今日も見ていたんですが。ああいう美しいものでその昔をしのんで、業平をしのんで、ずっと舞を舞うのです。非常に宮木のように、ただひたすらに男を思い慕う。

そうしたら、篠田先生の解釈は、あれは業平を恨んでいるんだとおっしゃるんですが、確かにそうです。室町時代の演出では狂女の面を、十寸髪という高貴な女性の狂気した面をつける。恋愛の凝縮ま す が みした瞬間が、まさに狂女なんですね。

だから、そういう意味ではそれのほうが正確だと思うんですが、とにかくそういう亡霊が生をよみがえらす再現手段。再現の手段として亡霊になって出てくるという。

まさに「雨月物語」というのはそれを踏まえておりまして、これは2人の亡霊の複式夢幻能とおっしゃったように、そういうことを踏まえて作っておられるというふうに思うんです。そうしますと、そこでその亡霊の夢幻能、現出してくるものとしての効果を高めているのは、これは能とか中世の能の囃しとか、そういうものを全部効果的に使う。私はまずはそれに、「雨月物語」を今日を入れて3回見たんですけれど、その前は 53年前に見たんですよ。思ったんですね。まず最初に、順番挙げにして、朽木の若狭姫のところで、お姫さまのじゃないんですが、その時分に流行した「越天楽今様」という曲を琵琶で老女がこうやっていましてね。あれは、ちょっとあの節は違うかなあ思ったんです。「黒田節」というのは、それの影響下でできた「酒は飲め飲め」って。あれは、大名の大内氏あたりにお公家さんがあの節を流行させたのでしょう。「越天楽今様」。一番ポピュラーなのは、「君が代」です。あれは越天楽いうより何か間延びのした節ですが、あの節なんです。3遍見ても、ちょっとよくは、どの曲なんだろうって、10曲ほどあるんですが、よく分からなかったんですが。お姫さんが琵琶の音に合わせて、その歌で舞われる。ものすごい雰囲気がみやびですね。
http://72.14.235.132/search?q=cache:rZSdYBCtRD4J:www.jiu.ac.jp/books/bulletin/media/02_murakawa.pdf+%E9%9B%A8%E6%9C%88%E7%89%A9%E8%AA%9E+%E6%BA%9D%E5%8F%A3%E5%81%A5%E4%BA%8C+%E8%83%BD&cd=38&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
24投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 23時32分07秒

京マチ子の出だしは鳥肌もの。主人公が見上げたときに入ってくるあの顔はまるで能面。見る角度によって菩薩とも般若ともなるあの面です。

行商の町自体が異様な熱気の中、妖気な世界にさらに一歩踏み込むか否かを表している素晴らしいカットでした。
http://video.akahoshitakuya.com/v/B000VRRD34

なんといっても京マチ子!見事な麻呂眉にはさすがにビックリさせられましたが、その妖しげな雰囲気、能面のような冷たい表情、そして優雅な物腰、彼女の一挙手一投足に目が釘付けでした。妖艶という言葉をそのまま映像にしたら、きっとこんな感じになるんだろうな〜。
http://cinema-review.seesaa.net/article/24246471.html

 京マチ子の凄さは、彼女から発散されるエロティシズム(決してイヤらしくはない)、妖艶さが作品のイメージすらも決定付けてしまうことだ。良くも悪くもその存在感は大きく、主演でなくても彼女の個性が翳むことはない。もし、『雨月物語』の女若狭が京マチ子でなかったら、ただの怪談になっていたかもしれない.
http://johokan.kyoto-seika.ac.jp/index.php?fromkyoto%2F2007-12-14%2Fcinema%2F0
25投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 23時35分24秒

この作品で最も観ていて楽しいのは源十郎が妖しい美姫から求愛され桃源郷の日々をすごした後美姫が怨霊の如き風貌に変わり源十郎を逃がすまいとすると源十郎の体には阿闍梨が記した文言が覆っており魔性の美姫は近づくことができない。

果たして源十郎が美姫と過ごした邸宅は焼け落ちた邸の幻影であった、

魔性の美姫を演じた京マチ子の妖しい美しさは類なきものでほんのわずかな化粧の違いだけで妖艶な美女が怖ろしい悪霊に変化してしまう箇所はぞっとするものがある。
http://feiyuir.seesaa.net/article/112868448.html
26投稿者:雨月物語  投稿日:2009年03月21日(土) 23時37分38秒

その陶工の前に現れるのが京マチ子の若狭の君と老女。
美しさに目がくらむ陶工。


この作品での京マチ子の美しさは、まさに「蛇性の婬」を思わせる。
妻子を忘れ、彼女にのめり込む陶工も、さもあらんという風情。
蝋燭の光から現れる夜の若狭の君の佇まいの壮絶な美しさはどうだろう。


時に嫣然と微笑み、時に流し目を送る。
その姿は、まさに能面の「万媚」。
舞う若狭の君のとろけるような媚態。
寄り添う陶工に微笑む美しさ。


モノクロの映像のはずなのに、縫箔や唐織の色のなんと鮮烈なことか。


長袴の裾捌き、大口から覗く白足袋の鮮烈さ、その全てが美くしく、媚態を含む。


こういうのをまさに官能美というのだろう。

若狭の君の家に居続けるうち、通りがかりの僧に死相を言い当てられる陶工。やがて、若狭の君がこの世のものではないことを知る。

そのときの、京マチ子の容貌の変化といったら。。ちょっとの化粧の変化と演技力で本性を表現してみせた。
http://ameblo.jp/sato99ih/entry-10195973971.html
27投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 01時50分38秒

監督 黒澤明
原作 芥川龍之介
脚本 黒澤明 橋本忍
撮影 宮川一夫
音楽 早坂文雄

キャスト(役名)
三船敏郎 (多襄丸)
森雅之 (金沢武弘)
京マチ子 (金沢の妻・真砂)
志村喬 (杣売)
千秋実 (旅法師)

Rashômon
http://www.youtube.com/watch?v=mxiEvmdNBEI&feature=relate
http://www.youtube.com/watch?v=3iKN2klFN1E
http://www.youtube.com/watch?v=jXnFDs-ai3E&feature=related
28投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 01時57分21秒

A peep into the characters of 'Rashomon'
http://www.youtube.com/watch?v=kHVn2wmcaoc
http://www.youtube.com/watch?v=920xM-RZiRk
http://www.youtube.com/watch?v=J2VZskacgsg
http://www.youtube.com/watch?v=tBf-DY0c6Eo

羅生門
http://www.youtube.com/watch?v=nzQeivu_iV4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=CWhpU3Wk7OE
http://www.youtube.com/watch?v=3YLil2iBIcc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=_AXks8q98ic&feature=related
29投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 01時59分04秒

志村喬が語る三人のシーン

ベルイマンを含め欧米の映画人が驚愕したのは特にこのシーンの台詞による逆転劇の連続とその映像・カットの素晴らしさ。そして美しい美しい三船敏郎・京マチ子・森雅之。  

『羅生門』の名セリフは一杯あるが、一番素晴らしいのは杣(そま)売り役の志村喬が真実として語る第四においての以下の真砂役の京マチコが話すセリフだ。英語ヴァージョンで。 言葉の凄さをこれほど著したセリフは映画史上でも稀ということができる。



(侮辱された夫:森雅之に向かって)

It's you who are weak.

If you are my husband, why don't you kill this man?

Then you can tell me to kill myself.

That's a real man.

You're not a real man either.



(多襄丸:三船敏郎 も向かって)

When I heard you were Tajomaru, I stopped crying.

I was sick of this tiresome daily farce.

I thought, ''Tajomaru might get me out of this.''

''If he'd only save me, I'd do anything for him.''

I thought to myself.

But you were just as petty as my husband.

30投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 02時07分04秒

この言葉によって、二人の男から侮蔑のどん底にまで落されていた京マチ子は蘇り、二人の男は殺し合うことになる。宮川一夫のカメラと三人の演技とこのセリフのシーンは何回観ても唸ってしまう。


以下が夫の辱めの言葉:

Hold it!

(待って)

I refuse to risk my life for such a woman.

(俺はこんな女の為に命を掛けるのは御免だ)

You've been with two men. Why don't you kill yourself?

(二人の男に恥をみせて、何故自害しようとはせぬ)

Hopeless.

(あきれ果てた女だ)

I don't want this shameless whore.

(こんな売女は欲しくない)

You can have her.

(呉れてやる)

At this stage, I'd rather lose her instead of the horse.

(今となっては こんな女よりあのあしげが盗られる方が惜しい)

31投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 02時11分50秒

京マチ子が語るところでは森雅之の蔑んだ冷たい眼差しのところが最高です!:

Even now, when I think of his eyes,
My blood turns cold in my veins.

What I saw in them was neither anger,
nor sorrow,
a cold lgiht, a look of loathing..

Don’t
Don’t look at me like that.
It’s too cruel.
Beat me,
kill me, but don’t look at me like that.
Please stop.
Now, kill me.
Kill me at once.


私はそめ眼を思い出すの、
今でも体中の血が凍るのを思い出します
夫のその眼の中に閃いていたのは怒りでもなく
悲しみでもなく
ただ私を蔑んだ冷たい光だったのです

止めて
そんな眼で私を見るのを止めて
あんまりです
私はは打たれても、
いいえ、殺されても構わない。 でも、でもそんな眼で私を見るのはあんまりです。
さあ 殺してください。 ひとおもいに私を殺してください。
http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20070920/p3
32投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 02時22分26秒

検非違使の庭での証言

多襄丸(山賊・・三船敏郎)の証言

俺が森の中で昼寝をしていると、通りかかった男女があった。その時、たまたま吹いた風で笠の垂れ布がひるがえり女の顔が見えた。瞬間的に俺は女を手に入れることを決めた。

後を付けて行き、男を「この先に刀などを沢山隠してある。安く売り渡したい」と騙し、離れた場所へ連れて行って縛り上げた。そして女をそこへ連れて行った。すると女が短刀を抜き、いきなり切りかかってきた。

俺はこんな気性の激しい女は見たことが無い。しかし、力の差は歴然。男の目の前で強姦してやった。・・・

俺が立ち去ろうとした時、しばらく泣いていた女が顔を上げた。「どちらか一人死んで!私は生き残った男に連れ添いたい」

俺は男の縄を解き、戦った。男も立派に戦った(写真1)。そして俺が勝った。しかし、気が付いてみると女の姿はどこにも無かった。
33投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 02時29分04秒

真砂(武士の妻・・京 マチ子)の証言

男は私を手篭めにした後立ち去りました。私はしばらく泣いていました。

そして、夫を見ると・・・・私はその時の夫の目を思い出すと、今でも体中の血が凍るような気がします・・・その目は、私をさげすんだ冷たい光だったのです。

「やめて!そんな目で私を見るのは・・・」
「私を殺してください!」私は短刀を差し出しました(写真2)。

それでも夫は黙って私を見つめるだけで何もしません。「止めて!そんな目で私を見るのは・・・」私は恐怖と絶望のあまり気を失いました。・・・・・・

気がついたとき、夫の胸に刺さった短刀が冷たく光っていたのでございます。私はさまよい、池に身を投げましたが死に切れなかったのです。この愚かな私はいったい、どうすればよろしいのでしょうか。
34投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 02時36分00秒

金沢武弘(武士・・森雅之)の証言:ただし、死人のため巫女の口を借りて

男は妻を手篭めにすると、そこに腰をおろし色々妻を慰めだした。

「自分の妻になる気はないか。俺はお前のためならどんなことでもする」その時、うっとりと顔を上げた妻の顔・・・私はあの時ほど美しい妻の顔を見たことが無い。

その時妻は何と返事をしたか。「どこへでも連れて行ってください・・・」

二人は立ち去ろうとした、その時だ、あ〜・・・これほど呪われた言葉が一度でも人間の口を出たことがあろうか・・

「あの人を殺してください!」妻が私を指差して言ったのだ(写真3)。

「あの人が生きていては、私はあなたと行く訳にはまいりません。あの人を殺してください!」

男はそれを聞くと妻を突き飛ばし、足で踏みつけた。「おい、この女をどうするつもりだ。殺すか?助けるか?」 私はこの言葉で男の罪は許してもいいと思った。

「きゃー!」妻は隙をみて逃げた。男が追ったが、やがて見失ったらしく戻ってきた。そして、刀を奪うと立ち去ってしまった。

私は妻の短刀で自分の胸を刺した・・・・・・静かだ・・・・やがて、そっと誰かが近づき私の胸から静かに短刀を引き抜いた・・・・・・・・
35投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 02時44分25秒

杣売(焚き木売り・・志村 喬)の証言

多襄丸は女の前に手をついて謝っていた(写真4)。「俺の妻になってくれ!妻になると言ってくれ!」多襄丸はしつこく迫った。

やがて、女が言った。「無理です。女の私に何が言えましょう」

「そうか、男同士で決めろというのだな」多襄丸は武士の縄を解いた。

「待て!俺はこんな女のために命を賭けるのはごめんだ。」と武士は妻に言った。

「二人の男に恥じを見せ、何故自害しようとせん!・・・こんな女は欲しけりゃくれてやる!」

多襄丸も急に嫌気が差し、立ち去ろうとした。「待って!」と女。

「来るな!」再び女の号泣。「泣くな!」と武士。

「まあ、そんなに未練がましくいじめるな。女は所詮このように他愛無いものなのだ。」と多襄丸。

泣いていた女の声がいきなり狂ったような嘲笑に変わった。

「ハハハハハハッ・・・他愛無いのはお前達だ!・・・夫だったら何故この男を殺さない!賊を殺してこそ男じゃないか!・・・お前も男じゃない!多襄丸と聞いた時、この立場を助けてくれるのは多襄丸しかないと思った。・・・お前達は小利口なだけだ。・・・男は腰の太刀に賭けて女を自分のものにするものなんだ!」

まったく面目のつぶれた二人は、刀を抜いた。男達は口ほどにも無くだらしない。お互いを怯え、剣を交えるやさっと逃げる体たらくである。

しかし、多襄丸がやっとの思いで武士を刺した時、女は悲鳴を上げて逃げ去った。多襄丸にはもはや、女を追う気力は無かった。
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/Rasyoumon.htm
36投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 02時50分13秒

大映製作ということもあり、黒澤作品には珍しく女性が重要な役割を果たす。私にはこの作品は黒澤明が自分らしさを殺してとった作品のように見える。

そもそも黒澤作品でこの作品のように女性がクローズアップされることはあまりない。主役級といえるのは『わが青春に悔なし』の原節子くらいで、あとは『蜘蛛巣城』の山田五十鈴、『椿三十郎』の入江たか子がいい味を出しているというくらい。

 これは根本的に黒澤の映画が「男」の映画であるということである。男と男の対決や友情が常に物語の軸になっているということで、そこにあるのは至極単純なドラマトゥルギーであって、精神的なもの、つまり人間の心の葛藤とかそういうものをドラマの柱にすえることはあまりない。

 この映画もそういう意味では決して人間の心を主題にしているわけではないく、基本的には男の話なのだが、何かが違う。それは京マチ子が語るエピソードよりも志村喬が語るエピソードの異常さだ。

そこには男と男の物語は存在せず、男と女の物語があるだけなのだ。それは黒澤らしからぬことだ。

 そしてこの終わり方。三十郎の捨て台詞「あばよっ」が象徴的に示すように黒澤の映画は大体の場合ばっさりと気持ちよく終わるものだ。しかし、この映画の余韻はすごい。他の黒澤作品らしさがシナリオの段階から感じられないようだ。

 しかし、これはこれでひとつの完成形というか、作品として成立しているところが黒澤のすごさなのだろう。
37投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 02時56分06秒

それにしても、この作品の京マチ子はとてもいい。京マチ子この作品は数あれど、今まで見た中では一番いいと思う。京マチ子はこのとき26歳
三船敏郎と京マチ子は相性がよかった.
http://www.cinema-today.net/0211/19p.html


今この映画を観ると、テーマも話の筋立ても単純で、これほどわかりやすい映画はないと思うんだけどね。言わんとしていることはすべて台詞に現れているから、少なくとも物語に関して誤った解釈が発生する余地はない。芥川の原作との相違は、最後の杣売のエピソードの有無で、このエピソードで黒澤は三者三様の証言の実態を、ちゃんと映像として見せている。この最後のエピソードにも嘘があるのではないかと考えるのは、それこそ考えすぎというものでしょう。

 黒澤がこの映画で描きたかったのは、この単純な物語をどう映像化して行くかという1点だけだった。森の中の木漏れ日の美しさ、淡々と流れるボレロのリズム、汗まみれになってぶつかり合う男と女のドロドロとした情念の渦。木立のむこうにチラチラと太陽が直接顔を見せる描写や、大きな鏡をレフ板に使ったコントラストの強い映像など、宮川一夫カメラマンの作り出す艶のあるモノクロ画面は今観ても美しい。

昼寝をする多襄丸の顔にかかる葉の影をゆらゆと動かして森を渡る涼風を感じさせる部分などは、ドキリとするほどでした。

 エピソードの中では最後の「真相」が一番人間の残酷さや醜さを表現していて面白い。ここは黒澤のオリジナルですから力が入ったのでしょう。

男が二人 傍目にはみっともない格闘を演ずる。刀をぶるぶる震わせ、泥を撒き散らし、逃げ腰になりながら無様に殺し合う三船敏郎と森雅之
http://www.eiga-kawaraban.com/97/97042101.html
38投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 03時01分13秒

黒澤の作品群の中で、ただ一つだけ、見終わった後にどうしても釈然としない作品がある。それが皮肉にも彼の名を一躍世界に知らしめるきっかけとなった映画「羅生門」(50)なのである。

いかに黒澤作品といえども、最後まで犯人が分からないストーリー展開に、他の黒澤映画に慣れ切つた僕たちは、映像の美しさなどさしおいて、不遜にも軽いいらだちすら覚えてしまう。こんなことは彼の作品においては極めて稀なことなのだ。

 果たして彼はこの作品で何を表現したかったのだろうか?などと普段しなくてもよいはずの詮索をついしてみたくなる。黒澤の代表作といわれ、世界的にも評価の高い作品であるだけにもっと思う存分楽しみたいと思うのは僕だけではないだろう。そのためには、僕たちはどうしてもその原作に一度立ち返つてみる必要がありそうだ。

 少々長くなるが、黒澤の最高傑作といわれるこの作品をより深く理解するために、ぜひお付き合い願いたい。

 ご存じのように、この映画の題名は芥川龍之介の短篇小説からとったものだが、実際に小説「羅生門」の中の描写があるのは冒頭の1シーンだけで、ストーリーそのものは同じ芥川の短編「薮の中」が原作となっている。

<時は戦乱と天災で荒れ果てた平安時代の乱世。一人の侍が森の中で胸を刺されて死んでいるのが発見される。この事件の犯人をめぐって、検非違使庁の庭において一種の法廷劇が展開される。木樵り、旅法師、放免の状況説明に続いて尋問されるのは悪名高き盗賊の多襄丸、死んだ男の妻、そして巫女の口を借りた男の死霊。この三人によって事件の経緯が次々と説明されるのだが、何故かこれらの供述が微妙な食い違いをみせる。果たして真犯人は誰だったのか。真相は最後まで明らかにされない。>

 この小説に関しては従来から何人もの人たちによって分析が試みられてきた。その結果、<薮の中>という常套句に代表されるように、「犯人を特定すること」がこの作品の主題なのではなく、「あえて作者がそれを明瞭にしないところ」にこの小説の真髄があるという考え方が、現在における定説になっている。

39投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 03時05分26秒

黒澤の「羅生門」は、木樵りにも男を殺した可能性があるとした点を除いてほぼ忠実に原作を再現しているのだが、僕ら観客にとっては、そもそも三人の証人かいずれも"自分が犯人だと言い張つている点"がどうしても賦に落ちない。

 普通、証言台で嘘をつくのは罪を逃れるためなのに、このニ人はそうではない。山賊はいとも簡単に男を殺したことを認め、妻も無意識のうちにせよ夫を殺したと言い、男自身も自分で命を絶つたと頑なに主張している。めいめい自分の有罪を認めており、決して罪のなすりあいはしていない。最後に述懐する短刀を盗んだと思われる心樵りはともかく、他の三人は嘘をついても何の得もないように思われる。それなのに何故彼らは嘘をつくのか。自分の死と引き替えにしてまで・・・・。

 学者らの説によれば、作者は「すべてのモラル、すべての真実に疑問を投げ付けることでアナーキーな自分の心情を吐露したかった」とか、あるいは、「最初から事件の真相などというのはさしたる重大事ではなく、告白の欺瞞性を通して現実社会の裏側を透視したかった」とかいった解釈が主流なのだが、しかし、それではあえて作者が三人に殺人を犯したと告白させている必然性がない。

 芥川といえば志賀直哉とともに、大正期における短篇作家の双璧であり、その作風は理知的で洗練巧緻を極めているにもかかわらず、きわめて大衆的であり、しかも分かりやすい風刺に富んでいる。そんな彼が、何故この作品だけことさら分かりにくくする必要があったのだろうか。なぜこの作品を同じ中世の「今昔物語」から題材をとった他の平易な作品(例えば「鼻」や「芋粥」など)と並列に論じてはいけないのか。

 この小説を難しくしているのは、かえって後世の「不条理劇」に影響された学者たちではないのか。芥川が言おうとしていたことは、実はもっと単純で、誰の心にも思い当たるような、人の心理の"あや"だったのではないのだろうか。

 真相は思いの外、単純なのかもしれない・・・・・。
40投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 03時11分05秒

事件の鍵は、見知らぬ頑強な男に夫の前で「強姦」された女性(真砂)が何を考えるかということだ。 

第一に思いつくことは辱めを受けた我が身を恥じて自殺をはかるということ。次には自分を犯した男を殺害して復讐を遂げるということ。

しかしこの小説の場合、彼ら二人は生きているわけだからいずれも当たっていないことになる。残るはもう一つの可能性、さして愛してもいない夫であれば(中世の男尊社会では、女性の意に反する結婚は十分考えられることだ)唯一の目撃者である夫を殺し、その忌まわしい事実を抹殺するということである。

 彼女は最初、それを多嚢丸に頼んだ。彼女の心には「憎むべき多嚢丸を殺人犯にすれば、同時に彼をも死刑にできる」という考えが一瞬浮かんだかもしれない。 

そこで彼女はそれまでとはうって変わった妖艶さを漂わせながら、多襄丸にささやく。「あの人を殺して下さい!あなたについていきます」。

 ところが彼は世間の噂とは大違い、実は口先だけ巧みな、女好きの盗人にすぎなかった。彼がおじけ付いて逃げだした後、彼女は自分の貞操と引き換えに、止むを得ず自らの手で木に縛り付けられている夫を殺害したのである。

 最初の目論みは見事に外れたものの、「人は行きずりの強盗殺人と思うはず・・・・・」。現場から逃れる道すがら、真砂は冷静にそう考えたに違いない。

 ところが清水寺で心を落ち着けている彼女のもとに、思いがけない情報が入る。多嚢丸が捕らえられたというのだ。彼女はてっきり事の一部始終が彼の口から明らかにされたと思い、半ば観念して懺悔を始める。(原作では彼女の述懐は検非違便庁ではなく、あえて清水寺という別の場所が設定されている)  

しかし実はこの懺悔も真っ赤な嘘。彼女はとっさの機転で架空の心中劇をでっちあげ、多襄丸への殺人依頼のことは伏せた形で供述した。「無理心中を拒んだうえでの殺人なら、よもや死刑にはならないだろう・・・・。」恐るべきしたたかな計算である。
41投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 03時13分55秒

一方、多襄丸の方は別件の殺人で、もはや死刑はまぬがれない身、どうせならこの侍も雄々しい立ち回りの末に自分が殺したことにして、悪名高い極悪人のまま死してなお名を残そうと考えたのではないか。

 それでは死んだ侍はどうか。小説ではこの男の言葉は巫女の口を借りて最後に語られていて、いわば種明かし的な位置を占めている。したがって、ほとんど真相を語つているのだが、この男も死してなお自分の名誉を重んじるあまりただ一点だけ嘘をついた。

「妻を犯された上、その妻に殺されるのではあまりにも男として情けない」。そう思つた彼は武士の面目を守るために、妻の無礼をひとしきり非難した後、妻の犯行は明かさず、最後の瞬間だけは自分で自分の胸を刺したことにしたのである。

 この推理が正しいとすると、この小説の構図は自ずから明らかになってこよう。すなわち、死んでもなお名誉や名声にこだわろうとする男の"哀れさ"や"愚かさ"と、それ対比される女の"したたかさ"である。

芥川は「侏儒の言葉」の中で「女人はまさに人生そのものである。すなわち諸悪の根源である」と書いている。 彼は十才の暗に、実の母親を発狂の末亡くしているのだが、この事件が原体験として彼の心象に深く根ざしていることを思えば、最初の傑作といわれる「羅生門」の中にこのような彼の悲観的な女性観が反映していても不思議ではない。

(先頃出版された大里恭一郎氏の「芥川龍之介・『薮の中』を解く」によれば、芥川は大のミステリーファンだったという。彼はこの中で、芥川の作風や"小説"というものののもつ根源的な問題に触れながら、証言の事実はいく通りあっても真実は一つと断定し、「薮の中」を芥川会心の推理小説であると決め付けている。実は氏の結論も、"真砂"真犯人説なのだが、古い文献や原作の一字一句をつぶさに検証しながらの詳細な分析は大変興味深い。この機会に是非一読をお薦めしたい。)

 さて、以上の原作分析をふまえて、再び映画「羅生門」に戻つてみると、冒頭から極めて修辞的な演出が施されていることに気付かされる。

タイトル画面に続き現われるのは、凄まじい雨に煙る羅生門の遠景。それが次のショットではやや近づいた形で映し出され、さらに次のショットでその細部があらわになる。この一瞬の三ショットの中に、後に展開される三人の証言の信憑性が何気なく暗示されてはいまいか。 

さらに、明らかに演技過剰な三船敏郎扮する多襄丸の勇ましい台詞が、どこか小心者の遠吠えのように聞こえてこないか。

 それまでの殺陣場面の常識を打ち破る、太刀を片手に持ちながら、猛獣のような叫び声をあげてのたうち回る多襄丸と侍の死闘の描写からは、どこかしら滑籍で哀れな男たちの本性が見えてこないか。 そして顔を覆つた両手の指の間からその決闘を垣間見る真砂の表情から、恐怖以上のしたたかな"何か"が感じられないだろうか。

42投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 03時18分39秒

映画化にあたって黒澤らがこの辺のことをどう考えていたのか分からないが、京マチ子扮する真砂に、女のもつ"したたかさ"を見ていたことだけは確かだろう。 

なぜ「羅乍門」が海外でも国内でもこんなに有名になったかときかれて、黒澤は「まぁー強姦の話だからねっー」とだけ答えたというエピソードは有名だが、これを彼一流のジョークとだけ笑い飛ばすわけにはいかない。芥川のこの短篇は強姦、殺人に伴う女作の"性"がテーマになっていることは確かで、これがよく言われる黒沢の悪女趣味にピッタリしたのではないか。

 そういえばマクベスに題材をとった「蜘蛛巣城」にしても、リア王を基調にした「乱」にしても典型的な悪女が登場する。「羅生門」の女性は確かに表面上は聖女か悪女か判然としてはいないか、原作を読んだ時、黒澤はここに登場する妻を"悪女"と断定するにいたり、その時点から映画化に興味を待つたのではなかろうか。

 この映画の終盤で語られる、原作にはない<木樵り>のエピソードは、事件をことさら複雑にするために新たに付け加えられたのではなく、黒澤がこの映画の中で"真砂"の人格をより強烈に描くために"是が非でも必要だったのだ。

原作の中で、母親に「男にも劣らぬくらい勝ち気な娘」と言わせているこの女性のイメージ作りに、演技指導の点でも映像表現の面でも極端な情熱が注がれていることに注目したい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ij9s-ucym/rasyoumon.html
43投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 03時21分50秒

黒澤はの土砂降りのシーンを撮影するにあたり、雨に墨汁を混ぜて重い質感を出したという。さらにこの場面に凄まじい迫力を加えるために、消防車三台の出動を求めて消化ホース5本を使用。屋根には放水装置を施して、瓦の壊れから滝のように落下する雨を表現した。さらに、門の周囲に掘つた溝には水槽タンクから大量の水を一気に流し込んで溝に溢れる豪雨の感じを出し、しかも万全を期するためにわざわざ雨の日を選んで撮影を行なうという凝りようだった。このことは"日本映画史上類を見ない大胆な撮影"として、今も語りつがれている。

 この他にも、羅生門の屋根瓦を作るために、新たに焼きあげた瓦の数が4000枚、その一つ一つに「延暦寺十七年」と年号が刻まれていたとか、羅生門のセットが大き過ぎて上部の屋根を作つたら柱がささえきれないから、屋根を半分壊した形にしたとか、黒澤の偏執狂的な映画製作に関するエピソードは尽きない。

 その飽くなきこだわりがことごとく映画に独特の雰囲気を醸し出し、この名作が誕生するに至った。

 なお、カメラ技法における工夫も多く、中でも有名なものは"ギラギラと輝く太陽を望遠レンズで映す"という手法だった。当時は太陽にカメラを向けることはフィルムを焼き切る可能性があったため、一般的にはタブーとされていたのだが、この難題に敢然と挑戦したのが撮影担当の宮沢一男だった。彼のカメラは森の奥深くに入り込み、大きな反射鏡を利用しながら、木々の間から見え隠れするギラついた太陽を延々と追いかけ、それによって照り付ける陽光と乾いた森の雰囲気を遺憾なく描写することに成功した。この技法が映画公開時、世界の批評家から絶賛され、「黒澤は太陽を初めてカメラにおさめた」という有名な賛辞が生まれた。

 当時の映画界の巨匠、溝口健二のキャメラマンとしても名高い宮川一男は、「色を使わずに、白と黒の間にある無数の鼠色の濃淡によってみるものに色を感じさせる」という黒澤の演出に対しても、独特の水墨画感覚で応じた。雨の“黒”と検非違使庁の庭に敷かれた砂の“白”との絶妙な対比、木樵りが森を歩いていくシーンでの木々の微妙なコントラスト、木漏れ陽の輝き、斧の刃にきらめく日光、何とも豊穰な映像表現である。

 他にも、当時としてはまだ新しいテクニックだったパン・フォーカス(近景と遠景と同時にピントを合わす技法)が、随所に使われていることも見逃せない。

 さらにこの作品にはおびただしい数のカットつなぎ(画面と画面の切り返し)が施されている。評論家のドナルド・リチー氏によれば、映画の本体だけで408ショット、これは普通の作品の二倍以上にもなるという。しかし観客はショットの多さで気が散るようなことはない。それどころか、ともすると単調になりがちなストーリーに言い知れぬ躍動感を生みだしている。
http://www.asahi-net.or.jp/~ij9s-ucym/rasyoumon.html
44投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 03時25分17秒

・黒澤明は毎日、京都や奈良の古い門を見て歩き「羅生門」のイメージを膨らませていった。

・羅生門のオープンセットは面積1983平方メートル、幅32メートル、
奥行き21メートル、高さ19メートル、建設にかかった日数は25日間。

・羅生門の側面には長さ35メートル高さ6メートルの土塁を築き、
背景には長さ35メートル高さ4メートルのホリゾントに裏山を浮き上がらせた。

・新たに焼き上げた瓦の数は4000枚、その一つ一つに「延暦寺十七年」と年号が刻まれていた。

・暗い森の中での撮影のために鏡照明という器具を世界で初めて森に運び込む。

・木漏れ日を描写するために光明寺の木を遠慮会釈なく切り倒した。

・多襄丸の顔にかかる木の葉の影を揺らすために木の枝の影をライトで作る。

・カメラが見え隠れするギラついた太陽を延々と追いかけて行く移動ショットは、それまでの映画のタブーに真っ向から挑戦したモノで、三人の登場人物の心理描写とあいまって絶妙な効果をあげた。この技法は「黒澤明の太陽モンタージュ」と呼ばれ、後に続く映画に多大な影響を与えた。

・衣装は軽石でこすりグチャグチャになったものを身につけた。

・三船と森の殺陣は従来の舞いの美しさを追求せず片手で太刀を振り回し、猛獣のような叫び声を挙げて、太刀と太刀を叩き付け合う死闘の描写に徹した。

・雨に大量の墨汁を混ぜ重い質感を狙った。

・羅生門の屋根に放水装置を施して滝津瀬の如く落下する雨を表現。

・羅生門の周囲に掘った溝に水槽タンクから3tの水を一気に流し込んで豪雨の感じを出した。

・消防車3台を出動させ大量の水を使ったために近隣住宅は水不足。
45投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 03時34分14秒

映画祭に顔を出していた フェデリコ・フェリーニという
新人監督は、「羅生門」観賞後 しばらく興奮が収まらなかった。

「ブラーヴォ! すごいものを見たぞ!」 
「クロサワという日本人が作った凄い映画を この目で見たんだ!」
と 辺り構わず大声で話し続け、周囲にたしなめられた。

彼にとって 「羅生門」 の衝撃は大き過ぎたのだ。
この映画祭で見た奇跡について話すとき、この純情な男の眼から
涙があふれ 流れ落ちた。

その後も、イタリーフィルムの ストラミジョリ女史が日本から
帰国するたび 頻繁に彼女のもとを訪れたフェリーニ青年は、
質問攻めにすることがたびたびだった。
「クロサワとはどんな男? どんな顔をしてる?」
その質問は 子供のそれと変わらなかった。
ストラミジョリには、そんなフェリーニが可愛らしくも思えた。
彼女は、クロサワの他作品も観たいと熱望する彼のために、
1本の映画を日本から直送し、“個人上映会” を開いた。
映画のタイトルを 「白痴」といった。

映画鑑賞後のフェリーニの様子は、またしても尋常ではなかった。
泣きはらして充血したその目は、異様な光を帯びていた。
映画は、彼にとって 「羅生門」 以上の衝撃だったのだ。

1954年、フェリーニの最初の傑作 「ラ・ストラーダ」(邦題 「道」)が公開され、世界に大きな衝撃を与えた。
「白痴」のムイシュキンは ジェルソミーナ となって、このイタリアの
地に甦ったのだ。
http://white-knight.blog.so-net.ne.jp/2007-02-01
46投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 03時40分54秒

「道」 から28年が過ぎた1982年9月、ヴェネチア国際映画祭
創立50周年を記念して設けられた 獅子の中の獅子賞
(歴代グランプリ中の最高傑作)として、満場一致で「羅生門」
が選出された。

選定にあたって諮問を受けたフェリーニは こう述べた。

「我々映画人はクロサワから多くのことを学んだ。
クロサワは映画界にとって最大の恩人である。
どれだけ感謝しても足りるものではない。
映画祭50周年にあたり、最も優れた映画を1本
選べというなら、私は迷わず「羅生門」を推挙する。

この偉大な映画を世界で最初に見出したのが、
わがヴェネチアだったという事実は、イタリア人に
とって何よりの名誉である」
47投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 03時56分40秒

黒澤伝説はここから始まった, 2008/7/26

“羅生門”は今では日本文化・芸術を代表する作品の一つになってしまった、と言っても過言ではないと思います。 外国人のほうが日本人より鑑賞眼があるーなどど言う気は毛頭ありませんが、こと“羅生門”に関して言えば、“よく分からない映画”という評論が支配的だったという国内の状況より、国際映画祭の批評家たちの方が慧眼だったーと言えるのではないでしょうか。 世界人類が共通に抱えている問題を画期的な映像表現で描き出し、その世界的価値に日本人自身が気が付かなかったわけですから。

同じ事象でも、見る人によって感じ方、捉え方がまったく違うーという、言ってみれば20世紀後半のポストモダニズムを先取りしているわけですが、そんな小難しいことを言わずとも、人間の本質に切り込む先鋭的な内容をめくるめくような映像美でとらえたエンターテイメントとして現在でも通用すると思います。 

実は私、アメリカの大学で“映画史”の授業を二度取った事があるのですが、いずれの場合も“羅生門”が上映された時の、学生たちの画面に食い入るような反応が忘れられません。 “国民の創生”とか、“戦艦ポチョムキン”や“市民ケーン”といった欧米の歴史的名作が上映された時とは、ディスカッションの場においてもみんなの熱の入りようがまるで違っていました。 

それらの作品が映画史においては、技術的・理論的な革新をもたらしたのに過ぎないのに対して、“羅生門”のもつ、人間の心の闇に肉薄する答えのない問いかけーという内容は時代が変わっても古びることがないのだと思います。 基本的に、古いものーそれも昔の外国映画などにまったく興味の無いアメリカの一般の若者たちに引き起こしたあの反応は、この作品の持つ底知れぬ力を純粋に証明するに足るものではないでしょうか?
http://www.amazon.co.jp/%E7%BE%85%E7%94%9F%E9%96%80-DVD-%E9%BB%92%E6%BE%A4%E6%98%8E/dp/B0014IMRQM
48投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 04時02分51秒

映画評論家の佐藤忠男が「白州の場面のシンプルなイメージはどこから出てくるのでしょう?」 と訊ねたところ、黒澤は 「やはり能ですね」 と明快に答えた。

「白州の場面」とは、検非違使 の庭で行われた“取り調べ場面”
のことである。この場面は、正面に据えられたカメラに向かって、各証言者がカメラ目線で独白するという ユニークな趣向で、画面いっぱいに
白い砂が敷き詰められており、「証言をする人物が前面に位置し
他の人物は右後ろに小さく並ぶ」 という構図になっている。

この構図は、確かに従来の映画にはない奇抜なものではあったが、
何度か「能」を観賞した人なら、シテ方(主役)と その後ろの囃子方
の位置関係が そのままイメージされているのが分かるだろう。

まだこの映画を見たことのない人は、活字で読む限り
「羅生門」に 時代がかった退屈なイメージを持つと思う。
時代は平安時代、能を取り入れた伝統の様式美・・・・これでは
「王朝絵巻のような 時代がかって退屈な映画」 以外の具体的
イメージを持てというほうがムリだ。

封切り当時、多くの観客が、そんな先入観で頭を一杯にして
映画を観、そして裏切られた。
でも、不思議なことに 客の入りは悪くなかった。
ほとんどの映画館が満員だったという記録が残っている。
(不入りだったというのは、後から作られた“伝説”です)
49投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 04時05分59秒

人々の “満足” は別の所にあった。
映画を観た人の口伝えに、三船敏郎と京マチ子の扇情的なキス
シーンやレイプ場面が 密かに話題になっていたのだ。
人々は、まるで “成人映画” を観る感覚で「羅生門」を観に行き
画面にくぎ付けになった。

じつに、「羅生門」は “ケモノの匂い” のする映画だった。
盗賊多襄丸を演じる三船敏郎の、日本人離れしたエネルギッシュで
ギラギラした野性。

人妻・真砂を演じる京マチ子の、西洋人のようなグラマラスな肉体。
盗賊が女を犯す場面やキスシーンの欲望むき出しの刺激的演出。

しかも、全編にわたって流れる音の基調は “ボレロのリズム” だ。
当時の観客からすれば、どこをどう探しても“日本的情緒の片鱗”さえ
見いだせないこの映画に心底面くらい、“真のねらいや価値”について
考える余裕など持てなかったのである。

そう、すべては “タブー”だったのだ。
夏の太陽にカメラを向けることも、
ギラギラした欲望を大胆に解き放つことも。
そんな黒澤の野心的演出に、保守的な批評家たちは
内心面食らったのだろう。
http://white-knight.blog.so-net.ne.jp/2007-02-01
50投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 04時15分02秒

日本映画が世界を驚かせた端緒となった作品です。
実際、今見ても非常に見事な作品だと思います。
物語は神話的であり、それ故、普遍性に満ち、黒澤作品の中でもこれから評価が高まるでしょう。

映画は、冒頭の篠付くような豪雨に、半壊した大門、羅生門の描写から、異様な予感をはらみます。これだけで断然たる出来です。

そして最初のセリフが「わからない。さっぱりわからない」と来る。
いきなり映画のテーマ、結論を言ってしまっているんですが、その後の映像が見事なので、まったく退屈しない。

呆然と空を見上げるシーンから登場する三船は、唐突に狂騒的な笑いを発し、森を駆ける様は野生そのものです。
その三船が女の手を引き、森を疾走するだけでスリルが高まります。
京マチ子の体現した、女の性の際どさと、刃の鋭さ、その毒性の濃厚さ。
そう言えば近年、このレベルの高度なエロティシズムは見かけませんね。

その時の感情と共に、幾たびも幾たびも姿を変えては再生される「客観的と主張される記憶」この人として内包する根源的な矛盾を突き、
「羅生門の鬼ですら、人の恐ろしさに逃げ出した」という深遠を問うことに成功したから、この映画は永遠の命を得たのだ、と思うのです。
http://harukun1147.cocolog-nifty.com/firosofianholiday/2008/04/post_4dcf.html
51投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 04時33分52秒

この映画は、夫の目の前での強姦、という当時としてはショッキングな題材と、ひとつの事件を少しずつストーリーと描写のタッチを変えて4とおりに物語り直すという奇抜な構成と、ひとつの事件が4とおりに解釈できるという皮肉な内容、などで、当時としてはもっとも前衛的な作品であった。

また、そういう形式面だけでなく、三船敏郎の奔放自在な暴れん坊ぶり、京マチ子の美しさと必死の眼差しもものすごい熱演、森雅之のシニックな苦渋に充ちた眼線など、演技も充実していたし、なによりも、木の葉の聞から射す太陽光線をさんらんとちりばめて光と影の交響詩をつくり出した宮川一夫のカメラが絶品であった。

黒澤明の演出も、この作品あたりが、もっともフット・ワークの弾みがあって、カメラを良く動かし、カッティングもリズム感の粋をきわめていた。

一般にこの作品は、真実は分らない、という深刻な哲学的な問題を提出したものとして、当時は難解な作品のように批評されたが、はたしてそうだろうか。強姦された女が、逆に男を手玉にとることもあり得る、というあたり、じつに大胆な下剋上思想だとも見えるではないか。少なくとも、この作品は、感覚的には、決して深刻に沈み込んだものではなく、むしろ逆に、撥刹と躍動する生の謳歌だった。

黒澤明自身は戦前のフランスの前衛映画で見たような光と影の効果の面白さが主なねらいだったと言っている。
http://nihon.eigajiten.com/rasyoumon.htm
52投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 13時57分33秒

娘でございますか? 
娘の名は真砂(まさご)、年は十九歳でございます。

これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが、
まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。

顔は色の浅黒い、
左の眼尻(めじり)に黒子(ほくろ)のある、小さい瓜実顔(うりざねがお)でございます。


わたしは昨日(きのう)の午(ひる)少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子(ひょうし)に、牟子(むし)の垂絹(たれぎぬ)が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。

ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、
一つにはそのためもあったのでしょう、
わたしにはあの女の顔が、女菩薩(にょぼさつ)のように見えたのです。

わたしはその咄嗟(とっさ)の間(あいだ)に、
たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。

女は市女笠(いちめがさ)を脱いだまま、
わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。

ところがそこへ来て見ると、男は杉の根に縛(しば)られている、

――女はそれを一目見るなり、
いつのまに懐(ふところ)から出していたか、きらりと小刀(さすが)を引き抜きました。

わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈(はげ)しい女は、一人も見た事がありません。

もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹(ひばら)を突かれたでしょう。

いや、それは身を躱(かわ)したところが、
無二無三に斬り立てられる内には、どんな怪我(けが)も仕兼ねなかったのです。

が、わたしも多襄丸(たじょうまる)ですから、
どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀(さすが)を打ち落しました。

いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。

わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。




53投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 13時59分30秒

泣き伏した女を後(あと)に、藪の外へ逃げようとすると、
女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋(すが)りつきました。

しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、
あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、

二人の男に恥(はじ)を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。

いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、

――そうも喘(あえ)ぎ喘ぎ云うのです。

わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。

(陰鬱なる興奮)

こんな事を申し上げると、
きっとわたしはあなた方より残酷(ざんこく)な人間に見えるでしょう。

しかしそれはあなた方が、あの女の顔を見ないからです。

殊にその一瞬間の、燃えるような瞳(ひとみ)を見ないからです。

わたしは女と眼を合せた時、
たとい神鳴(かみなり)に打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。

妻にしたい、

――わたしの念頭(ねんとう)にあったのは、ただこう云う一事だけです。

54投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 14時02分10秒

盗人(ぬすびと)は妻を手ごめにすると、
そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。

おれは勿論口は利(き)けない。
体も杉の根に縛(しば)られている。

が、おれはその間(あいだ)に、何度も妻へ目くばせをした。

この男の云う事を真(ま)に受けるな、
何を云っても嘘と思え、
―― おれはそんな意味を伝えたいと思った。

しかし妻は悄然(しょうぜん)と笹の落葉に坐ったなり、じっと膝へ目をやっている。

それがどうも盗人の言葉に、聞き入っているように見えるではないか?

 おれは妬(ねたま)しさに身悶(みもだ)えをした。

が、盗人はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。

一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合うまい。

そんな夫に連れ添っているより、
自分の妻になる気はないか? 

自分はいとしいと思えばこそ、大それた真似も働いたのだ、
盗人はとうとう大胆(だいたん)にも、そう云う話さえ持ち出した。

盗人にこう云われると、妻はうっとりと顔を擡(もた)げた。
おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。

しかしその美しい妻は、
現在縛られたおれを前に、何と盗人に返事をしたか? 

おれは中有(ちゅうう)に迷っていても、
妻の返事を思い出すごとに、嗔恚(しんい)に燃えなかったためしはない。

55投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 14時02分30秒

妻は確かにこう云った、

―― 「ではどこへでもつれて行って下さい。」

 (長き沈黙)

妻の罪はそれだけではない。

それだけならば
この闇(やみ)の中に、いまほどおれも苦しみはしまい。

しかし
妻は夢のように、
盗人に手をとられながら、藪の外へ行こうとすると、
たちまち顔色(がんしよく)を失ったなり、杉の根のおれを指さした。

「あの人を殺して下さい。
 わたしはあの人が生きていては、あなたと一しょにはいられません。」

――
 妻は気が狂ったように、何度もこう叫び立てた。

「あの人を殺して下さい。」

――
 この言葉は嵐のように、
今でも遠い闇の底へ、まっ逆様(さかさま)におれを吹き落そうとする。

一度でも
このくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 

一度でもこのくらい
呪(のろ)わしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか?

 一度でもこのくらい、
―― (突然迸(ほとばし)るごとき嘲笑(ちょうしょう))

その言葉を聞いた時は、盗人さえ色を失ってしまった。

「あの人を殺して下さい。」

http://hwm6.gyao.ne.jp/shin1bb/nagabanasi/rasyoumon.html
56投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 14時27分19秒

橋本忍 『複眼の映像 -- 私と黒澤明』

共同脚本、というのは黒澤の専売特許なのか?そんなことはないはずである。小津安二郎もやっていたはずだ(しかし、<共同>の形態がちがっているのだろう)。

黒澤のやり方は、全く同じ場面を2人〜3人が描き、仲裁を別のライターが行う、というやりかた。                                  
なぜ共同なのか?黒澤は、監督の自分だけで書くと、現場で辛くなる書き方をつい省略するから、であると説明する、
  が、
橋本忍はそれは、まっ赤な嘘である、という。黒澤はそんなことができるわけがない。共同でやればいいものができるから。それだけである。しかし、一人で描けば一月で仕上がるところ、複数でやれば数ヶ月、最悪半年かかる。しかも、ニッポンの代表的なライターをこの間、二本でも有数のシナリをライターを拘束するのだから会社の出費が馬鹿にならないし、ライターにとっても稼ぎが減る。

乱や影武者の失敗は、黒澤が編み出した共同執筆という形式を放棄し、黒澤の独断で書いたため、である。

しかし、力があり自尊心の強いライターを従えてリーダーシップをとれる監督が黒澤以外にいはしない。

黒澤のすぐれたところは人物の造形力である。大学ノート一杯に登場人物の造形をやっていく。絵コンテも描く。
57投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 14時29分24秒

橋本は、黒澤の助監督であった野村芳太郎(『砂の器』監督)に尋ねた: 「黒澤さんにとって、私、橋本忍って、いったいなんだったのでしょう?」

野村「黒澤さんにとって橋本忍は会ってはいけない男だったんです」

  「そんな男に会い、『羅生門』なんて映画を撮り、外国でそれが戦後初めての賞などを取ったりしたから、映画にとって無縁な、思想とか哲学、社会性まで作品へ持ち込むことになり、どれもこれも妙に構え、重い、しんどいものになった」

橋本「しかし、野村さん、それじゃ、黒澤さんのレパートリーから『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』が?」

野村「それらはないほうがよかったのです」

  「それらがなくても、黒澤さんは世界の黒澤に。。現在のような虚名に近いクロサワではなく、もっとリアルで現実的な巨匠の黒澤明になっています」

  「僕は黒澤さんに二本ついたから、どれほどの演出力。。つまり、力があるかを知っています。彼の映像感覚は世界的なレベルを超えており、その上、自己の作品をさらに飛躍させる、際限もない強いエネルギッシュなものに溢れている。だから。。。いいですか、よけいな夾雑物がなく、純粋に。。純粋にですよ、映画のおもしろみのみ追求していけば、彼はビリーワイルダーにウイリアムワイラーを足し、2で割ったような監督になったはずです」
58投稿者:姉妹編_羅生門  投稿日:2009年03月22日(日) 14時41分18秒

「ビリーワイルダーより巧く、大作にはワイラーよりも足腰が強靱で絵が鋭く切れる。その監督がどんな映画を作るのか。。橋本さんにもわかるはずです。。。文字どおり掛け値なしの、世界の映画の王様に。。橋本さんはそうは思いませんか?」

映画『乱』の試写会。橋本忍は、焼け落ちる城から、白髪を逆立てた幽鬼のような老人(リア王〜仲代達矢)がふらふら出てくるのをみて、口の中で声をあげた。この老人が黒澤明に見えたのだ。

黒澤は独断的な芸術家になってしまった。わたしも、『赤髭』より後の黒澤作品は何度見ても、最後に到着する前に、途中で放り投げてしまっている。NHKのメーキングフィルムをみると、黒澤はスタッフや俳優をどなりまくっている。

「きみは下手なんだから、端っこにいろ!真ん中に出てくるんじゃない!」 

聴くに堪えない罵詈雑言である。私が俳優だったら監督を殴り倒してオサラバするだろう。それでも黒澤を許せるのは彼の飽くなき努力ゆえ、である。おなじNHKの番組で谷口千吉(監督)が語っている。

「ぼくと黒澤は戦時中、あるブリキ屋に下宿していた。深夜になっても黒澤はシナリオを書いている。おい、寝られネエじゃねえか!電灯を消せ!と怒鳴る。背の高い黒澤が立って電灯を消す。ところがしばらくすると畳の上に蝋を垂らして蝋燭を立て、また、書き出す。ぼくと黒澤に差があるのはこの辺ですね」
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-05-05
59投稿者:世界の「ミヤガワ」  投稿日:2009年03月22日(日) 14時47分19秒

宮川一夫は、映画監督として世界の「クロサワ」と呼ばれる黒澤明と同じで、映画撮影技師として世界の「ミヤガワ」と称された、偉大な映画カメラマンです。彼の作風は、溝口健二や黒澤明などの名監督の作品において大きな役割をはたしました。宮川のカメラワークなしには、溝口も黒澤も世界の映画コンクールで数々の栄誉には輝かなかったと言っても過言ではありません。今回は、この宮川一夫の撮影テクニックと映画において表現された宮川芸術を紹介します。

カメラマンの丁稚奉公

1908年生まれの宮川は、昭和元年に、ふとしたことがきっかけで映画の世界に足を踏み入れました。当時、スチルカメラに興味を持っていた宮川青年は、友人が日活撮影所にいた関係で、しばしば彼にフィルムの現像を頼みました。その見返りとして日活野球部の助っ人をしているうちに、撮影所の仕事を手伝うようになりました。現在のようにカメラマンの専門学校があるわけではありませんから、3年間の現像処理の仕事に続き、その後12年間の撮影助手、例えば、カメラのピントのみを手動で合わせるピントマンを経験し、晴れて撮影技師になることができました。この時の15年間の修行が宮川にとって、撮影テクニックの基本を習得する場であったと後に述べています。サイレント時代からカメラマンをしていた宮川の作品の多くは、白黒です。彼は映画作品だけで、136の作品にカメラマンとして関わりましたが、その半分以上がモノクロ作品でした。しかし、その単色の作品で最も色を感じさせることのできる色調を出せたのは、世界において宮川カメラマンをおいて他にいません。
60投稿者:世界の「ミヤガワ」  投稿日:2009年03月22日(日) 14時54分41秒

日本の水墨画を感じさせるカメラワーク

宮川が撮影でこだわったのは、鼠(ねずみ)色です。白黒映画は単純に言えば、白と黒の2階調ですが、鼠色には無限の色があるというのが彼の持論でした。

宮川に日本画を教えた先生が、彼に絵の具を一切使わせなかったため、彼は鼠色の中で自然の色を表現しようと努力しました。その教えが後のカメラワークに多大な影響を与えています。白黒映画は、その色の階調から光と影の表現が重要でした。従って、光と影のコントラスト、その中間に位置する鼠色の表現方法により、作品の雰囲気が大幅に変わりました。

カラー時代のカメラワークが、動きやカットの仕方に重きを置いているのと比べて、白黒時代は、光と影のコントラストをどう表現するかにより、硬調か軟調かの絵作りを監督や脚本家も含めて、論じられました。そのためか、カメラマンの技量や美的センスがより作品に反映されたのも事実です。宮川はモノトーンで自分が育った京都の色彩を出していたと言っています。

「羅生門」で見せたカメラワークの芸術

1950年の作品、「羅生門」は黒澤監督にとっても、宮川にとっても、ターニングポイントとなった作品です。もともと軟調指向の宮川のカメラワークは、ダイナミックな絵作りを目指す黒澤とは相容れない部分がありました。監督から「太陽を画調としてどう考えるか?」という難題を投げかけられて、宮川が答えたのは、「白と黒と鼠、この3つの色でこの映画を撮りたい」というものでした。

監督は了解し、最初の難題が、「羅生門」の話の中で、主役となる盗賊と暴行を受ける侍の妻との抱擁シーンでした。2人のバックに太陽が背景に映っているコントラストの強いカットを望んだのです。

しかし、一般に太陽を大きく撮るには望遠レンズが必要ですし、通常、人物を撮るのは標準レンズです。ズームカメラなどない時代ですから、ほとんど手作りの手法を編み出すしかありません。そこで考えられたのが、25メートルの高さのやぐらの上で三船敏郎と京マチ子の2人に演技してもらい、それを下から太陽を背に撮りながら絞りを最小にして、2人と太陽をくっきりと撮影しました。

何のことはない原始的な方法ですが、必要に応じて様々な撮影方法を試しました。批評家から絶賛された薮(森)のなかのシーン。例えば、三船が延々と薮の中を走りまくるシーン、森の中の木洩れ日や風にゆれる木の葉の影など、海外のカメラマンを驚嘆させました。

タネを明かせば、延々と走っているのは同じところで、カットにより走り続けるように見せたのです。三船が走る前に現れる木の葉は、撮影助手がレンズの前に枝を置いたもの、森の中での影の絞り込みは、鏡に光を反射させて陰影を表現したもの、すべて宮川のスタッフが手作りで表現した特殊効果など一切ない世界です。

このような絶え間ない努力と工夫が、黒澤の作品を色彩感が強いダイナミックな作品に仕上げました。そして結果が、翌年のベネチアの映画祭におけるグランプリ受賞です。
61投稿者:世界の「ミヤガワ」  投稿日:2009年03月22日(日) 15時07分37秒

フィルム1コマの集中

宮川が後輩のカメラマンに残した言葉で、意味深いものがあります。要約しますと「映画の1コマに集中する情熱。例えば、茶碗一つ取るにしても、そこに暖かな雰囲気をだす細かな神経が必要である。脚本を読んで、それが熱いお茶か冷たいお茶かをきちんと描くことが大事である」

さらにこう続けています。「手作りで1コマ1コマ描くというと、時間がかかってしょうがないと言うが、それは違う。カメラを構えて、1コマにいかにスタッフの思いを注ぐか、時間がかかるものではない。そういう見極め方や、内容の把握の仕方がとても大切なのです」

確かになにを創るにも、作者の思いがなければ、たとえ技巧的に優れていても、結果はつまらないものになりがちです。物の見極め方や内容を把握する力は、実は普段からの旺盛な好奇心や学習から得られるもので、長い時間をかけて身につくものです。勉強家で芸術に造詣が深かった宮川だからこそ、あの独特で美しい映像が表現し得たと言えるでしょう。そういう意味でも、宮川一夫は世界的に傑出したカメラマンでした。(nao)


宮川一夫の略歴

本名宮川一雄 1908年(明治41年)2月25日、京都市生まれ。京都商卒業後、18歳で日活京都へ現像部助手として入社する。撮影技師(カメラマン)昇進第1作は「お千代傘」(尾崎純監督)。43年(昭和18年)の「無法松の一生」(稲垣浩監督)の美しい映像で高い評価を得て、溝口健二、黒沢明、小津安二郎、市川崑監督ら巨匠の作品を撮影し始める。

黒沢監督との初コンビ「羅生門」(50年)は、日本映画史上初の国際賞となるベネチア国際映画祭金獅子(きんじし)賞を受賞。

「雨月物語」(溝口監督)は英国エジンバラ芸術祭で最高賞受賞。

「用心棒」(黒沢監督)などでNHK映画賞撮影賞。「おとうと」「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」「瀬戸内少年野球団」などで毎日映画コンクール撮影賞など、受賞多数。

78年に紫綬褒章、83年に勲4等旭日小綬章。92年(平成4年)には山路ふみ子文化賞、川喜多賞を受賞。映画134本、テレビ映画8本を撮影。宮川最後の作品は篠田正浩監督の「舞姫」(89年)。
http://www.mozartant.com/Jordan/Movie_Play/Miyagawa_camera.htm
62投稿者:ワンシーン・ワンカット  投稿日:2009年03月22日(日) 15時40分46秒

世界の映画作家が溝口作品に注目し、フランスのヌーベル・バーグ作家たちに強い影響を与えたのが、一般に“ワンシーン・ワンカット”と呼ばれる長回しの手法である。

 溝口健二登場以前は、モンタージュ理論に代表されるように、細かなカットを積み重ねて一つのシークエンスを積み立てるのが定石だった。しかし溝口は、カットを切ることによって俳優の演技が寸断されることを嫌い、芝居を持続させることを望んだ。彼は、カットを短く切り返して見せると訴え方が弱い、という意味のことを自ら語っている。

 また、溝口は移動撮影やクレーンからの撮影を積極的に取り入れ、特にクレーンを好んだ。戦中の『元禄忠臣蔵』では、舞台演劇的な動きの少ない場面で演者の周りを移動撮影して独得の荘重なリズム感を生み出し、作品を死の静謐から逃れさせることに成功する。のちの『西鶴一代女』や『雨月物語』等では、登場人物や観客の感情を反映したようなカメラの動きがあり、観客が作品世界に没入するのを助けた。

 戦後、大映に入ってからは名カメラマン宮川一夫(1908-1999)を得た。彼は移動・クレーン撮影において超絶的な技巧を発揮し、『雨月物語』では全体の約七割をクレーンで撮影して幽玄な雰囲気を生み出し、ワンシーン・ワンカットの手法を完成させたと評された。

『新・平家物語』では冒頭の群衆シーンを自在に動く視点からの長いワンカットで撮り、一見して信じられなかったジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーは映写室に入ってフィルムを確かめたという。
http://www.fsinet.or.jp/~fight/mizoguchi/01.htm
63投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 16時03分33秒

山椒大夫 1954・大映

監督:溝口健二
原作:森 鴎外
脚本:八尋不二
   依田義賢
撮影:宮川一夫
音楽:早坂文雄

キャスト (役名)
田中絹代 (玉木)
花柳喜章 (厨子王)
香川京子 (安寿)
清水将夫 (平正氏)
進藤英太郎(山椒大夫)

http://www.youtube.com/watch?v=UGKDJuekQ_4
http://www.youtube.com/watch?v=-FniLplE_Jo
http://www.youtube.com/watch?v=Hs1oNqqwsiI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=_7mG2bPGyTc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ku8uL2yxU8A
http://www.youtube.com/watch?v=8XToW2OK--0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Rf8mUcFZAok&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=EVDcNm6WXZc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=gF1GiWaTSR8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=tYCQv9vDpBw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ifvwKZefza8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=xiUXLlnBLXw&feature=related
64投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 16時40分25秒

〔『山椒大夫』の撮影で〕溝口監督は、ここで次から次へと註文を出し始めた。それも一遍に全てを説明するのでなく、眼前に演じられるシーンにかぶせて、新しいイメージを追うといった感じで。そのたびにディテールが変化する。

初め厨子王が泣いたとき、「泣くのではない。涙をふくのだ」というし、次には「もっと身体を廻して」とダメを出す。

終[つい]には「動きより、感情だ」という言葉さえ出た。その時、溝口監督が背中に組んだ手を叩き合されながら〔原文ママ〕、細かく興奮に震えさえしていた。が、不思議にそういった氏の指導で、情景が次第に凝結してゆくのは事実だ。

 それから、安寿の前に進みよった厨子王が「逃げよう」という。脚本では、「安寿が息をつめて、厨子王の顔を見る」とあるが、溝口監督は、すぐに山椒大夫の屋敷というか三の木戸か、とにかく敵の方を反射的に見るんだ、という演出を行った。

これは、立派な解釈にちがいない。が、それより驚いたのは、この説明に、「抵抗物の方向」とか、あるいは「抵抗物の反射」とかいった生硬な言葉が、氏の口から飛んで出たことだ。
(外村完二「溝口健二監督の『山椒大夫』」『溝口健二集成』124頁)
http://www.fsinet.or.jp/~fight/mizoguchi/episode.htm
65投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 16時43分49秒

原作では確か安寿が姉で厨子王が弟だったと思う。それがこの映画では厨子王が兄で安寿が妹となっているのだが、これはおそらく花柳喜章と香川京子というキャストの年齢の問題なのだろう。しかし、これは結果的にはただ姉弟が兄妹に変わっただけという以上の効果を生んでしまった。元の物語では姉が弟を救うために命を捨てるということになるのだが、この映画では兄が妹を見捨てたというように写ってしまうのだ。

 これは非常に大きな違いだと思うが、ここには実は溝口らしさが現れているとも考えられる。つまり、溝口の映画がずっと扱い続けるひとつのパターンである、情けない男が女の助けで何とか立ち行くという構造がより強調されてくるのだ。

これまでは基本的には年上の女に助けられる男という構図が多かったのだが、ここでは兄が妹に助けられるという構図になっている。厨子王は10年の間にまるで駄目な男になってしまい、妹にたきつけられてようやく行動を起こし、しかも妹の自分が犠牲になるという提案をいとも簡単に受け入れてしまう。

この厨子王の情けなさ、それに比べて安寿の気高きこと、この対比がまさに溝口。この逆転はキャスティングに端を発っしたことは確かだ、それが結果的に溝口らしさを強調する結果になったのだ。確かにちょっとやりすぎで説得力がないという感じもしなくはないが、安寿を演じる香川京子が静々と水の中に入って行くシーンは映画史に残る名シーンであると思う。

 このシーンもそうだが、この作品の溝口はいわゆる溝口らしいとされる1シーン=1ショットにあまりこだわっていないように見える。この入水自殺のシーンでは、腰の辺りまで静々と歩んで行くシーンが1カットで続き、老婆の横顔のインサートショットがあって、池に波紋が広がるだけのカットがそれに続く。このような効果的なカット割がこの作品では随所に見える。それでももちろん1カットの長さは十分に長いのだが、「ここまでやるか」というこだわりのようなものが感じられるようなシーンはあまりない。

 そのせいで、この映画は溝口にしては少し凡庸な印象がある。映像自体は非常に美しいのだが、溝口らしい緊張感には少々欠け、どこか安心して見れてしまうのだ。
66投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 16時45分19秒

しかし、田中絹代の登場シーンはまた別だ。遊女として売られ、奴隷のような日々を過ごし、果ては逃亡しないように足の腱まで切られながらもずっと子供たちのことだけを考え続ける女、玉木。

この玉木を演じる田中絹代をカメラが捉えるときだけは、カメラはじっくりとこの玉木の一挙手一投足に注目する。しかも、多くの場合それはフルショット(全身がフレームに収まるサイズ)といういかにも溝口らしいサイズの画面で取られている。この玉木が崖の上で安寿と厨子王の名前を呼ぶシーンの緊張感、これは溝口の映画でなくては味わえないものである。

 こう考えてみると、この映画もやはり女性が主役だ。物語としては厨子王が中心になっているようだけれど、その物語を動かし、映画の中心になるのは安寿と玉木である。

厨子王が担うのは、戦後民主主義的な思想という戦後溝口が失敗し続けてきたテーマであり、この平安時代を舞台した古い説話とはどうにもすりあわせようのないテーマだから、なおさらにそのようなことを感じる。

 溝口はこの作品でさすがの映像的表現のすばらしさを観客に見せはしたが、テーマについては今ひとつ掴みきれていなかったのではないだろうか。平安という価値観の異なるかけ離れた時代、これをリアリズムで描くのはさすがの溝口でも難しかったというところだろうか。
http://www.cinema-today.net/0503/28p.html
67投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 16時50分14秒

舞台美術が美しい。この時代の大監督が撮る映画のセットはかなり金がかかってるはず。山椒大夫の屋敷の造りや荘園、衣装はかなりこだわってるし、だいたいエキストラの数からして多い。馬もいっぱい。

宮川一夫のカメラワークで、物語の起伏とは別に、特に印象に残っ
た場面が三つある。

一つ目は父に会いに行く旅の途中、四人がススキの合間を縫うように歩く場面。いい感じに風が吹いてススキが靡き、日本の中世的な美しさと物語の行く手に潜む不安が画面から滲んでくる。

二つ目は、僧侶に扮した厨子王が都を望む山を降る場面。この単純に見えるカメラワークの躍動感はやばい。カメラクレーンが動き出すタイミングといい、山の斜面との角度といい、思わず唸り声を上げてしまった。これを撮るのに何テイク費やしたのだろうか。まさに溝口健二×宮川一夫。

三つ目はラストの浜辺の長回し。アフレコと思われる厨子王と漁夫の会話の後、どこからともなく歌が聞こえてきて、その声に向かって歩く厨子王が母を見つける場面。小屋の位置が非常に良い。ただ動画として取り出しただけでも素晴らしいカットを、物語のクライマックスにもってくる溝口健二の力量には圧巻。

出演俳優は皆うまかった。特に香川京子(安寿)は画面に写っているだけで華があった。グッと観客を引き寄せるので、入水自殺のシーンがより一層際立つ。

幼い厨子王をあの津川雅彦(加藤雅彦)が演じてたのを知ってびっくりした。ただ、主演の花柳喜章(厨子王)は、歌舞伎の女形特有の上擦るゆうな発声の仕方や演技がどうも好きになれなかった。当時の欧人はどのようにこの演技を見たのだろうか。奴卑解放の時の長ゼリフが聞き取りにくく迫力にかけると感じた。人間国宝、花柳章太郎の息子らしい。

物語は、奴卑解放の風刺的ヒューマニズムを日本的仏教的情緒的な母子愛が包みこんでいる。主眼は日本的お涙ちょうだいの母子愛にあるのだろう。
国守となった厨子王が発する「上司の命に背くのか」とゆうセリフが風刺的ヒューマニズムを象徴してると思う。平安時代の国守は絶対に「上司の命に・・・」などとは言わないはずだ。

幼い厨子王→安寿→厨子王と、観客の感情を移入させやすい主人公を順に以降させながら見せていき、風刺的ヒューマニズムをつくっていく。しかし、最後の締めは、田中絹代演じる母玉木との再会であり、日本的もしくは仏教的な愛のかたちを見せたかったのかなと思う。
http://retujyou.com/2008/04/15/sansyoudayuu/
68投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 18時46分34秒

香川京子の聞き書き

▼溝口監督は「西鶴一代女」「雨月物語」でベネチア映画祭の賞を連続受賞しているので撮影現場は厳粛な雰囲気が漂っていた。

▼『山椒大夫』は溝口監督が3年がかりで打ち込み、決定台本を出すまでに7回ほど改訂し、ロケ地の選定に2カ月も要した。

▼京都郊外の宇多野の小さな沼で入水場面を撮った。衣装の下に水着を着込んで出演した。歯の根も合わないほど寒さに震えた。幸い一回でOKになった。終了後、溝口監督から「香川君、風邪をひいてくれるなよ、ご苦労さん」といたわりの言葉をいただいた。


「安寿はつらい思いをして成長してきたので、監督さんのアイデアで安寿のメイクは奈良の興福寺の阿修羅像を参考に、憂いを含んだ眉と、メイクの係の方に注文された。

奈良に行き、初めて拝観したら怖ろしげな名前と裏腹に、インドかペルシャの王子様という表情の少年とも少女ともつかない美しさにほれぼれとした。この時、東大寺、唐招提寺、法隆寺など古寺を巡拝し、仏像が好きになった。」
http://blog.livedoor.jp/sabatasamezo/archives/51518561.html
69投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 18時48分52秒
これは、日本画ですね。
動く日本画。
表層をなぞった「和風」ではなく、日本美術のエッセンスが映画という媒体に昇華されている。
琳派の大胆が、水墨画の幽玄が、地獄絵の凄惨が、浮世絵の俗が、絵巻物をひろげるように物語る。

モノクロームでありながら、重さや暗さを感じない。
墨一色に抑えられているからこそ、無限の色彩が顕われ得る水墨画のような鮮やかさ。
長谷川等伯の「松林図」のように、豊かな色彩を感じる黒。

すすきの野を行く親子。
山椒大夫の残酷。
海を臨み、立ち尽くす母。
波紋を従えて水の中へ歩みゆく安寿。
浜辺をさまよう厨子王。

美しい。


その、美しい画と物語が分ちがたく結びつき、相互に深みを増す。
特に、安寿の入水シーンは物語を離れたタブローとしても純粋に美しいが、物語との関係性において、より悲壮に悲劇的に迫力を増す。美しさが説得力をもつ。
http://kiwamono.blog.so-net.ne.jp/2008-08-27-5
70投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 19時07分42秒

溝口健二のリアリズム

  溝口は映画『雨月物語』のベネチア映画祭銀獅子賞受賞式出席のためベネチアへ行く前、脚本家八尋不二氏に『山椒大夫』の脚本作成を依頼した(1)。1953年8月のことである。しかし、帰国後できあがった脚本を見た溝口は難色を示した。

  「八尋さんの脚本は鴎外の原作に素直についたもので、美しくまとめてありました。ところが果たして溝さんは
   「子供は困るのですがね、子供でなくやりたいのですがね」
   と言いました。(依田著書、356頁)」

  そこで、八尋から脚本作成をバトンタッチした依田は溝口の意図を探り始め、新たな脚本を書き上げる(2)。

  「この物語を、民話風の土の匂いから、荘園制度などにも目を向けて、社会劇風にしよ うとしたところに(わたしにも責任の一端はありますが)興味深いものあり、この作品 が民話よりも、仏教説話のような苦患地獄を描く態のものになっている点、溝さんに強 い仏教信仰の影響があったように思えてなりません。(依田著書、358頁)」

  溝口は「奴隷史から研究願います。奴隷経済についても充分に研究して下さいよ。」と要求した(依田著書、356頁)。

安寿役の香川京子にも平安期の女性木像の写真を見せ、「明日にでも寺へ行って、この像を見てきて下さい。それから、脚本のねらい、人物の性格、環境などはプロデューサーの辻君と、シナリオ・ライタアの依田君から、御説明申し上げますから、的確に掴んで下さい。それから、平安朝時代の建物や絵画などに目を通して下さい。寺や博物館は案内させますから。参考書として、経済史なども読んどいて下さい。奴隷史などもありますから」と告げた(依田著書、93頁)。

  溝口作品の脚本を数多く手がけた依田は、溝口のこうした姿勢を「一つの作品の社会的な観点にたった把握、思想的根底を、大事に据えつける」(依田著書、94頁)ものとして評価している。溝口のリアリズムとは、画面に映る風俗を考証するといった小手先の技術なのではない。

  溝口の時代考証が非常に厳密で、多くの調査に基づくものであることは多くの関係者の語るところである。彼は、様々な研究者に助言を求めた。『元禄忠臣蔵 前編』(1941年12月1日封切り)では綿密な考証のもと、原寸大の江戸城松の廊下のセットを組み上げた(3)。また、『新・平家物語』(1955年9月21日封切り)では、当時の風俗や器物を説明した冊子が配られている(4)。

  そして、『山椒大夫』にむけて「奴隷史」を学ぶべく、溝口の意をくんだ人物が、ある歴史研究者に接近することになる。
71投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 19時24分00秒

林屋辰三郎氏との出会い

  森鴎外の『山椒大夫』について、まず注目したのは柳田国男であった。柳田は鴎外の小説が出されるとすぐ「山荘太夫考」を発表した(5)。柳田は「この春(大正4年)の『中央公論』に森鴎外氏の書かれた山荘太夫の物語は、例のごとくもっとも活々とした昔話であった。」と鴎外の小説がきっかけとなって書き始めたことがわかる。

そして、山荘太夫の「山荘」という名前の由来を考えるのであるが、陰陽師を「サンショ」と呼んだ例を挙げ、「サン」とは「算」であり、占いの意味だとする。そして、この長者の話を語り広めた者の通称が「サンショ」(算所・散所・産所)であり、物語の名前そのものに転化していったと考えた。柳田の分析は、「サンショ」と被差別部落民、散所法師、そして芸能民との関わりに及んだ点に大きな意義がある。

林屋の散所論
『山椒大夫』の「サンショ」を被差別部落を指す言葉「散所」と解釈し、物語の舞台が「散所」であるとしたところが画期であった。すなわち、「さんせう太夫」その人を「散所」の「大夫」、長者と考えるのである。

  さらに、「散所」の「散」の解釈。これを林屋は「元来荘園の一部や社寺の境内に於いて地子物の免除されている地域を、散所と称した」と考えた。すなわち、「散」とは「免除」の意味なのである。「散所」という空間に定着した人間は、領主に対して年貢を納める義務を負わない。そのかわり、人身課役で奉仕するのである。全人格を提供して行う労働であるが故に、彼らはいわゆる「奴隷」として差別されることになる。実際、これらの労働は非農業的労働、すなわち運送や手工業に当てられた。

  搾取の根元は「散所」という「空間」なのである。その空間に入り込んだ者は、いかなる経歴の持ち主であろうと、長者から搾取されることとなる。国司の家族という高い身分にありながら、「散所」に入った以上安寿と厨子王はここでは「奴隷」となる他はないのである。

  そしてまた、「山椒大夫」その人も、荘園領主に支配される存在であった。散所の長者は、荘園領主と散所民との中間に位置し、散所民からの搾取をする一方で、荘園領主からその特権を保証されるのである。

  このような「散所」の長者は散所民と直接対峙することになる。それゆえ、民衆の解放の願いは長者の没落伝承を作り上げていく。

『さんせう太夫』の本質は霊験譚や出世譚にあるのではない。凝縮した形の散所民の解放への夢、搾取される民衆の復讐譚にこそ主題はある。だからこそ、『山椒大夫』において大夫は自己を反省したりしてはならない。民衆から復讐をされねばらなないのである。大夫が過去の悪行を悔い、民の扱いを改善したため家はますます栄えたとする森鴎外の小説は、その結論において決定的なミスを犯している。
72投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 19時31分07秒

映画『山椒大夫』の新しさ
 
小説『山椒大夫』(1)が説経節諸本(2)とどのような異同があるのか、をまず指摘しなければなるまい。 まず、説経節では曖昧であった時代設定を明確にしたこと。安寿と厨子王の父が左遷される年を永保元年(1081)に設定した。映画においても明示はされないが、踏襲されているようである(3)。

  また、説経節では弟を逃がした後の安寿は山椒大夫に折檻の末殺されている。鴎外は安寿を自殺させることで、山椒大夫の搾取の強烈さをぼやかしている。この点も、映画において踏襲されている。

  そして、結末。説経節では大夫は鋸引きの刑にあった。鴎外は先述したとおり、大夫に改心をさせている。こうした変更点こそ、鴎外の「近代的・人間的立場」(4)を示すものであろう。

  さて、溝口組は鴎外の小説をもとにしながら、林屋説の影響を強く受け、数々の改変を行っている。注目されるのは以下の三点である。

  まず、山椒大夫が京からやってきた荘園領主の使者を迎えるシーンの挿入である(5)。右大臣家の使者は「御領地見回り」のためにやってきた。このように、中間搾取主体としての「山椒大夫」の在り方も描かれている。説経節、小説ともにこのような供応する山椒大夫の様子は描いていない。より中世社会の実像に迫るシーンであろう。

  次に、散所を閉鎖空間と描いたこと。説経節、鴎外の小説ともに厨子王が外部の樵と接触する部分を描く。厨子王は彼らから柴の刈り方を習うのであるが(6)、映画では散所は周りを柵で囲まれた閉鎖空間で、外部との接触は不可能である。林屋説は、その空間に入ることで隷属が始まるとするのであるから、おそらくは閉鎖空間であることを想定しているであろう。溝口は、それを映像化したのである。

  さらに、山椒大夫の末路を破滅と描いたこと。鴎外は山椒大夫は改心し、家はますます栄えた、とした。

この点は、溝口が最も違和感を感じた点である。映画において、大夫は国外追放となり、さらに屋敷は解放された散所民たちによって略奪され、火が付けられている(7)。

  散所論ではないが、林屋は厨子王の父の設定にも言及している。当時の陸奥の状況を鑑みると、「国司の違格の罪にとわれたという父正氏は、律令的官人の実務者であり在地豪族の有力者ではあるが、古代国家の東北政策に対して反抗したことは明らかで、その点で彼は東北に於ける民衆的立場に立った人物とな」り、その背景に、平将門のイメージが重ねられていた、とする(8)。

この点は映画において重要なプロットとして採用されている。「奴隷解放」の思想は(9)、父から子へと受け継がれねばならない。安寿と厨子王の父は在地の百姓に慈悲をかけたため筑紫へ流罪となった。鴎外の小説では、「国司の違格に連座して、筑紫へ左遷せられた」とあり、また鴎外が典拠とした『寛文七年本説経節さんせう大夫』では「みかどの御かんきかうぶり」とある。溝口は、明らかに林屋のいうイメージを重ね合わせている。
73投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 20時01分27秒

映画『山椒大夫』に見える歴史学的知見

  まず、瀕死の老婆を捨てるシーン。病者を捨てる場所に石仏がある。これは、『餓鬼草子』からデザインを書いたもの(10)。それに縄を掛け端を老婆に握らせる。これは、藤原道長の臨終のシーンをヒントにした。(依田著書、350頁)

  次に、厨子王が国守となって任地へ赴くとき、境迎の儀式を行う。これは、意識的に挿入されたシーンである(『別冊太陽』37頁)。なお、説経節、小説とも厨子王は任国へ直接赴任はしていない(11)。

  さらに、佐渡の遊女宿の前の辻に、男根がまつられている。「(石仏などは)昔の絵巻を見ると本当に大衆の中に入り込んでいる。道端には必ず道祖神がある」(『別冊太陽』、54頁)という知見を映像に取り入れたものである。

  さて、美術助手内藤昭氏の証言をもとに、映画のセットの工夫についてもふれておこう(12)。山椒大夫の屋敷のシーンでは、どこからでも母屋つまり大夫の屋敷が見えるようにセットがくまれている。それは、「いつも対照として、奴隷たちの生活に対して大きな権力が見える」(『別冊太陽』、53頁)様にするためであった。また、奴隷たちが働く場面では、「相当悪い環境で労働をさせられている感じを出すため」(53頁)、地面を掘り起こして水をまき、ぬかるみを作った。

  溝口は、このようにリアリズムにこだわった。しかし、彼は常にすべて考証に従ったわけではない(13)。「時代考証はきちんとやらなければならない。しかし、わかっていて嘘をつくのは罪悪ではないという変な詭弁を持っている」(内藤発言、『別冊太陽』、五五頁)面もあった。研究の成果と映画創作とのバランスは、監督の感性にゆだねられていたのである。

  溝口は、「歴史的事実」と「物語」の世界とのバランスをただ一点誤った。厨子王の奴婢解放宣言に対して山椒大夫が「荘園には国守は手出しができない」事、すなわち「不入権」の論理を盾にして抵抗するシーンである。

  物語の設定が、荘園制が大きく展開する11世紀であるからこそ意味を持つ論理である。ここにも林屋の教示があったと想定できる。現実には、国司の権限によって荘園が所有する民を解放することはできない。階級闘争は、平安末期には成功し得ないのである。だからこそ、空想の物語の上では大夫への復讐がなされ、民衆の願望はカタルシスを得るのである。

  溝口はこの矛盾を解決することができなかった。そのため、この部分は話の展開が回りくどくなる。国守厨子王は、「高札の破壊」という罪でしか大夫を処罰することができなかった。ここはリアリズムを放棄し、階級闘争の成功をファンタジーと描く方が良かったのではなかろうか(14)。

  溝口はかくも林屋説に則った映像を作り上げている。映画『山椒大夫』は歴史研究者林屋の歴史観に、監督溝口が呼応したからこそできあがった映画なのである。


説経節『さんせう太夫』では、厨子王が大夫に復讐をするというストーリーであった。そこに、大夫所有の民をすべて「解放する」というプロットを入れ込んだのは森鴎外であった。鴎外は「伝説が人買の事に関しているので、書いているうちに奴隷解放問題なんぞに触れたのは、已むことを得ない」(前掲、「歴史其儘と歴史離れ」)と述べている。溝口の映画は、さらに「階級闘争」の要素を盛り込んだのである。
http://www.shc.usp.ac.jp/kyouraku/profile/thesis/movie.html
74投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 20時14分16秒

溝口健二監督の1954年の大映京都作品「山椒大夫」を初めて観た時、厨子王(花柳喜章)を逃した後、自殺する安寿(香川京子)の入水シーンの神々しさに、思わず身が震えたことを憶えています。

 撮影は、日本映画界が誇る名カメラマン、宮川一夫。そのカメラが捉えたショットの中間に木立があり、その木立の奥に湖が広がっています。カメラは据えっぱなしのワンショットで、静かな水面をたたえた湖に向かって安寿が進み、やがて、安寿の体は水中に消えていきます。
 たった、それだけの短いシーンですが、その時、ボクは息を詰めて目は画面に釘付けになっていたのでしょうね。

 神々しいという形容詞は普段、そう使われることはありませんが、このシーンが終わった後、フーッと息を継いだ時、「神々しい」という言葉がボクの頭の中にインプットされていました。

 溝口健二は映画の中で男社会なるがゆえに女が暴力を振るわれたり、不幸に泣いたり、いじめられたりする姿を繰り返し描いていますが、一般に、そうした女のさまざまな不幸を通して溝口健二は女性への贖罪を描いたといわれています。

 この「山椒大夫」もそうですね。だから、奴隷の身分から抜け出し、行方不明の両親を探すために兄の逃亡を可能にした妹のけなげさを讃えるため、その妹の最期を観る者に「神々しい」と感じさせるようなシーンが用意されたのだと思います。

 この作品を2度目に観た時、次にボクが注目したのは田中絹代が演じた母親の変貌でした。これは1回目では気がつかなかったことです。

75投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 20時16分28秒

映画「山椒大夫」では、溝口健二は田中絹代扮する母親を徹底的に堕としています。

 映画は母親と子ども2人が召使(浪花千栄子)を伴って旅をしているところから始まりますが、母親は役人(清水将夫)の妻として貴婦人然として登場します。

 その夫が大宰府の長官として赴任することになり、一家4人の別れの席で見せる田中絹代の艶然とした表情にゾクッとさせられます。ゾクッとなりながらも、観客は、この時に見せる田中絹代の表情を忘れてはいけません。
 
 次に田中絹代が登場するのは、佐渡のさびれた港町の遊女屋の遊女としてです。
 人買いの老婆(毛利菊枝)に騙されて母子は離散し、兄と妹は絶大な権力を持つ豪族・山椒大夫(進藤英太郎)の奴隷として売られ、辛酸をなめる日々が映画のメーンストーリーとして描かれますが、さて、一方の母親はどうなったか? といえば、貴婦人から遊女になっていたんですね。

 溝口さん、これだけではまだ足りなかったんでしょうね。
 遊女屋を逃げ出そうとした母親を、今度は歩行困難な女にしてしまいます。余談ながら、商品としての遊女の体にキズをつけて、それで遊女屋のオヤジは商売のモトが取れるんかいな? と余分な心配をしてしまいます^^

 最後に、田中絹代は髪は白髪混じりで、盲目の潮焼けした鳥追いの老婆として登場します。もはや、遊女としては役に立たなくなった後の海辺の粗末な小屋に住む老婆になっており、目が見えないことで村の子どもたちにからかられるのでしょう、人の言うことはすぐには信じない身も心もボロボロになったおばあさんです。

 だから、ようやく母親を探し当てて現れた厨子王のことも、すぐには自分の息子だとは信じません。

 この母親の変遷、ボクにはショックでした。美しい母親が自分の意思に反して遊女となり、やがて、潮焼けしたおばあさんになっていたという結末は、安寿の不幸よりもガーンでしたね。

 厨子王は息子と信じない母親に対して手をついて謝りますが、これぞ、溝口健二ですね。これだけ一人の女を堕とし続けて最後に映画の人物を通して溝口さん、女性に頭を下げています。

 でも・・・、待てよ。
 溝口健二が女性に対して映画では贖罪意識を持っていただけでは、最近のボクはどうも納まりません。
 若いころ、付き合っていた女性に痴話喧嘩の末、背中を刃物で切られたことがあるとか、妻が脳の病気を患って狂気に陥ったのは自分が性病をうつしてしまったからと信じていたとかの逸話は有名です。

 もちろん、ボクは溝口健二の私生活がどうであったかは知りませんが、映画を観る限り、映画で女性をいじめ抜いているものの、私生活ではその逆で、案外、「溝口健二というおのこ」は心に被虐性(いわゆる、マゾですな)を秘めていたおじさんではなかったんとちがうやろか? というのが最近のボクの思いです。

 この作品は森鴎外の原作をもとに溝口とは名コンビの依田義賢と大映時代劇を量産した八尋不二が脚本を担当し、美術が伊藤憙朔、音楽が早坂文雄という当時の日本映画のすごいメンバーが顔をそろえています。チーフ助監督は昨年末、あっちの世界に引っ越された田中徳三でおます。
http://oryu.blog53.fc2.com/blog-entry-120.html
76投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 20時30分48秒

 【玉木がアキレス腱を切られる】

  (1)玉木が逃げられないように大勢の女郎の前で親方に、足のすじ(アキレス腱)を切られる時の撮影では、その他の女郎が、みんなアッと同時に目を抑えてしゃがみ込むのです。

芝居が一つでは具合が悪いので私、宮嶋が一人ずつ振付をしました。その時溝口先生がやってきて私の腕を掴んで振り放すのです。「君は何と云う失礼な事をするんだ。俳優さんは夫々に自分を考えて演技をするものです。失礼な振り付け、俳優さんの仕事に手を出してはいけません。実際の心情説明をすればよろしい。」と叱られました。

女郎の中には売られて来て間もない若い娘と中年のこういう事件を見慣れた古手もいるのです。

「貴女はここへ来て何年も経って見慣れているのです。」
「貴女は売られてきたとこですから、初めてこれを見て気が狂いそうに為るほどに愕然とするでしょう」
「貴女は又やっているのかと可哀想に思いながらもシレッとして感情の反応が弱いのです。

と今私が言ったように夫々に役者としての立場を一人ずつ考えて下さい。テストまで5分待ちます。」と言い直しました。

    溝口先生は私を叱る事によって、それ以上に俳優さんを叱っておられたのでしょう。
   その方が俳優さんにとっ  ての効果は大きかったと思います。俳優さんにとってもこんなに親切な監督さん   はいなかったのです。溝口監  督は大部屋の俳優さんたちの信頼と尊敬を集めておられた所以ですこのよ   うな溝口組の私のやった仕事は、本当はチーフのやるべき仕事なのです。チーフはどこにいたのでしょう。

http://tsune.air-nifty.com/miyajima/2008/02/post_3455.html
77投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 20時37分43秒

助監督の田中徳三さんの言によれば、溝口本人は決して乗り気で創った作品ではなかったようです。 確かに“祇園の姉妹”“残菊物語”“西鶴一代女”という、女の悲哀と気概を描いた一連の作品と比べれば、必ずしも溝口の得意とする世界観を扱った作品とはいえないのかもしれません。 しかしこの時期、まさに創作意欲の絶頂期にあった彼は、予算をたっぷりかけて第一級のスタッフを手足のように使えるという幸運にも恵まれ、“女の悲哀”というやや世俗的な作風をつきぬけて、これこそが日本古典美の真髄なのだーということを西洋人にまで知らしめるような格調の高い作品を造りおおせました。 

この作品についてフランソワ・トリュフォーが、何故これと“七人の侍”が(ヴェネチア映画祭で)同点銀賞なのだ? “山椒大夫”のほうが格段にすぐれているーとまで発言したのは有名です。

なんと言っても香川京子さんが入水して果てる場面の宮川一夫さんの水墨画を思わせる画面造り(画面前方の竹には墨を塗っているそうです)や、ラストの厨子王と母親の再会の場面とそこに流れる早坂文雄氏の音楽が絶品です。 

この映画を映画館で一度だけ見た私は背中に震えが来てしばらく立ち上がることが出来ないほど感動してしまいました。
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78投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 20時46分23秒

現在知られている『さんせう太夫』のもっとも古い刊本は,1639年に大坂で刊行されている.天王寺の生玉神社の境内で芝居として興行され,人気を博していた時期のことである.

だがこの物語を含め,小栗判官,しんとく丸,まつら長者といった説経節は,さらに古い歴史をもっている.中世末期にはすでに,流浪する芸人や巫女たちが道の辻や神社の門前に莚(むしろ)を敷き,簓(ささら)で調子をとりながら,集まってきた民衆を前に物語を聴かせていた.

彼らは「簓乞食」と呼ばれ,寺院で行なわれる節談(ふしだん)説経師からは「土民下臈の類」として差別された.語り手たちはみずからの出自を語るかのように,不断に漂泊を続け,定住者の前に異人として現われる者たちの来歴を好んで語った.主人公たちは美男美女の貴種であり,物語のなかではしばしば賤民の地位に貶められたり,冥界からかろうじて帰還してきたグロテスクな病者であったりする.

近代の日本はこの物語に対して,二度にわたり興味深い改作を行なっている.

 森鴎外が「太夫」を「大夫」として『山椒大夫』を発表したのは,1915年のことであった.この短編小説では,原物語にあった残酷描写のいっさいは削除され,信仰と奇跡からなる仏教的色彩は排除されている.

利発にして行動的な姉に先導されてゆく,無垢な弟.原作と違って父親は配所先で他界しているが,厨子王を前にして,盲目の老母は開眼する.山椒大夫の一門はますます富み栄えることになる.

いかにも統治者の側から見たハッピーエンドが,そこには描かれている.官僚であった鴎外は,厨子王が逃げ込んだ国分寺が中央権力と直結した位置にあり,山椒大夫に敵対しうるアジールであることをみごとに見抜いていた.

この近代主義者による改作ののち,『山椒大夫』は無害な児童文学として,次々と翻案されることになった.親子と姉弟の情愛をみごとに謳いあげる物語として,絵本からアニメまで,多くの子供向きメディアのアイテムとなったのである.

 『山椒太夫』の脚色でもうひとつ忘れがたいのは,溝口健二が1954年に撮った大映映画である.このフィルムがヴェネツィア映画祭で受賞したため,物語は世界でもっとも悲痛な物語のひとつとして,国際的に知られることになった.

溝口は鴎外の改作に多くを仰ぎながらも,随所に思い切った変更を施している.父親は民百姓を思って重税に反対し,勃興しつつある武士階級の横暴によって政治的に追放された,良心的貴族として設定されている.息子の厨子王は父から授かった万人平等の理念のため,奴婢の解放を一途に心がける青年であり,山椒大夫の荘園に働く者たちは,「人間」として解放される瞬間を待ち望んでいる被抑圧者である.

あらゆる登場人物が,戦後民主主義を生きている.溝口には鴎外が洞察してみせた権力者どうしの術策や陰謀は,理解を越えたものであった.彼にとっては中央の天皇制も山椒大夫も,等しく民衆を抑圧する支配階級でしかなかった.

79投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 20時48分00秒

だがその一面で溝口は悪魔的な洞察力のもとに,彼らに強いられた極限的な宿命を描写してやまない.

彼はまず,それまで母親が売られた先で得た生業を,農家の庭先での鳥追いから賤しい遊女へと変更した.これは重大な変更である.

溝口は母親が淪落のはてに悪所場から脱出しようとして失敗し,見せしめに両足の筋を刀で断ち切られるところを,省略もせず描いた.

安寿と厨子王は年の順を交替し,厨子王の方が兄となる.厨子王は長い奴婢生活のうちに自暴自棄となり,山椒大夫の忠実な配下として同僚の拷問に加担するまでに,人間的に堕落する.

逆に大夫の家の長男は理想主義から出奔して,国分寺の僧侶となる.説経節があれほどまでに執拗に描いた安寿の拷問の場面は,あえて描かれない.彼女は兄の脱走が成功するように時間稼ぎをし,その後に沼のなかにゆっくりと身を沈めてゆく.

 京に出た厨子王は左大臣に直訴をし,父の形見の観音様の仏像が功を奏して,その身分を信じてもらうことに成功する.仏像は原作と違って,けっして非合理的な奇跡には加担しないのだ.

厨子王は新しい領主として丹後に赴くと,ただちに山椒大夫と三郎を逮捕する.だが彼らを殺害せず,丹後から追放するに留める.溝口の関心は復讐になどない.彼が最大限の情熱をこめて描くのは,佐渡島の外れの海岸でなされる母と息子の再会である.もはや襤褸(ぼろ)切れのように惨めな姿となった老婆と,高位の官職を擲(なげう)って駆けつけた息子とが,絶望のはてにかき抱きあう様を,カメラは凝視し続ける
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0242590/js/another01.html
80投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 21時11分04秒

女であることの受難の物語としての『さんせう太夫』

1. 説経集の『さんせう太夫』と森鴎外の『山椒太夫』

 中世の吟遊詩人が語っていた説経語りとしての『さんせう太夫』1) は、森鴎外の小説『 山椒太夫』2) とは興味深い対比を示している。このことは、『さんせう太夫』を支配者と被支配者の相剋という観点から読み解いた岩崎3) も指摘しているが、『さんせう太夫』は、『山椒太夫』とは異なり、悪夢がそうであるような残忍なエロティシズムと細部において読み解かれるべき謎に満ちている。

 例えば、安寿が、弟、厨子王に寄り添って柴を刈りに行きたいと願い、黒髪を切ることを代償として、一緒に柴を刈りに行くのを許される箇所を、鴎外は、既に安寿が弟を逃がす決意をしていたから、大事な黒髪を切ってまでも実行したのだととれるような構成にしている。しかし、『説経集』においての物語の展開は異なっている。山に入ることは基本的に女には禁じられており、安寿が女のまま厨子王に随行することは、禁忌を侵すことであった。そして、安寿が厨子王に随行する場面は、厨子王が逃亡する件とは、独立して語られており、女である印を捨ててまで厨子王と山に上ったのは、鴎外の小説でそうであるような合理的な理由では説明することができないのである。

 安寿の額に烙印が押される件は、鴎外の小説では、夢の中の出来事となっている。しかし、原本では、安寿と厨子王は実際に烙印を額に押されるのであって、しかもそれは、逃亡の謀議をこらしたからという合理的な理由によってではなく、達成不可能なノルマを与えられ、そのノルマを自力で達成することができなかったという、非常に不合理な理由からなのである。つまり、山椒太夫とその息子三郎は、原本では、悪意から、あるいは、サディズムから、安寿の額に烙印を押しているのであり、安寿の額に烙印を押し、安寿を徹底的にいたぶり、辱めることこそが、山椒太夫と三郎の目的なのであって、理由とされていることは単なる口実としての機能しか果たしていない。山椒太夫が、安寿と厨子王を小屋に閉じ込めて飢えさせるのも、明らかに悪意からなる嗜虐的な行為である。さらに、安寿は、森鴎外が描いているように、入水自殺したのではなくて、厨子王を逃がしたことを咎められ、水責めにされて責め殺された点も、付け加えねばならない。即ち、鴎外は、山椒太夫の側の悪意とサディズムを全て捨象してしまっているのである。

 その結果、三郎は、厨子王が権力者として回帰してくる時に、竹鋸による鋸引きを免れることになる。何故なら、安寿を、動物のように小屋に入れて飢えさせ、その額に恥辱の烙印を押し、ついには水責めにかけて責め殺した人間が、復讐されることなく物語の中で安閑として終を全うする等ということは物語の構造的に不可能なのであって、三郎が、切れない竹鋸で一寸刻みに首を落とされるという残酷極まりない仕打ちを受けずに済むには、彼の悪意からなるサディスティクな安寿に対する迫害を捨象するしか方法がないからである。

 幻想のシナリオとしての『さんせう太夫』にとって、鴎外によるその近代小説化の過程で切り捨てられた安寿に対する執拗なまでに残酷な仕打ちとその反転は不可欠の要素であった。聴衆は実際には、密かに安寿への迫害を、嗜虐的な享楽とともに体験するのである。そして、その後ろめたさを糊塗するために、自らのサディズムを、今度は鋸引きにして、自分から切り離さねばならない。



81投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 21時16分52秒

この際、実際に、残忍な刑罰を執行するのは、山椒太夫本人ではなくて、三郎というその息子である点は重要である。岩崎の指摘するように、山椒太夫が支配者であるとするなら、支配者そのものと直接的に対峙することは、父殺しと通ずることになり、だからこそ、原本においても、山椒太夫は不可解にも致死的な刑罰から免れることとなるのである。原本においても、最後に父の代理ともいえる山椒太夫を殺さねばならない点は隠蔽されている。

 

2. 安寿の物語としての『さんせう太夫』

 こうして鴎外の小説から抜け落ちた部分を補填していくと、説経集の『さんせう太夫』を、「女」のヴェルデ・ガング"Werde-gang"・として読む可能性が開かれてくる*。つまり、安寿と厨子王の物語は、安寿の受難と、受難によって安寿が女となる物語として読むことができるのである。

 もう一度、この物語をお復習いしてみよう。安寿は、人攫いによって母から引き離され、山椒太夫に引き渡されることによって、物語の主人公となった。売られた先の山椒太夫のために、安寿は、女の印である黒髪を切られ、額に烙印を押され、最後には水責めにされて殺されるといった一連の受難を次々と体験して行くことになる。商品として安寿を買ったはずの山椒太夫は、本来ならば、安寿が商品として利益を生むようにそれなりに衣食を与え、自分の持ち物としての安寿の身体ができるだけ長持ちするように気配りをするべきなのに(実際、鴎外の小説では、ほぼこの路線に従って彼らは行動している)、山椒太夫はひたすら安寿に苦痛を与え、享楽に操られているとしか思えない仕打ちを安寿にし続ける。その意味では、山椒太夫は、奇妙なことに、安寿を金銭で買われた自分の持ち物としては扱っていない。二人の関係は、だから、逆説的に愛の関係としてしか理解することができない。

 この物語の主要な登場人物は、山椒太夫と安寿と厨子王である。山椒太夫が、母と別れた女が出会わねばならない男という災厄であるとするなら、厨子王は、少年であり、厨子王はまた、行李の中に入れられて都へ運ばれたり、行李の中で輝く仏像になったり、また、後には、代官に立身したりする者である。そういう意味では、厨子王は、母の体内を出たり入ったりする父のファルスであると考えることもできる。母と訣別した安寿は、厨子王と会うためには、髪を切らねばならなかった(=女は、ファルスを受け入れるためには、母を捨て、母のペニスを去勢しなくてはならない)。母と分かれ、山椒太夫と出会った安寿の身体は、文字の刻印を受ける(=女の身体は、災厄としての男と出会うことによって、シニフィアンによる刻印を受ける)。最後に、安寿は、厨子王を逃がして水責めにされる(=女は父のファルスを体内に宿しそれを出産によって体外に排出する)。忘れてはならないのは、山椒太夫に引き渡されることによって、安寿は母親の軛から解放されたことである。安寿は母親からの独立と引き換えに、男という災いを抱え込んだのである。物語のエピローグである安寿亡き後の、母親と厨子王の涙の邂逅は、見事に物語の本質を開示しながら隠蔽している。母親が愛していたのは、厨子王であって、安寿ではなかった。だから、苦い思いとともに、安寿は母親の元を離れ、災厄そのものである男へと身を任せたのだ。母親が望んでいたのは、厨子王との再会であって、安寿は死んでしまったからこそ、母親に涙を流してもらえたのである。母親は安寿を愛してはいなかったことの後ろめたさを隠蔽するために、「安寿かわいや、ほうやれほ」と歌うのである。そして、『説経集』では、この女の運命を、安寿が敢然として引き受ける様が描かれている。つまり、安寿は、敢然として彼女の受難を自らの運命として引き受けることによって、彼女の物語を希有な女の英雄譚としたのである。

http://homepage3.nifty.com/tamakis/%8C%93%96%7B%8D_%97S/Knemtoppr12.html
82投稿者:山椒大夫  投稿日:2009年03月22日(日) 21時31分42秒

説教節『さんせう太夫』

佐渡七太夫伝説(寛永十六年) 1656年

丹後由良の山椒太夫屋形、姉の安寿は、厨子王を逃し た咎で、 厳しく折檻される。登梯にからみつけて、湯責め、水責め の拷問、それでも白状しないの で、三つ目錐で膝の皿をからりからりと揉まれて問われつづけ、やがて 死ぬ。  


與七郎正本(明暦二年)1639年

丹後由良の山椒太夫屋形、姉の安寿は、厨子王を逃し た咎で、 厳しく折檻される。登梯にからみつけて、湯責め、水責め の拷問、それでも白状しないの で、三つ目錐で膝の皿をからりからりと揉まれて問われつづけ、やがて 死ぬ。 

http://www2m.biglobe.ne.jp/~momotaro/talk/localstory/compare1.htm
83投稿者:777  投稿日:2009年03月23日(月) 02時46分46秒

映画『山椒大夫』は失敗作ですね.

何故,平安時代に社会主義が出てくるのかな? アホらし.

原作をそのまま映像化すれば大傑作になっていたのにね.

84投稿者:777  投稿日:2009年03月23日(月) 02時50分58秒

雨月物語と羅生門もいいのは京マチ子が出て来る所だけ.

ヒューマニズムなんて下らない.
85投稿者:これが本当のさんせう太夫  投稿日:2009年03月23日(月) 12時59分55秒

さんせう太夫(山椒大夫―安寿と厨子王の物語)

説経「さんせう太夫」は、高貴の身分の者が人買いにたぶらかされて長者に売られ、奴隷として辛酸をなめた後に、出世して迫害者に復讐するという物語である。高貴のものが身を落として試練にあうという構成の上からは、一種の貴種流離譚の体裁をとっているが、物語の比重は、迫害を受けるものの悲哀と苦しみに置かれており、故なき差別や暴力への怨念に満ちたこだわりがある。

中世の日本には、支配する者とされる者との間に、厳然とした溝があり、過酷な対立があった。そして、支配される者の底辺には、譜代下人と呼ばれる階層があり、支配者に身分的に隷属して、奴隷のような境涯に甘んじていた。かれらは、人にはなれぬ製外者(にんがいしゃ)として扱われ、支配者による搾取のほか、苛烈な差別を受けていた。

「さんせう太夫」が語る世界は、こうした下人の境遇なのである。説経を語る者たちも、定住の地を持たぬ漂泊の民であり、「ささら乞食」として差別される身であった。その彼らが語ることによって、故なく貶められていた人々の情念が乗り移り、物語に人間の叫びを伴わせた。聞くものをして身を震わせ、今日の我々にも訴えかけてくるものは、この人間の魂の叫びなのである。

森鴎外は、説経「さんせう太夫」を素材にして、小説「山椒大夫」を書いた。鴎外は、説経のあらすじをおおむねにおいて再現しながら、親子や姉弟の骨肉の愛を描いた。すぐれた文学作品として、今でも人の心を打つ。だが、鴎外は人間の感情の普遍的なあり方に比重を置くあまり、原作の説経が持っていた荒々しい情念の部分を切り捨てた。安寿とつし王が蒙る、悲惨な拷問の場面や、つし王が後に復習する際の凄惨な光景などは、余分なものとして切り捨てたのである。しかし、本来説教者がもっとも力を入れて語ったのは、こうした部分だったに違いないのである。

中世に人買いが横行していたかどうかについては、あまり定かなことはわからない。能には、「隅田川」における梅若丸の物語をはじめ、人買いをテーマにしたものがいくつかあるが、現実をどれだけ反映しているものかは、定かではない。しかし、罪を犯したり、経済的に行き詰ったものが、行き着く先として下人の境遇に身を落とすことはあっただろう。中世の人びとにとっては、下人の境遇は他人事とは感じられないほど、身近で、いつ自分もそうなるかわからないものとして、とらえられていたのかもしれない。

こうした背景が、「さんせう太夫」を説教の代表的な演目として、中世の人々から熱狂的に迎えられる素地になったのだと考えられる。以下、鴎外の小説を時折参照しつつ、説経「さんせう太夫」を読み解いていこう。

物語は、岩城の判官正氏の御台所とその子安寿と厨子王が、帝から安堵の令旨を賜るべく、都へと向かう途中、人買いによって親子離れ離れに売られるところから始まる。

「御台この由聞こしめし、やあやあいかにうわたきよ、さて売られたよ、買はれたとよ、さて情けなの太夫殿や、恨めしの船頭殿や、たとへ売るとも買うたりとも、一つに売りてはくれずして、親と子のその仲を、両方へ売り分けたよな、悲しやな」

これは、そのときの母の嘆きの言葉である。母はその後売られた先で、「蝦夷が島の商人は、能がない職がないとて、足手の筋を断ち切って、日に一合を服して、粟の鳥を追うておはします」境遇になる。しかし、鴎外はこのような、凄惨な挿話は切り捨て、人間の感情の普遍的な部分にスポットライトをあてて、物語を展開していく。

一方説経は、転々と売られた挙句たどり着いたさんせう太夫の下で、安寿とつし王の姉弟が蒙る悲惨な運命について、綿々と語る。

「さてもよい譜代下人を、買ひ取ったることのうれしやな、孫子、曾孫の末までも、譜代下人と呼び使はうことのうれしさよ」というさんせう太夫の言葉どおり、安寿とつし王とは、下人の境遇に陥ったことが強調され、下人として、耐え難い扱いを受けることとなる。

86投稿者:これが本当のさんせう太夫  投稿日:2009年03月23日(月) 13時00分41秒

鴎外は正面からとりあげていないが、三ノ木戸や松の木湯船に閉じ込められる部分は、作品に異様な迫力をもたらしている。

三ノ木戸には象徴的な意味合いがあって、ここに幽閉されるのは、人間としてこの上もない侮辱であることを、安寿の口からいわせている。

「今年の年の取り所、柴の庵で年を取る、我らが国の習ひには、忌みや忌まるる者をこそ、別屋に置くとは聞いてあれ、忌みも忌まれもせぬものを、これは丹後の習ひかや、寒いかよつし王丸、ひもじなるよつし王丸」

安寿は常に、厨子王の庇護者として描かれている。弟をかばい、励まし、最後には弟を遁走せしめて、さんせう太夫の子三郎によって嬲り殺されてしまう。安寿の死の部分は、説経「さんせう太夫」の最大の泣かせ場である。

「邪険なる三郎が、承り候とて、十二格の登り階に絡みつけ、湯攻め水攻めにて問ふ、それにも更に落ちざれば、三つ目錐を取り出だし、膝の皿を、からりからりと揉うで問ふ」 それでも安寿は落ちないので、「邪険なる三郎が、天井よりもからこの炭を取り出だし、大庭にずっぱと移し、大団扇をもってあふぎ立てて、あなたへ引いては、熱くば落ちよ、落ちよ落ちよ、と責めければ、責めては強し、身は弱し、何かはもってこらふべきと、正月十六日日ころ四つの終わりと申すには、十六歳を一期となされ、姉をばそこにて責め殺す」

厨子王が追っ手をのがれて逃げ込んだ国分寺の場面も、象徴的に語られる。寺守は、威厳のある僧とは描かれていないが、追っ手の勢いを煙に巻き、厨子王を窮地から救う。中世の寺院は、弱い人々が迫害を逃れて逃げ込む先であり、アジールとしての機能を持っていた。この場面は、そのような寺院の性格を生き生きと描いている。

鴎外の小説には出てこないが、説経では、皮籠に潜んでいた厨子王は、三郎によって見つけられてしまうのであるが、身に着けていた地蔵菩薩が黄金に光り輝いて、三郎の目をくらまし、なんとか窮地を脱する。このあたりは、神仏の加護により助けられるという、当時の民衆の意識に訴えかけたに違いない。
87投稿者:これが本当のさんせう太夫  投稿日:2009年03月23日(月) 13時01分13秒

厨子王の話を聞いた寺守は、自ら厨子王を背負って都まで送り届けることを申し出る。この都行きの場面は、道行の典型に従っていて、おそらく軽妙な調子で語られたのであろう。

「それがし送り届けて参らせんと、元の皮籠へとうど入れ、縦縄横縄むんずと掛けて、ひじりの背中にとうど負ひ、上には古き衣を引き着せて、町屋関屋関々で、聖の背中なはなんぞと、人が問ふ折は、これは丹後の国国分寺の金焼地蔵でござあるが、あまりに古びたまうたにより、都へ上り、仏師に彩色しに上ると言ふならば、さしてとがむる者はあるまいと、丹後の国を立ち出でて、いばら、ほうみはこれとかや、鎌谷、みじりを打ち過ぎて、くない、桑田はこれとかや、くちこぼれにも聞えたる、花に浮木の亀山や、年は寄らぬと思ひの山、沓掛峠を打ち過ぎて、桂の川を打ち渡り、川勝寺、八丁畷を打ち過ぎて、お急ぎあれば程はなし、都の西に聞えたる、西の七条朱雀、権現堂にもお着きある。

権現堂に着いた厨子王は、足が弱って歩くことを得ず、乞食仲間の施しを受けたり、土車に引かれたりしながら、天王寺にやってくる。土車は、いざりや乞食の乗り物として、落ちるに落ちてしまった厨子王丸の、身の上を象徴するものなのである。

天王寺は、中世日本の大寺院として、民衆の心のよりどころでもあり、また虐げられたもののためのアジールとしてあった。ここで、厨子王丸は、底辺から栄華の頂上へと転身する。そこに、民衆は死と再生に似た、蘇りの瞬間を恍惚たる感情をもって、迎え入れたのに違いない。
88投稿者:これが本当のさんせう太夫  投稿日:2009年03月23日(月) 13時02分06秒

説経は最後に、厨子王による復讐と報償の話を付け加えている。鴎外が切り捨てた部分であるが、やはり、当時の民衆にとっては、悪に対しての相応の復讐は、生きていくための名文や正義に照らして、なくてはならないものだったのである。

鴎外の小説は、復讐ではなく、親子の感動的な再会を中心に描いている。説経もまた、親子の再会を描いているが、それはみごと甦ったづし王丸の、それまでの苦しみに対する償であるかのような文脈において語られる。その部分は次の通りである。

「いたはしや母上は、明くればつし王恋しやな、暮るれば安寿の姫が恋しやと、明け暮れ嘆かせたまふにより、両眼を泣きつぶしておはします、千丈が畑へござありて、粟の鳥を追うておはします」母の姿をみた厨子王は、お守りの地蔵菩薩を取り出し、その霊験によって母の目を開けさせるのである。

これに対して、鴎外の小説のフィナーレは、次のようになっている。

  「安寿恋しや、ほうやれほ
  厨子王恋しや、ほうやれほ
  鳥も生あるものなれば、
  疾う疾う逃げよ、逐はずとも

正道はうっとりとなって、この詞に聞き惚れた、、、厨子王という叫が女の口から出た。二人はぴったり抱き合った」

説経と、鴎外の目指したところが、おのずから違っていることがよくわかる部分である。鴎外は、近代人の一人として、人間の普遍的な感情を描こうとした。それに対して、説経は、同時代を生きる民衆たちの、眼前の不条理や故のない苦しみを描くことによって、その精神の浄化作用ともいうべきものを、果たしていたのだと思うのである。
http://japanese.hix05.com/Performing/sekkyo/sekkyo02.sanseu.html
89投稿者:これが本当のさんせう太夫  投稿日:2009年03月23日(月) 13時21分47秒

「説経」の世界

「説経」という芸能をご存知でしょうか。森鴎外の有名な小説「山椒太夫」は説経「さんせう太夫」を下敷きにして書かれたものです。「説経」と言いますのは、中世末期の民衆に発した語りものです。それは祭りの日などに寺社の境内・辻堂などで、流浪の民によって大道芸的に語られたもので、簓(ささら)を摺りながら語ることから「簓説経(ささらせっきょう)」とも呼ばれました。そのころの絵を見ていますと、往来でムシロを敷いて・そこで男が説経を語っている・まわりに男女が数人、ある者は首をうなだれ、ある者は泣きながら説経に聞き入っているという図を見ることがあります。

「ただ今語り申し御語り、国を申さば丹後の国、銕焼(かなやき)地蔵の御本地を、あらあら説きたて広め申すに、これもひとたびは人間にておはします。人間にての御本地をたずね申すに・・・」(「せつきやうさんせう太夫」佐渡七太夫正本・明暦2年(1656)を分かりやすく漢字混じりに直しました。)

「さんせう太夫」は丹後の国の銕焼地蔵の由来を説き広めるものでした。こうした語り物は江戸時代に入って三味線と結びついた「浄瑠璃説経」が登場してからはそれにとって代わられ、さらには、義太夫節のような・題材も曲節も新しくて変化のある新しい語り物系浄瑠璃に押されてしまいました。

太宰春台(1680-1747)は江戸の儒学者ですが、春台は「独語」のなかで「今の世に淫楽多きなかに、うたひ物のたぐひには浄るりに過ぐる淫声はなし。」と書いています。浄瑠璃を「淫声」と非難しているのは、元禄年代ごろから浄瑠璃の曲節の調子が高くせわしなく、また派手になってきて、またその題材が俗になってこのごろ風紀が乱れてきたのは浄瑠璃のせいだと春台は言います。それだけ当世浄瑠璃が人々にとって魅惑的であったのでしょう。まあ、お堅い儒学者の言うことですから、そこのところは割り引く必要があるかも知れません。当世の流行歌の歌詞や風俗に顔をしかめるお年寄りはいつの時代にもいるわけです。

一方で、春台はひと時代昔の「説経」に触れ、「説経は淫声にあらず」としてこれを評価しています。

「昔より法師の説経に因果物語をするたぐひなり、その物語は俗説にまかせて確かならぬことも多けれども、詞は昔の詞にて賤しき俗語をまじへたるなかに、やさしきことも少なからず、(中略)その声もただ悲しきのみなれば、婦女これを聞きてはそぞろに涙を流して泣くばかりに、浄るりの如く淫声にはあらず、(中略)いはば哀れみていたわるという声なり」(太宰春台:「独語」)

仏教説話的な善悪因果の題材を儒学者が評価している点はそれらしいところですが、「哀れみていたわるという声なり」という指摘などは説経の本質をよく突いた評だと思います。

これは恐山のイタコの口寄せと同じようなものです。先日、作家の五木寛之氏がイタコについて書いているのを読みました。文が手元にないので記憶で引きますが、五木氏は自分の死んだ弟の霊をイタコに呼んで貰ったのだそうです。「九州育ちの弟が津軽弁で話すのには驚いた」が、「体を大事にしなよ」などと言われると素直に泣けたと書いておられました。説経もまた同じような癒しの効果を聞く人に与えるのだと思います。説経を聞きながら人々は主人公の苦難に涙し、その再生に癒されたのです。

「説経」の代表的な演目をあげれば、「さんせう太夫」・「しんとく丸」・「おぐり」・「かるかや」の四つです。これらの題材は説経師によって各地で語られ、民衆の涙を絞り・また語り継がれました。さらに他の芸能への題材にも取り上げられたりして、これらの物語は長く民衆の伝承として親しまれたのです。

90投稿者:これが本当のさんせう太夫  投稿日:2009年03月23日(月) 13時22分24秒

「さんせう太夫」は、歌舞伎ではもはやあまり上演されませんが「由良湊千軒長者」という芝居になっています。「しんとく丸」は謡曲の「弱法師」の題材になっており、さらにこれは歌舞伎の「摂州合邦辻」に引き継がれています。「かるかや(刈萱)」の石童丸の物語は歌舞伎の「刈萱道心」、「おぐり」は歌舞伎の「小栗判官車街道」などの題材になっています。石童丸や小栗判官の物語などは講談などでも取り上げられ、明治頃まで民衆には親しい物語でした。

説経の「さんせう太夫」と、これを近代的視点から捉えなおした森鴎外の「山椒太夫」を比べて見ますと、すぐに分かる大きな違いは、鴎外本では、厨子王が山椒太夫と和解して、山椒太夫は奴隷にしてこき使っていた人々を開放するという結末になっていることです。この部分は説経では、厨子王は山椒太夫の首を竹鋸で息子の三郎に引かせるという刑罰を与えるという非情な場面になっています。しかも、この場面は説経では重要な場面でして、これがなければ説経は完結しないと言ってもいいほどなのです。

「ひと引きひいては千僧供養(せんぞうくよう)、ふた引きひいては万僧供養(まんぞうくよう)、えいさらえいと、引くほどに、百に余りて六つのとき、首は前にぞ引き落とす」

山椒太夫が処刑されるこの場面はたしかに残酷ですが、「ひと引きひいては千僧供養」というようなお囃子のような調子がついていて、なにか開放されるような明るさがここにはあります。国分寺の庭で民衆が見守るなかで行われる処刑は、単なるお上の見せしめや威嚇だけではない、どこか祝祭的なものを感じさせます。山椒太夫はこれにより冥府へ(おそらく地獄へ)送られるわけですが、一方で、この処刑によって山椒太夫によって虐げられ・殺されていった人々の魂は癒されるということでもありましょう。

こうした感覚は近代人にはなかなか理解されにくい所です。鴎外は、説経「さんせう太夫」の支配する者とされる者の間に横たわる隔たりを「人権的な・法的な隔たり」と解釈していますから、どうしてもこの処刑の場面は納得できなかったのでしょう。しかし、説経のなかにある支配者と被支配者の隔たりというのは絶対的なもので、互いに和解することなどないほどのものです。そこに説経を語り・諸国を流浪する芸人たちの(つまり被差別民としての)悲しみが重ね合わされます。

91投稿者:これが本当のさんせう太夫  投稿日:2009年03月23日(月) 13時23分01秒

永遠に女性なるもの

その後、厨子王は追っ手を逃れて苦難の逃避行で足腰も立たないような病人になってしまって天王寺に送られるのですが、そこで奇跡が起こって高貴な身分に生まれ変わります。

ここで再生の場として「天王寺」が登場してくることも重要です。説経「しんとく丸」の舞台も同じく天王寺です。また「小栗判官」では熊野が再生の場として登場します。天王寺も熊野も、体を蝕まれた人々が最後にすがる霊場でありました。このように穢れた厨子王の身が天王寺で癒されて高貴な身に生まれ変わる奇跡が、説経では重要な要素なのです。こうした部分も鴎外本では省かれています。しかし、本稿ではこの部分には深入りしないことにして、安寿にスポットを当ててみたいと思います。

安寿は厨子王が逃亡するのを手助けして、自分は火責め・水責めの刑にあって死んでしまいます。説経「さんせう太夫」を見ると、安寿の死というのは実に大きな意味を持っています。厨子王が逃げることができたのは、安寿の犠牲のおかげでした。しかし、説経ではそれにとどまらず、安寿の死と引き換えに厨子王の再生・復活が行われたと言っていいほどの意味をドラマに与えているのです。このように説経ではつねに「生と死」が隣り合わせに・対照的に配置されて、我々自身の生の意味を問うています。

国司となって戻った厨子王は山椒太夫に「姉を返せ」と迫ります。厨子王にとっては安寿は誰よりも恋しい大事な存在なのです。説経の「さんせう大夫」においては安寿は母親よりはるかに重要な存在です。

「やあ、いかに汝ら、姉のしのぶ(安寿)をば何たる罪のありければ、責め殺してはありけるぞ、われをば誰とが思うらん、汝らが家にありたりし、わすれぐさ(厨子王)とはそれがしなり、姉御を返せ、太夫、三郎よ、さても汝は、死したる姉を返せと言うを無理なることと思うべけれど・・」

だから、山椒太夫の処刑の場面では何よりも、厨子王を助けるために死んでいった姉・安寿の魂が癒されていると思います。しかし、山椒太夫を処刑し、母親と再会した後も、厨子王の気持ちは安寿のことを思って晴れません。

「うれしきにも、かなしきにも、先立つものは涙なり。これにつけても安寿姫、浮世にながらえ有りならば、何しにものを思うべきと、あめやさめとぞ泣き給う。」

こうして厨子王は、安寿の菩提を弔うために丹後の国に銕焼地蔵の御堂を建立するわけです。その由来を語るという体裁をとっているのが説経「さんせう太夫」なのです。

92投稿者:これが本当のさんせう太夫  投稿日:2009年03月23日(月) 13時23分56秒

女性が自らを犠牲にして愛する者を救済し・再生に導くというストーリーは洋の東西を問わず数多いのですが、この「さんせう太夫」での安寿もそうです。そこに慈悲深いお地蔵さま・あるいは観音さまのイメージが重なります。姉・安寿は厨子王にとって自らを守護し・導く 存在なのです。ゲーテの「ファウスト」第2部の有名な言葉を思い出します。「永遠に女性なるもの、われを高みに引き上げん」

説経にはこうした主人公に自己犠牲的な献身をする女性が他にも登場します。 例えば、「おぐり」に登場する照手姫、「しんとく丸」に登場する乙姫もそうです。乙姫はもともとしんとく丸の許婚なのですが、業病に冒されて追放されたしんとく丸にも乙姫は身分を捨てて(つまり、ある意味で「死んだ」ということです)献身します。そのことでしんとく丸は再生していくのです。このことを可能にしたのは、観音を担い、観音とともに歩いた巡礼姿の乙姫(=歩き巫女)でした。

岩崎武夫氏はその著書「さんせう太夫考」において、天王寺の縁の下にいて乙姫の救いを待つしんとく丸の姿と、近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」の天満屋の場において、縁の下にひそんで遊女お初の足を押しいただく徳兵衛の姿との類似性を指摘しておられます。こういう発想は文献的には根拠が薄いかも知れませんが、非常に大事です。

徳兵衛は、お初の言葉に押されるようにして心中を決意します。つまり、新たなる生を獲得するために徳兵衛は動き出すわけですが、そのために も苦界に沈んだ女の献身が必要であったのです。お初はそのためにも遊女でなければならなかったのです。お初を観音と重ね合わせる「曽根崎心中」冒頭の観音廻りも、そうした中世的な呪術宗教的な精神的つながりのなかから発しています。近松の「観音廻り」は「お初観音縁起」というべき体裁をとっているのです。(別稿「曽根崎心中・観音廻りの意味」あるいは「色で導き情けで教え」をご参照ください。)

近松の浄瑠璃を読んでいきますと、意外なほど理性的で・人生を冷静に見つめる目を感じてびっくりすることがありますが、しかし、近松の浄瑠璃の近代人的な・理性的な構造のなかにも、じつは長い間に日本の民衆のなかに培われた精神土壌が脈々と生きていたというわけです。

ということで、歌舞伎・文楽の作品の奥深いものを知ろうとしていけば、先行芸能や説話などを通じて、その奥に潜む日本人の精神の水脈を必然的にたどらねばならないことになります。そうすることで我々はもっと豊かなものを手にすることができるかも知れません。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geinohsi10.htm
93投稿者:一般大衆向け娯楽大作_七人の侍  投稿日:2009年03月23日(月) 14時25分22秒

七人の侍

監督: 黒澤明
脚本: 黒澤明 橋本忍 小国英雄
撮影: 中井朝一
美術: 松山崇
音楽: 早坂文雄

キャスト 役名)
志村喬 (勘兵衛)
稲葉義男 (五郎兵衛)
宮口精二 (久蔵)
千秋実 (平八)
加東大介 (七郎次)


http://www.youtube.com/watch?v=DuBM7Tu-w7g&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=cfOz9C2_Vjc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=2xyhIP2axGc&feature=related
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http://www.youtube.com/watch?v=zTzu6khatp0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=Pw7KzZVhfp4&feature=related
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http://www.youtube.com/watch?v=1rnh1b1vbQg&feature=related
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http://www.youtube.com/watch?v=okFGy2vD178&feature=related
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94投稿者:一般大衆向け娯楽映画_乱  投稿日:2009年03月23日(月) 15時07分29秒

乱 1985年

監督 黒澤明
脚本 黒澤明 小国英雄 井手雅人
撮影 斎藤孝雄 上田正治
音楽 武満徹

キャスト (役名)
仲代達矢 (一文字秀虎)
寺尾聰 (一文字太郎孝虎)
根津甚八 (一文字次郎正虎)
隆大介 (一文字三郎直虎)
油井昌由樹(平山丹後)

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95投稿者:一般大衆向け娯楽映画_用心棒  投稿日:2009年03月23日(月) 15時22分35秒

用心棒

監督:黒澤 明
脚本:黒澤  明・菊島隆三
撮影:宮川一夫
音楽:佐藤  勝
美術:村木与四郎

配役
桑畑三十郎・・・・・・・・ 三船敏郎
新田の卯之助・・・・・・ 仲代達矢
小平の女房・ぬい・・・  司 葉子
清兵衡の女房・おりん・ 山田五十鈴
新田の亥之吉・・・・・・ 加東大介
馬日の清兵衛・・・・・・ 河津清三郎
造酒屋徳右衛門・・・・ 志村 喬
清兵衛の倅・与一郎・  太刀川寛
百姓の小倅・・・・・・・・ 夏木陽介
居酒屋の権爺・・・・・・ 東野英治郎
名主・多左衝門・・・・・ 藤原釜足
新田の丑寅東・・・・・・ 山茶花究
小平・・・・・・・・・・・・・ 土屋嘉男

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96投稿者:デルス・ウザーラ  投稿日:2009年03月23日(月) 15時43分46秒

監督 黒澤明
原作 Vladimir Arsemjev
脚本 黒澤明, Yuri Nagibin
撮影 中井朝一 Yuri Gantman, Fyodor Dobronravov
音楽 Isaak Shvartz
美術 Yuri Raksha

キャスト (役名)
Yuri Salomin ユーリー・サローミン (Arseniev)
Maxim Munzuk マキシム・ムンズク (Dersu)
Schemeikl Chokmorov シュメイクル・チョクモロフ (Jan Bao)
Vladimir Klemena ウラジミール・クレメナ (Turtwigin)
Svetrana Danielchenka スヴェトラーナ・ダニエルチェンカ (Mrs. Arseniev)


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http://www.youtube.com/watch?v=OaV1xRtPCpo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=TVK09QHVRWQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=gvuWLubgGx8&feature=related
97投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 16時32分05秒

原作:シェークスピア
監督:黒澤 明
脚本:小国英雄・橋本 忍 菊島隆三・黒澤 明
撮影:中井朝一
昔楽:佐藤 勝
美術:村木与四郎

キャスト (役名)
佐々木孝丸 (都築国春)
太刀川洋一 (都築国丸)
志村喬 (小田倉則保)
三船敏郎 (鷲津武時)
山田五十鈴 (鷲津浅茅)


http://www.youtube.com/watch?v=5Ga7sS5XwTE&feature=PlayList&p=33087501F926B98E&index=0&playnext=1
http://www.youtube.com/watch?v=hTzVRLB1BIk&feature=PlayList&p=33087501F926B98E&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=hej7EQ3-jzU&feature=PlayList&p=33087501F926B98E&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=gse5Yfhqksk&feature=PlayList&p=33087501F926B98E&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=lDlQy4Ehfqs&feature=PlayList&p=33087501F926B98E&index=4

http://www.youtube.com/watch?v=t6XKsISZWzE&feature=PlayList&p=33087501F926B98E&index=5
http://www.youtube.com/watch?v=Fi_MkuXDReY&feature=PlayList&p=33087501F926B98E&index=6
http://www.youtube.com/watch?v=KORFE0FrVTA&feature=PlayList&p=33087501F926B98E&index=7
http://www.youtube.com/watch?v=B1wsWj4WSuM&feature=PlayList&p=33087501F926B98E&index=8
http://www.youtube.com/watch?v=Uu_U6EB7GyM&feature=PlayList&p=33087501F926B98E&index=9
98投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 16時34分00秒

シェイクスピア原作『マクベス』を日本の戦国時代にあてて翻案し、最も優れた映画化として世界で絶賛された作品。

能楽の演技を応用した演出と、妖気あふれるセット美術が、白黒画面の中に効果的に結実している。ラストの三船が無数の矢にさされるシーンの迫力が凄い。


謀反を起こした敵を破り主家の危機を救った鷲津武時(三船敏郎)は、帰城途中に出会った老婆(浪花千栄子)の予言通り大将に任ぜられた。武時は妻・浅茅(山田五十鈴)にそそのかされて城主を殺害し、自ら城主となったが、妻は再び親友・義明(千秋実)を殺すことを迫る。武時は今また義明を討ち、良心の呵責ゆえ半狂乱に。一方、身ごもっていた浅茅は死産し重体に陥る。義明の子・義照(久保明)は城主の一子を奉じて軍勢を率い、蜘蛛巣城へおし寄せてくる。城内の将兵は不安におののき、浅茅も発狂。武時は首を矢で射抜かれて死ぬ。
                          
黒澤明は青年時代には有望な画家であった。映画界に入ることによって画家を職業とすることは止めたが、映画では、ひとつひとつの画面が見事な美術になっている。こういう、動く絵画としての黒澤作品の性質がもっとも純粋に現れたのはこの作品である。

シェークスピアの「マクベス」にもとづいた日本の戦国時代の物語であるが、黒澤明は全く独自な戦国時代のイメージというものを新たにつくり出したのである。森の中の霧の彼方に忽然と現れる城にしても、現在の日本に残っている高くそびえる天守閣を持った美々しいのんびりした城とは違い、まるで地を這うような低い構えが、近寄る者たちへのむき出しの敵意を感じさせる。その城の中にある、かつて城主がここで殺されたという部屋は、板の壁にどうしても消えない血痕があり、黒と自と灰色だけで描きあげられたその神秘的な形象そのものが、深い怨念を現す。

武者たちの鎧も、美術館で見るような美々しい鎧とは違い、邪悪な闘志の結晶のように見える。
これらの美術にいっそう、不気味な生命感を与えているのは、能の演技を応用した俳優たちの動きである。浅茅(マクベス夫人)を演じる山田五十鈴は、能のお嘲子に合わせてすり足で歩き、やや前かがみの姿勢をとり、能面のような神秘的な表情を固定化させている。じつさいに黒澤明は能面のなかからいくつかのタイプを選び、主な俳優たちには、表情をそれに一致させるように要求した。鷲津武時(マクベス)を演じる三船敏郎も、主人を殺してまるで能舞台のような部屋へもどつてくるとき、槍を水平に構えた後向きのまま、足でドラムを叩くように床板をダダダダ‥・‥・と踏み鳴らしながらもどつてくる。床板をリズム楽器として使うのも能の形式である。

その部屋というのが、殺された城主の血痕が壁にある部屋なのだが、この場の美術と能のスタイルに合わせた演技はぴったりと一致して恐ろしいほどの効果を生じている。あたかも鷲津武時は、死者の怨念に操られてこの愚かな主殺しを行なってしまったかのように見えるのである。このあと、浅茅は、恐怖で肉体が硬直してしまった夫の鷲津武時の腕から槍を奪い、犯人を眠っている侍に見せかけるためにこの部屋から出ていくが、この部分での二人の演技は、大胆な彼女が小心な彼を操っているというよりも、二人とも、もっと巨大な神秘的な力の意のままに動かされているという印象になる。ぞくぞくするほど不気味である。
http://nihon.eigajiten.com/kumonosu.htm
99投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 16時57分07秒

三船演ずる武時が次々と矢を射かけられるラストシーンは、特撮ではなく、実際に三十三間堂の通し矢の名手が三船めがけて矢を射た。

実際撮影が終了した後、三船は黒澤に「俺を殺す気か!?」と怒鳴ったとのこと。その後も、自宅で酒を飲んでいるとそのシーンのことを思い出し、あまりにも危険な撮影をさせた黒澤に、だんだんと腹が立ってきたようで、酒に酔った勢いで散弾銃を持って黒澤の自宅に押しかけ、自宅前で「こら〜!出て来い!」と叫んだという。石坂浩二の話によると、このエピソードは東宝で伝説として語り継がれている[1]。

そんな三船は頻繁に「黒澤の野郎、あいつバズーカ砲でぶっ殺してやる!」ともらしていたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%98%E8%9B%9B%E5%B7%A3%E5%9F%8E


100投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 16時57分50秒

シェイクスピアの「マクベス」を日本の戦国時代に翻案した、黒澤明の昭和32年作品。黒澤時代劇としては小粒の印象なんだけど、改めて観るとセットはすごく豪華だし、騎馬やエキストラの数も半端じゃない。

霧に包まれた丘の上に、滲み出すように登場する堂々たる蜘蛛巣城は、江戸時代の城のように権力の象徴として建てられたものではなく、近隣大名との実戦を目的とした軍事要塞だ。背の低い黒構えの城は、外部に対してぴったりと門を閉ざし、その中で繰り広げられている人間たちの欲望を包み込む。この蜘蛛巣城を富士山麓に実物大のセットで作ってしまったのだから、当時の黒澤がいかに大きな予算を与えられていたか、当時の日本映画界にいかに資金があったかがわかる。

 スケールの大きなセットのわりに印象が「小さい映画」になっているのは、原作がシェイクスピアの舞台劇だからでしょう。主要なドラマはすべてステージセットの上で演じられる「室内劇」なのです。ロケーション撮影を駆使したシーンは、室内と室内をつなぐブリッジの役割しかはたしていない。そのロケーション撮影にしても、登場するのは蜘蛛巣城の外観や、魔物の出る蜘蛛手の森ぐらい。映画には隣国の大名の名や、いずれは天下を狙う云々という台詞もあったりしますが、基本的に蜘蛛巣城という小城を巡る攻防戦に終始し、その外側に広がる広い世界を感じさせません。この映画に描かれているのは、内部で閉じたすごく小さな世界なのです。

 こうした小さな世界の中で人間の欲望がぶつかり合うことで、映画は窒息寸前の緊迫感を生み出しています。小さな世界のちっぽけな権力のために、主人公は主君を殺し友を裏切る。自分の器以上の地位を手に入れた主人公は必要以上に懐疑的になり、最後は自滅して行くのです。能の動作や音楽を借りた演出も、濃密な世界を描き出すのに恐ろしいほどの効果を生んでいます。山田五十鈴の冷酷さと狂女ぶりとのコントラスト。亡霊になった千秋実のぼんやりとした表情も、背筋が寒くなります。

 血の匂いと死臭ただよう陰惨な映画ですが、登場する殺人の数はじつに少ない。合戦の場面はありますが、合戦の描写はないし、主君殺しが描かれていますが、死は血塗られた槍で表現されるのみ、盟友の暗殺は、亡霊の登場で済ませている。暗殺の成功を報告に来た使者を殺す場面も、きれいに左右対称にデザインされた画面が血生臭さを消しています。

 こうした「抽象的な死」がずっと続いていたからこそ、主人公の死を直接見せるクライマックスは壮絶なのです。裏切った味方の矢を全身に受け、恐怖のあまり半狂乱になる主人公。逃げようとする目の前に次々と矢が射られる中、板塀に突き刺さった矢を手で折りながら、声にならない悲鳴をあげつつ逃げ惑います。これは黒澤が『酔いどれ天使』や『羅生門』で描いてきた「勇敢な男のみっともない死にざま」の集大成でしょう。それにしてもすごい迫力。矢が空気を切り裂く音がすごく恐いのです。
http://www.eiga-kawaraban.com/97/97042102.html
101投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 17時22分02秒

全編にわたって能の様式美を生かす、という演出意図に沿って製作された 「蜘蛛巣城」 は、シェイクスピアの「マクベス」を日本の戦国時代に置き換えた物語だが、能のイメージが映画全体を支配しているような作品に仕上がっていることに驚いた。

しかし、この映画が能を取り入れていることは、我々にとっては大変見やすいことでもある。マクベス夫人にあたる山田五十鈴が、すり足で歩いたり片膝を立てて座ったりするところがそうだし、マクベス役の三船敏郎が主君殺しを決行するため別室に去り、残った山田五十鈴が ひとり不安と期待とに部屋を行ったり来たりするときの伴奏は能の囃子だ。

予言をする魔女のいるのが「黒塚」の作りものの中だし、回している糸車もそうである。殺された武将達の扮装は皆、二番目物・修羅能の後シテと同様に、法被 ・半切をつけている。  

戸井田道三 「能 神と乞食の芸術」より
http://white-knight.blog.so-net.ne.jp/2007-02-03
102投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 17時25分58秒

黒澤明監督は「蜘蛛巣城」までは、大戦後の混沌とした日本社会への思想的メッセージを込めて描いてきましたが、本作品では美学に重点を置いて、技巧を駆使して、流麗な映像で美しい映画を完成させています。

その礎となっているのが、神秘的な雰囲気を醸し出すことの成功要因となった“能”の様式美です。

 「蜘蛛巣城」城内の開かずの間は、先代の城主が暗殺された現場という設定ですが、凄味の中に神秘的な美しさを感じさせる、無垢材の板だけで内装している部屋は、古式蒼然とした“能”の舞台を彷彿とさせるのです。

マクベス夫人にあたる山田五十鈴が絹擦れの音をさせながら歩いたり、うつむき加減で会話するのも“能”の技法ですが、非業の死を遂げた武将たちの衣装までもが、全員、二番目修羅能の後シテと同様に“法被・半切”を身に着けていることにあります。
http://www.eigaseikatu.com/imp/2607/407271/
103投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 17時27分38秒

黒澤映画のなかで『蜘蛛巣城』は特別な意味を有する作品である。極端ないいかただが、「美」以外はなにものもない作品だからである。

それ以前の16作品はいずれも「思想」を語ろうとして来た。その直情的とも言える語り口は、いまになれば、やや生硬で青臭い。もちろん黒澤自身が若かったのだから当たり前といえば当たり前。

しかし『蜘蛛巣城』ではそれがふっきれてしまったのではあるまいか。あえて思想など語らなくてもよい、映画にしかできない表現がある、そういう地点に到達したのかもしれない。光と影と動き。そこに集約される映画の美。『マクベス』のあの厖大なセリフがこの映画から抜け落ちているということは、重大な意味をもってこよう。

 おそらくそれだからこそであろう。12歳の私を圧倒したのはそのような映画美であった。が、その美が何によってささえられているかについては、何も詰まっていなかった当時の私に分ろうはずはなかった。51年振りに再見して、それが、能をみごとに咀嚼し、さらに静と動との完璧なまでのバランスを与えられた「美」であることを見て取ることができた。私自身が能に対する関心を深め、造詣を深めてきたからこそ、この映画に表現されているものが理解できた、と思った。私にとって51年という年月は必要だったのであろう。

 この作品に引用されている能とは、そのドラマトゥルギーであり、所作であり、囃子(リズム)であり、舞台美術であり、要するに能の技巧のすべてだと言ってよい。

 たとえば、蜘蛛手の森のなかの妖婆は『黒塚』の引用である。その小屋。その糸車。糸車を回す妖婆の居住まい。これらは、もう、直接的な引用である。黒澤は原作の魔女たちという複数(3人)を一人に集約しているが、それだからこそ『黒塚』を引用できたのだし、また日本の民話や伝承において一つの目的をもった複数の魔女(物の怪)が登場するという伝統がない。したがって一人の妖婆に設定したことは正解であろう。

 さらに、物の怪が消え失せたその場所に、二人の武将は、屍の山をみる。いつのものとも知れぬ白骨化した死体が幾つもの山となっている。このカットは意外に見過ごされがちかもしれないので注意しておく必要がある。なぜなら、いましがたの妖婆は『マクベス』の「魔女」とはあきらかに異なり、あるいはこれら死者たちの怨霊となんらかの関係がある物の怪と解することができるからだ。とすれば、この白骨の山が、能のドラマトゥルギーに通じるもっとも肝心な核であると見ることができる。

 あるいは、北の館の主となった鷲津武時と浅路が、主人都築国春の訪問を機会に殺害を謀るシーンから、殺害を経て、その現場である「あかずの間」で二人ながら内心に狂乱をかかえこむシーンまでの長いシークエンスは、能舞台そのものを連想させる。そして、浅路を演じる山田五十鈴のメイキャップは、能面のように真白な厚塗りで表情を削ぎ、終始やや俯きかげん。その歩き方は能の「摺り足」である。さらに武時も共に、立居がまた能のたたずまいである。立っている二人が同時に座る場面がある。その膝のまげ方から、すっと沈むように静かに座る様を見ておこう。

 「あかずの間」の正面、雛壇の背景は能舞台の松羽目そっくりに作られているが、松のかわりに主人都築国春を殺害したときの血しぶきが禍々しい。それも当然で、松が象徴するのは永遠の生命だからである。いわば本歌取りしてさらに負のイメージに逆転している。じつに面白い美術である。三船敏郎(鷲津武時)が座っている背後に、屏風のようにしつらえてあるのは矢立である。鷲津武時は弓の名手なのだ。

 主人都築国春の殺害をそそのかし、警護の不寝番に痺れ薬をいれた酒を差し入れることにした浅路が、酒を用意するために奥にひっこむ場面がある。背を向けて出入口にひっこんだ姿がかき消すように暗黒に消える。すぐに大きな瓶子(へいじ)を抱えて白い顔の無表情で登場するが、いきなり暗黒から出現する。ここの照明は注目に値する。暗黒と光の領域とのあいだに中間領域がないのである。この効果は甚大で、象徴の高みに達している。おそらくカッティング技術によるのであろうが、その繋ぎは自然で、自然であるからこそ不自然な魔界が出現しているのである。
104投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 17時29分20秒

もうひとつ、録音にも注意を向けなければならない。山田が摺り足で動きまわるたびに「衣擦れ」の音がするのだ。それ以外の音は注意深く除外している。そのため、山田の衣擦れのみが、シューシューとまるで蛇の草むらを這い擦るような音になって効果をあげる。

 「衣擦れ」といえば市川崑監督の『細雪』にも、これは谷崎の原作にも書かれていることだが、長女の岸恵子が外出のための着替えをしながら、「帯が鳴る」と言う場面がある。正絹の帯はキュッキュッとなるのである。着物でも裾捌きによっては衣擦れがし、それは女性のおとなの色気を感じさせるものだ。このきわめて日本的な音が、じつは映画の音として表現されたことがない。すくなくとも私は知らない。

 そのような点においても、『蜘蛛巣城』の山田の衣擦れの音は記憶されなければなるまい。

 山田五十鈴の浅路の歩き方が能の「摺り足」の技法だとすれば、三船敏郎の鷲津武時が主人国春を殺害し、血糊がべったり付着した槍を抱えて浅路のもとへもどってくるその足音は、能の「足拍子」の技法であると言ってもよかろう。

 足拍子には、たとえば『道成寺』の乱拍子のように、気を溜めに溜めて絞り出すように足踏みするがそれはむしろ無音である。が、舞台を踏み抜くかのようにドンドンと音をたてる足拍子もある。いずれも囃子方の演奏、とくに鼓の裂帛の気合いにあわせる。能舞台そのものが建築的にその音を響かせる構造になっている。床下に幾つもの大きな土瓶が埋めてあるのである。

 三船はこの足拍子さながらにドンドンと足を踏みならす。この拍子は、たんに足音高く踏みならすのとは違い、技巧的に非常に難しい。それを三船はやっている。

 ところで物語はこの主殺し以後、武時と浅路の運命は狂乱怒濤のごとく、そして坂を真っ逆様に転げおちるように奈落の底へ転がり出す。それを動とすれば、前述した「静と動」の静の方は、例の妖婆に遭遇するシーンまで戻らなければならない。

 このシーンは異常なほど長い。浪花千栄子が演じる物の怪の老婆は、真直ぐ正面を向いて座り、無表情のまま何やら妖しいことを呟きながら糸車を回しつづける。二人の武将、鷲津武時と三木義明は、気をのまれたように無言のまま老婆を注視する。カメラは時に妖婆を二人の武将の肩ごしにとらえ、また逆方向から妖婆の背中越しに二人をとらえ、あるいは横から妖婆をとらえはするものの、終始この得体の知れない妖婆を中心に据えながら長い長いシークエンスを作り出している。

 なぜこんなに長く撮らなければならなかったのだろう。それは、二人の武将の運命を決定する重要な場面だからにほかならない。この物の怪の予言を信じようと信じまいと、二人はこの物の怪に操られるように運命が回転しだす。そのことを観客に強く印象付けなければならないのである。

 物の怪がこつ然と消えたあとで、暗黒の天空にまるで爪跡のような細い弦月がかかり、鋭い叫びをあげながら鵺が横切る。この月もまた、かつてどの映画作品にも登場したことがない鋭く細い月である。

 二人は予言を背負って蜘蛛手の森を騎馬で駆ける。この騎馬のシーンも見事だ。ジョン・フォードの『駅馬車』を凌駕するような素晴らしさだ。稲妻が閃き、背中の旗指物がはためき、森の木々が飛ぶ。ここも長い長いシーンだ。駆けれども駆けれども運命の網からのがれられないことを暗示するかのように。・・・そして二人の騎馬武者はようやく蜘蛛手の森の迷路から抜け出て、霧が深くたちこめる荒れ野に出る。遥か彼方に蜘蛛巣城が姿をあらわす。
http://plaza.rakuten.co.jp/plexus/diary/200809030000/
105投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 17時53分21秒

黒澤明版マクベス『蜘蛛巣城』

 テレビでやってた『蜘蛛巣城』、録画しておいたので観てみた。
 これは言わずと知れた黒澤明による映画版「マクベス」です。以前、名画座(たぶん銀座並木座)で観たのだけれど、なぜか印象薄く、記憶があまりなくて、今回観てみてその理由を探求したの。

 もちろん一見に値するし、びっくりするような凄いシーンがある。シェイクスピアファンであるならば、やっぱり一度は観とかないと。ただ、黒澤映画では『用心棒』が一番好きなマダムから言うと、『蜘蛛巣城』はちょっとテンポが緩く、全体的に長いなあという印象だったわ。

 その一番の原因は黒澤監督が「能」の様式を取り入れていることじゃないかとマダムは思う。

 そもそも『マクベス』はシェイクスピアの中では最も無駄のない構造の芝居で、本筋と関係ない人物が全く出てこない。シェイクスピアにしちゃ珍しい芝居だ。だって、シェイクスピアは座付き作家だったから、役者全員に役を与えるために、かなりどうでもいいような役を作っては芝居に出してる。それが逆に芝居にふくらみを持たせて面白い!ってこともあるんだけどね。でも『マクベス』には珍しくそういう遊びがないの。だから『マクベス』は普通にやれば、舞台でも2時間半で終わる。短いのよ。コンパクトなの。

 黒澤明とそのブレーン脚本家たちは、翻案にあたり、その無駄のない『マクベス』からさらに枝葉を切ってしまう。

たとえば、マクベスが狂気の殺戮に走る「マクダフ夫人と赤ん坊殺害」のシーンにあたるところが全くない。

それからマクベス夫人が自殺したことを聞いてマクベスが「あれも、死んだか・・・」ってその死を受けとめ、あの有名な科白をつぶやくところがない。「人生は歩く影法師、あわれな役者に過ぎぬ・・・」

 いえ、切っちゃいけないと言ってるわけじゃないのよ。切った分どこが長くなってるかっていうと、能の様式を使ってるせいで全体に間延びした感じになってるのが、残念なだけ。

マクベスが森で出会う魔女(映画ではもののけ)の科白回しも、能と言っていいのかマダムにはよくわからないけれど、とにかく何を言ってるのかがはっきりしなくてイライラする。もちろんマダムはマクベスは暗記するほど観てるので、ここで何が予言されるのか知ってる。でも知らない人だと、これじゃわからないんじゃないの?と思う。

『用心棒』なんかで見せた、スピーディで観る人を巻き込むように連れて行くあの手腕とは、程遠い。いや、残念よー。だって『マクベス』はシェイクスピア作品の中で最も『用心棒』的な、あれよあれよと話が進んでいく芝居なんだもん。これに能を持ち込んじゃったのは、ミスマッチだったんじゃないかしら。巨匠に遠慮して誰も言ってないかもしれないけど。

106投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 17時54分53秒

それでもこの『蜘蛛巣城』は、舞台じゃなくて映画ならではのイメージが画面に結実しているところが随所にあって、素晴らしい。

 まず冒頭、マクベスとバンクォーが森を馬で駆け抜けるシーン。三船敏郎が弓を、千秋実が槍をそれぞれ掲げながら、雷鳴轟く森を走っていく。ただそれだけなのに、ああ、今まで観たことのないマクベスとバンクォーだー、って胸が熱くなる。

その後も、ダンカン殺害後のマクベスがダンカンの息子を馬で追いかけるところや、バンクォーを乗せてた白い馬が馬だけで帰ってきちゃってバンクォーに何かあったぞ、って思わせるところとか、ダイナミックで、ぞくぞくする。やっぱり、黒澤映画は、馬よ、馬!

 そして、圧巻はラストシーン。三船敏郎のマクベスは敵に討たれるのではない。部下の信頼を失い、味方の矢を浴びて、死ぬ。今、浴びて、と書いたけど、ホントに「浴びて」っていうのがふさわしいほど、シャワーのように矢が飛んできて、三船敏郎のまわりの壁に突き刺さる。逃げ回る三船敏郎の首に真横から一本の矢が突き刺さった時には、テレビ前のマダムも思わずひっ、と声が出てしまったー。このシーンを観るだけでも映画一本観る価値があるね。今はCGでいくらでも出来そうに思えるのに、絶対出来ない迫力のシーン。そりゃやっぱり、監督の想像(創造)力というか妄想力の凄さなのよね。

 長くなっちゃったけれど、最後にもうひとつだけ。舞台で『マクベス』を観るたびいつもマダムが引っかかるのは、マクベス夫人なの。
 だいたい夫を上回るワルで、夫に主人殺しを焚き付けるような女なのに、後半に出てきた時にはもう狂ってて、手に付いた血が取れないっていう妄想に取り付かれてる。前半の気の強さが一転する理由が、どうもよくわからず、狂っているのがとても唐突に思えるの。だからマクベス夫人をやる女優にはそこのところの説得力を求めて、芝居を見るんだけど。

 ところが『蜘蛛巣城』ではそこにちゃんと理由があった。山田五十鈴のマクベス夫人は、マクベスが下克上で殿様になったあと、妊娠するの!で、お腹の子を世継ぎにしたいばっかりにバンクォー殺害をマクベスに迫る。が、その後、子供を死産してしまい、それをきっかけに狂ってしまうのよ。

 元祖『マクベス』にはマクベス夫人の妊娠なんて、出てこない。でもそれを脚本に盛り込んだことで、マクベス夫人の発狂がすんなり受けとめられる。なるほど、って感心したな、マダムは。黒澤ブレーン脚本家軍団に脱帽、だわ。
http://madam-viola.tea-nifty.com/blog/2008/09/post-5ac4.html
107投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 18時05分29秒

日本版「マクベス」はどう描かれたか

『蜘蛛巣城』で黒澤が見せる見事な場面は多い。その中から私は次のいくつかを選ぶ。

鷲津武時夫妻(武時=マクベス・三船敏郎、妻浅茅=マクベス夫人・山田五十鈴)は能面のようなメイクアップをしている。屋内での抑制された動きの場面は能舞台を強く意識している。マクベスは最後に貴族マクダフと戦い殺されるが、映画の武時は蜘蛛巣城々内で部下の反逆で死ぬ。曲輪で矢に射られる場面はサイレント映画風の画面の強さを見せる。

「マクベス」の三人の魔女は、『蜘蛛巣城』では一人の老婆(浪花千栄子)となった。
雷鳴轟く「蜘蛛手の森」(バーナムの森)で武時と三木義明(バンクォー・千秋実)は老婆と出会い蜘蛛巣城主の将来に関する予言を聞くのである。老婆は、能「黒塚」の鬼女を模している。幻想と恐怖が入り交じるスリリングな場面だ。戦局が悪化してから武時は再び老婆の許へ行き自分の運命を聞いた。老女は「御安心なされませ・・この蜘蛛手の森が動き出して、蜘蛛巣城へ押し寄せぬ限り、貴方様は戦に敗れる事はありませぬ」と答える。彼は森が動くとは信じないから敗北もないと安堵する。その「蜘蛛手の森」が動いて城に押し寄せるのである。二回ほどの短いショットであるが、霧の中から動く森が現れる場面が素晴らしい(撮影中井朝一)。城内の小窓からそれを見て武時はおのれの敗北を知るのである。撮影に比べて音声が悪いのには本当に参る。セリフは半分も聞き取れない。NHKは日本語スーパーを入れて放映すべしと思うほどである。

《 『蜘蛛巣城』は分岐点か 》
 私はここで考え込む。これらの場面は様式化の面白さ、映像としての面白さを見事に表現している。しかし登場人物の心理の動揺や変化を―総じて内面の変化を―表現する場面ではない。『蜘蛛巣城』は緊張感にあふれた作品ではあるが、鷲津武時の心理は意外に予定調和的であり内面の苦悩といったものが感じられないのである。

しかも意外なのは黒澤自身が「マクベスという人物は、僕にはどうも、そう個性的な人物だとは思えなかった」といっていることだ。これは『映画評論』(57年3月号)に載った映画評論家岩崎昶との往復書簡での言葉である(『全集黒澤明』第四巻)。その文章のなかで岩崎は、モスクワの雑誌「外国文学」に自分が書いた日本映画論において黒澤を次のように評価したと述べている。
108投稿者:蜘蛛巣城  投稿日:2009年03月23日(月) 18時06分17秒

▼日本映画がもしいつか古い殻から脱離していく―そして新しい民族的な映画芸術を作り上げる―べきであるとすれば、黒澤明はその第一列に立つ人だと私は思います。『羅生門』も『七人の侍』も『生きものの記録』も、すべて彼が問題を一度普遍的な観念にまでおしひろげて形成するタイプであることを証明しています。(略)彼の映画はいつでもテーマがまずまっさきにあります。その上にドラマが建設的に組み立てられていくのです。彼の映画は観念的だという非難をうけます。その危険はたしかにあるのですが、じつはこれこそ彼の日本映画にたいする功績なのです。

《 そんな方へは行きたくないと思っています 》
岩崎は同時に次のような心配をしている。

▼『蜘蛛巣城』はあなた(黒澤)のこれからの仕事の分岐点になるのではないかという気がします。この映画であなたが試みた様式化とその成功は疑いないとしても、これがあるいは今後様式化への傾斜というか、現実への強引な加工というか、そんなものとなってあなたの作品に残るか、それとも、『生きる』、『生きものの記録』のような今日の時代の人間の存在の根本に問題を投げかける現実的な切実なテーマを追及していくか。『蜘蛛巣城』はそのどっちへもの可能性を持っていて、だから分岐点となりうるのだと思います。

岩崎は、観念だけに頼るのでなく映画作家による絶えざる現実への回帰、現実との対話が必要だと考えて、黒澤にこういったのであった。先見性に富む鋭い指摘であった。岩崎に対して黒澤は素直にこう答えている。

▼僕としては、貴方のおっしゃる、様式化への傾斜、現実への強引な加工、そんな方へは行きたくないと思っています。『生きる』や『生きものの記録』の方向―また『酔いどれ天使』や『野良犬』への道―と申しても、あれよりもっと落ちついた眼で今日の人間の問題をじっくり描いていきたいと思っています。

《 様式化への道は敷かれていた 》
 『蜘蛛巣城』を観て、私は黒澤のもつ様式化または画面構成重視への傾斜を強く感じた。映画監督が、様式化や画面構成に凝るのは当然ではあろう。しかし黒澤の場合、しばしば一線を越えてそれが自己目的化してしまうのである。
黒澤の作品群は、岩崎の懸念した通り、「様式化」の華々を咲かせることになるだろう。
それは30年後、『影武者』、『乱』において現実となった。

57年10月に黒澤はロンドン映画祭に招待された。開催式で『蜘蛛巣城』が上映された。映画人観客の反応はもっぱら「もの凄く怖かった」というものであった。黒澤はこの異様で一面的な反応に驚いているが、その意味を深く吟味する必要があったと思う。彼は批判とみていないようだが、これらのコメントは「様式化」の強調に対する暗示的な批判であったと私は思うのである。「様式化」への芽は『蜘蛛巣城』においてすでに明確だったのである。
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-455.html
109投稿者:777  投稿日:2009年03月23日(月) 23時03分50秒

蜘蛛巣城は確かに物凄い作品です.

しかし,名作を見終わった後に心に残る筈の哀しさや切なさが全く感じられませんでした.
110投稿者:祇園囃子(1953)  投稿日:2009年03月28日(土) 14時01分46秒

原作:川口松太郎
監督:溝口健二 
脚本:依田義賢 
撮影:宮川一夫
音楽:斉藤一郎
美術:小池一美

キャスト(役名) - 祇園囃子
木暮実千代 (美代春)
若尾文子 (栄子)
河津清三郎 (楠田)
進藤英太郎 (沢本)
菅井一郎 (佐伯)

http://www.youtube.com/watch?v=RV97niIi-_8&feature=PlayList&p=09D3EDEC2C13BA7B&playnext=1&playnext_from=PL&index=11
http://www.youtube.com/watch?v=3Y4UkMDBfN0&feature=PlayList&p=AAEF1FBFD9A3091E&playnext=1&playnext_from=PL&index=9
http://www.youtube.com/watch?v=ARpjGn3g1eA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=BhYY45YtyV8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=nK2arO5vvdY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ciCIPLT-P2Q
http://www.youtube.com/watch?v=U44nO5bTRUc
http://www.youtube.com/watch?v=02xRSjhNZqo&feature=related
111投稿者:祗園の姉妹(1938年)  投稿日:2009年03月28日(土) 14時08分56秒

監督・原案:溝口健二
脚本:依田義賢
撮影:三木 稔

キャスト(役名) - 祇園の姉妹
小野道子 (美津ひろ)
木暮実千代(美津次)
中村玉緒 (美津丸)
勝新太郎 (木村保)
進藤英太郎(工藤三五郎)

http://www.youtube.com/watch?v=RV97niIi-_8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=4WVsmnEDiwI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=V4WJPHJD-y0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=vqAoDjgZDGM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=u6Dv6HTzlVo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=7hLThDNMcMU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=bIo31t6WiJc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=CooEptQ7wz8&feature=related


112投稿者:777  投稿日:2009年03月28日(土) 22時16分27秒

771 :この子の名無しのお祝いに:2009/02/26(木) 13:40:00 ID:FiamviDl

黒沢さんの映画ってのはね、高校生が見てもおもしろい。
実際、自分は高校1年生のときに「用心棒」を民放テレビで見たけど、とても面白かった。

よく言えば大変わかりやすいといえるけど、ズバリ言えば単純であって、黒沢本人が白状
しているとおり彼は邦画はほとんど見ていない・・・洋画ばかりを見てきた。とくにアメリカ映画
ばかりを見てきた。
アメリカ映画ばかりを見た人間が映画監督になれば、作る映画もアメリカ映画みたいになる
のは当然でね、だから単純明快なんだな。

これが成瀬とか溝口あたりになると、大抵の高校生は「つまんねーよ!」ってなるんだよね。
黒沢みたいに単純な映画じゃないから理解できないんだよね。

つまり黒沢映画ってのはサルでもわかる。はっきり言えばアニメと同じだね。ジプリと同じだね。
ジプリは子供も大人も楽しめるもんね。外人でもわかるから、黒沢は外国の映画賞をいっぱい
もらえるんだよね。

ガキでもわかるから、「糞尿」とかいかにも子供の書き込みですってバレバレの書き込みが
黒沢関係のスレにはいっぱいあるんだよね。こんなバカな書き込みが蔓延するのも映画が
アニメみたいだからで、結局は黒沢本人が「ボクはどですかでんのろくちゃんだね」と言って
いたけど、自覚しているだけいいけど、本当にどですかでんのろくちゃんレベルなんだよね。
113投稿者:777  投稿日:2009年03月28日(土) 22時18分15秒

781 :この子の名無しのお祝いに:2009/02/26(木) 19:16:20 ID:FiamviDl

>彼は邦画はほとんど見ていない・・・洋画ばかりを見てきた。とくにアメリカ映画

これは黒沢本人が書籍「蝦蟇の油」で自白してまーす。表みたいなのに黒沢の記憶に残る
映画が書いてあって、洋画ばかりになってまーす。

あとNHK特集「黒沢明の世界」でも
インタビュー:お父様が厳格な方だったそうで・・では、大変きびしくしつけられましたでしょうか?
黒沢:ええ、きびしかったですね。でも、なぜか映画だけは見ろ見ろと・・そのときは映画
    を見るってのは罪悪みたいな時代だったのにね。しかもなぜか日本映画じゃなくて
    邦画ばかりを見せられてましたね。

と自白してます。そんなことより、釣りバカ日誌の戸川純って最高だよな!
114投稿者:浪華悲歌(1936)  投稿日:2009年04月26日(日) 20時22分03秒

監督: 溝口健二
原作: 溝口健二
脚色: 依田義賢
台詞: 藤原忠
撮影: 三木稔
衣裳: 小笹庄治郎

出演:

山田五十鈴 村井アヤ子
浅香新八郎 アヤ子の兄・村井弘
進藤英太郎 株屋・藤野喜蔵
田村邦男 医師・横尾雄
原健作 麻居店員・西村進
橘光造 会社員・松下文三郎
志村喬 刑事 峰岸五郎

115投稿者:浪華悲歌(1936)  投稿日:2009年04月26日(日) 20時24分26秒

浪華悲歌
http://www.youtube.com/watch?v=6l0kWPAPV28
http://www.youtube.com/watch?v=TWJ64bKB8v0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=x6EOmU8aZTs&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=Tduq0_-1N64&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=SjL-uoMiL1I&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=gPr7Phc-TGQ&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=sdHhfB01V10&feature=related
116投稿者:生きる1952・東宝  投稿日:2009年10月10日(土) 09時31分05秒

製作:本木荘二郎
監督:黒澤 明
脚本:黒澤 明
    橋本 忍
    小国英雄
撮影:中井朝一
音楽:早坂文雄

出演:志村 喬
    小田切みき
    金子信雄
    関 京子
    浦辺粂子
    菅井きん
    丹阿弥谷津子
    田中春男
    千秋 実
    左 ト全
    藤原釜足
    中村伸郎
    渡辺 篤
    木村 功
    加東大介
    宮口精二
    伊藤雄之助
117投稿者:生きる1952・東宝  投稿日:2009年10月10日(土) 09時33分14秒

監督:黒澤 明

http://www.youtube.com/watch?v=_ttm6fiTr_o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=6KLGylFoKzg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=qTywODRpReY&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=WcauHI9OFRw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=RWf5NsqdeEo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=JjUOoUIikBY&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=D6_qSnn5SuI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=XeoU5nLh7wA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ea0fQbXXFk0&feature=related
118投稿者:生きる1952・東宝  投稿日:2009年10月10日(土) 09時34分37秒

監督:黒澤 明

http://www.youtube.com/watch?v=IxG98IEx4IQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=bzSNQnITEyI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=KyHcca1jbew&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=COxM6S9tt10&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=SgCOGbW_3cs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=eNBoQe7FvW8&feature=related

119投稿者:生きる1952・東宝  投稿日:2009年10月10日(土) 11時59分06秒

イワン・イリイチの死、トルストイ作

イワン・イリイチ。45才。裁判所判事。彼は一官吏としてもくもくと出世街道を登り詰めてきた。しかし彼にとって家庭生活は決して愉快なものではなかった。家内とはいつも言い争い、疎ましく思っていた。出世し、他人がうらやむ金を稼ぐ、ここにイワン・イリイチの人生の欲望があった。

官界における栄達、私的生活の充実、イワン・イリイチは自ら獲得した生活に充足されたと思い込んだ。そんなある日、脇腹に重苦しさを感じ、何人かの名医に診て貰った。危険か、危険でないのか、知りたいのは結論だった。しかし名医達は患者の前で患者の意向に正しく応えようとはしなかった。病状は確実に悪化していった。イワン・イリイチは自分が死にかかっているのではないかと感じた。それは絶望そのものであった。

彼は「人間は必ず死ぬ」という3談論法を正しいと考えたが、それはあくまで一般の人を対象にした論理であり、自分は生まれてから今日まで自分そのものであり、自分にはこの論理は別物であった。自分が死なねばならぬことなど、あまりにも恐ろしいことであった。


彼はこの考えの代わりに次々と別の考えを持ち出し、これを忘れようと努めた。しかし再びこの考えに戻ると、そこではもう死は覆い隠すことなく、むき出しで彼に迫った。彼は裁判所に出かけ気を紛らわせようとした。しかし痛みは彼にひしひしと迫った。彼は別の覆いを捜したが、痛みは容赦なく彼に死を覆い隠すことなく迫ってくる。


周囲の嘘がイワンを苛立たせた。下男ゲラーシムだけが本当の姿で彼に処してくれた。ゲラーシムと一緒にいる時だけは不思議に痛みが癒えた。ゲラーシムの言葉「人間は誰でも死ぬもので御座います」。イワンはこの言葉は素直に聞けた。しかし一人でいるのは怖かった。周囲の嘘と偽善は彼を苦しませた。健康な家内や娘の身体を見る度に憎悪が走った。自分に同情し、泣いてくれる息子だけが不憫でならない。ゲラーシムと息子だけが自分を憐れんでくれていると思った。

一人になってイワンは泣いた。一人になって内なる魂の声を聞いた。「自分の人生は間違っていたのか。自分は何を求めて生きてきたのだ」。身体は日を追う毎に衰弱していった。

寝ている彼が味わうのは孤独だった。孤独の中で過去を思った。過去の最初には1点の光があった。しかし光は加速度的に暗くなり、墜落、衝突、破壊が待っている。「自分は間違った生き方をしてきたかも知れない」。全てが欺瞞だ、しかし今や回復不能。

のたうち回る。家内の虚偽と欺瞞に満ちた目。憎悪の念と痛みが身体を襲う。「自分は間違っていた。しかし本当のこととは一体何だろう」。息子が近くに来て手を握って泣き出した。落ちていく中でイワン・イリイチは光を見た。「そうだ、わしはこの連中を苦しめている。みんな可哀相だ。しかしわしが死ねばみな楽になるだろう。そんなこと口に出さずともわしが死ねば良いのだ」。この瞬間、全てが楽になった。痛みも消えた。目の前には、死の代わりに光があった。何という喜びだ。「死はおしまいだ」彼はこの言葉を最後に耳にしながら、息を引き取った。
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/ad/iwanno.htm
120投稿者:生きる1952・東宝  投稿日:2009年10月10日(土) 12時05分31秒

トルストイ「イワン・イリイチの死」

原著は1886年3月22日完成。イワン・イリイチが死ぬまでの過程を容赦なく克明につづった小説。個人の死を描写したとして、実存主義哲学の先駆けとされる。ナボコフはドストエフスキーの技法の幼稚さをさんざん罵倒しつつ、トルストイの芸術家としての手腕を絶賛している。ナボコフはトルストイが晩年宗教哲学に傾倒して文学から離れたことを嘆いているが、それでもこの後期を代表する短編「イワン・イリイチの死」は高く評価している。トルストイ後期の他の短編は、どれも宗教的教条臭に満ちているが、この作品は、彼の宗教哲学に共感できない人でも、十分トルストイそのもののすごさを体感できる内容となっている。

 イワン・イリイチは四十五歳で、裁判所の一判事として死ぬ。小説の冒頭は、彼の同僚たちがイワン・イリイチの死を知って、彼の家を訊ねる場面となっている。他人ごとであるイリイチの死によって、官位が一つあいたことを同僚たちは喜ぶ。何の悲しみもない、エゴまみれの葬儀場面の後で、イワン・イリイチの生活史が綴られる。

「法律学校時代すでに彼は、その後の全生涯にあったと同じ彼ーー有能な上に快活で、人がよく、人づきあいもよかったが、自分の義務と考えたことは、厳格に実行するという男であった。ところで、彼が自分の義務と考えたことはすべて、高い地位におかれた人々によって、そう考えられていることであった。彼は少年時代にも、その後成人してからも、人にとり入るような男ではなかったが、しかし彼には、ずっと若い時分から、蠅が光にひかれるように、社会で最高の地位を占めた人のほうへひかれる傾向があり、しぜん、彼らの生活態度、彼らの人生観を身につけて、彼らと親しい関係を結ぶようになるのであった。(…)法律学校時代に彼は、以前にはたいへんけがらわしいことに思われて、それを行なうときには自分自身にたいしてすら嫌悪をおぼえたほどの行為を実行したが、その後、この行為が身分の高い人々によっても行われ、べつにわるいこととも思われていないのを見て、それをいいことと思ったわけではないけれども、いつかすっかり忘れてしまって、それを思いだしてもなやむようなことはなかった。」(p115)

 イワン・イリイチは有能な上に快活で、義務を厳格に実行する、端から見ると立派な人間である。彼が義務と考えることは、社会の最高位の地位に置かれた人々が義務と考えることと等しい。彼は媚びをうることはないが、社会で最高の地位にある人に憧れ続ける。ここまではまっとうな、悪く言えばありきたりの人物描写だが、トルストイの妙技が加わるのは後半部分である。イワン・イリイチは、やましい行為に手を出しても、自分が憧れている、身分の高い人々も同じ行為をしており、彼らがそれを別に悪いことと思っていないことを知ると、自分の感じていた罪の意識さえ忘れるのだった。トルストイは暗黙裏に、社会で身分が高い人もやましいことを当然のように行なっているのだから、彼らを闇雲に崇拝するのはよくないし、みんながやっているからといって、自分の罪を正当化するのはいけないことだと言う、かたくななまでの正義の論理を語っている。
121投稿者:生きる1952・東宝  投稿日:2009年10月10日(土) 12時06分04秒

 イワン・イリイチは貴族の出で、器量よく、財産もある、きれいな女と結婚する。しかしそのうち妻は、何の理由もなく嫉妬したり、彼にご機嫌とりを要求したり、不愉快さを露骨に見せたりする。
「彼は、妻のきげんをつとめて無視することにし、従前どおり、かるく愉快な生活をつづけていたーー自宅や友だちを招いてカルタをやったり、ひとりでクラブや友人のもとへ出かけたりしてみた。しかし、妻はあるとき、たいへんな精力を見せて乱暴な言葉で彼を罵倒しはじめ、彼が彼女の要求を実現しないと、そのたびに、いかにも執拗に罵倒をつづけ、明らかに彼が屈服するまで、つまり彼女と同じように、いつも家に閉じこもって、うつうつと楽しまないようになるまで、決してやめまいと堅く決心したかのように見えたので、イワン・イリイチはおぞけをふるった。」(p119)

いかにもトルストイ的な夫婦生活の崩壊場面である。彼は小説作品の中で何度もこのような情景を描いている。

「こうして、妻がいらだちやすく、要求的になればなるほど、イワン・イリイチもますます自分の生活の重心を、勤務のほうへ移すようになった。彼は前よりいっそう勤務を愛するようになり、いっそう名誉心が強くなった。」(p119)

妻は夫に対して自分と同じように家の中に閉じこもって、暗い生活を送るよう強制しているとイワン・イリイチは感じる。するとイリイチは皮肉にもますます家庭の外に生活の重心を移そうとする。外で働く夫と家庭にい続ける妻のかい離。

 無論仕事先でイリイチは立派な人間としてふるまっているので、仕事仲間や依頼人と人間的な交流を持とうとしない。人間と上品ぶってつきあうのがイリイチの生き方である。こうした人間関係をイリイチは家庭にも当てはめようとする。

「やがてまもなく、結婚後一年とたたないうちに、イワン・イリイチは、夫婦生活というものは、生活にある便宜は与えるけれども、じつはひじょうに複雑な、重苦しい仕事である。したがって、自分の義務をはたすため、つまり社会から是認されるような、作法にかなった生活を送るためには、勤務に対するのと同じような、一定の態度を作り出す必要がある、こうさとった。

「そこでイワン・イリイチは、夫婦生活にたいするこういう態度を自分に作った。彼は、家庭生活からは、ただ家での食事、主婦、寝床、そうした妻の彼にあたえうる便宜と、主としては、世論が決定する外面形式の上品さだけを要求した。その他の点で彼は、陽気な愉快さと上品さを求め、もしそれが見つかると、ひじょうにありがたがった。が、もし抵抗や不平に出くわした場合には、さっそく垣をめぐらした勤務という別世界へ逃避して、そのうちに愉楽を見出すのだった。」(pp119-120)

 生活の便宜性、機能と上品さ、愉快さだけを家庭に要求し、それ以外の不平に出くわせば、すぐまた仕事に逃避する。人間的な深い心の交流などどこにも要求せず、便宜性と上品さと愉快さだけで満たされるイワン・イリイチの生活。

 時が経ち、イワン・イリイチの体を死の病がおそう。イリイチは生き生きとしている周りの人間たち全てに嫉妬し、苛立ち、自分の人生を振り返える。彼が自分の人生の中に生気を見出せたのは、子ども時代だけであった。

「結婚……いかにも思いがけなく、そして幻滅、妻の口臭、肉欲、虚飾! それからこの死んだような勤務、金の苦労、こうして一年、二年、十年、二十年ーーどこまで行っても何もかも同じだ。さきへ行けば行くほど、生気がなくなる。」

「ことによると自分は、生きかたを間違っていたのだろうか? とつぜん、こういう考えが頭にきた。しかし、当然すべきことをしてきたのに、どうして間違うなんてことがあるだろう?」(p151)

「《しかしせめて、なぜこんなことがあるのか、これだけでもわかればいいが。それもだめだ。おれの生きかたが間違っていた、こう言ってしまえば説明もつく。しかし、それももう承認できない》と彼は、自分の生活の合法性、正しさ、作法にかなっていることを思いだしながら、われとわが身に言うのだった。《そんなことは、もうとても承認できない》」(p153)
122投稿者:生きる1952・東宝  投稿日:2009年10月10日(土) 12時06分33秒

「《もしほんとうにおれの生活が、意識的生活すべてが間違っていたとしたら、どうだろう?》

 そのとき彼の頭に浮かんだのは、前にはぜんぜん不可能に思われたこと、つまり彼のそれまで送ってきた生活は間違いだったということーーそれがやはりほうとうだったかもしれぬという考えであった。つづいて彼の頭にうかんだのは、社会で最高の地位にある人々がよしとしていることにたいして闘ってみようという、あるかなきかの秘められた心の動向、彼がいつも起こるとすぐ自分から追いのけ追いのけしていた、あるかなきかの秘められた心の動向ーーそれこそ、ほんとうのものであって、それ以外のものはすべてそうでないかもしれぬ、という考えであった。彼の勤務も、彼の生活設計も、彼の家庭も、社交や勤務上の興味もーーすべてが本物でなかったかもしれない。」(pp154-155)


 人生観の大転換である。彼の生活の全てが「生をも死をもおおいかくしていた恐ろしい巨大な欺瞞」(p155)であったことに彼は気づいた。虚飾で彩られた彼の生活には、生気も、死もなかったのだ。

 社会で最高の地位にある人々がよしとしていることで、間違っていることは数限りなくなる。戦争、裁判、売春、死刑、暴力、嫉妬、独占欲、性的支配、南北格差、性と商品の横溢。それら全てを当然のこととして受け入れるのではなく、間違っていると感じることには、みなと同じように賛同せず、闘うこと。これがトルストイの人生である。

 イワン・イリイチはほんとうの人生を送ろうとしても、死が目の前に迫っている。彼は何もすることができないまま死ぬのだろうか。

「《自分は自分にあたえられたすべてをむだにしてしまい、回復の見込みがないという意識をもってこの世から出て行こうとしているとしたら、そのときはどうだろう?》彼は仰向けに寝たまま、すっかり新しく、自分の全生涯を思いかえしはじめた。」(p155)

無駄にすごしてしまった人生の最後、無駄のまま死を迎えようとしているイワン・イリイチに、光が訪れる。

「ちょうどこの瞬間に、イワン・イリイチは穴に落ちこんで、光をみとめたのである、そしてそのとき、彼には、自分の生活はほんとうではなかった、しかしそれはまだ訂正できるーーこういうことが啓示されたのだった。」(p157)

「彼は、昔から慣れっこになっている死の恐怖をさがしてみたが、見つからなかった。死はどこだ? 死とはなんだ? どんな恐怖もなかった、死がなかったからである。死のかわりに光があった。」(pp157-158)

 小説の最後、死の瞬間、イワン・イリイチは、人生を無駄にするという死から抜け出す。

「「おしまいだ」と誰かが彼の上で言った。

 彼はこの言葉を聞きつけて、それを心の中でくり返した。《死はおしまいだ》と彼は自分に言った。《もう死はないのだ》

 彼は空気を吸いこもうとしたが、深い呼吸は中途でとまり、ひとつ身をのばすと、死んでしまった。」(p158)

 トルストイは死の直前にあってさえも虚飾にまみれた人生から抜け出すことができるという希望を提示した。死とは人生を無駄に、享楽的に過ごすことだとすれば、いつでも復活することは可能である。肉体的に滅びさる直前にも復活できるのだから、今すぐに、社会で最高位にいる人々がよしとする悪と闘うことは可能である。
http://naha.cool.ne.jp/feltmail/reviewtrsiwan.html
123投稿者:羅生門  投稿日:2009年10月24日(土) 10時36分54秒

監督 黒澤明
原作 芥川龍之介
脚本 黒澤明 橋本忍
撮影 宮川一夫
音楽 早坂文雄

キャスト(役名)
三船敏郎 (多襄丸)
森雅之 (金沢武弘)
京マチ子 (金沢の妻・真砂)
志村喬 (杣売)
千秋実 (旅法師)


http://www.youtube.com/watch?v=-K5RCVRDObM&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=CHVfccK_cRI&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=VH2fr_h-LKo&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=3

124投稿者:羅生門  投稿日:2009年10月24日(土) 10時38分31秒
監督 黒澤明

http://www.youtube.com/watch?v=e83FEdYi4IY&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=I54So5Y2OAU&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=5
http://www.youtube.com/watch?v=Rm9MLoifAS4&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=w-NczyX1ilM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=JR5HAHR-X-I&feature=related
125投稿者:赤ひげ  投稿日:2009年11月01日(日) 11時23分28秒

監督 黒澤明
製作 田中友幸
菊島隆三
脚本 井手雅人
小国英雄
菊島隆三
黒澤明
出演者 三船敏郎
加山雄三
山崎努
音楽 佐藤勝
撮影 中井朝一
斎藤孝雄
編集 黒澤明
配給 東宝
公開 1965年4月3日
126投稿者:赤ひげ  投稿日:2009年11月01日(日) 11時29分13秒
監督 黒澤明

http://www.youtube.com/watch?v=SczWki5VRfQ&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=0&playnext=1
http://www.youtube.com/watch?v=kKXO4nxIudU&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=pxErHmk0RJU&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=2

http://www.youtube.com/watch?v=wLoB-vKKvYk&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=A6fqMZ8OJR8&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=VZFm8AC3iS4&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=5

http://www.youtube.com/watch?v=HsJnOkcSO7Q&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=6
http://www.youtube.com/watch?v=ga6ix1oheJk&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=7
http://www.youtube.com/watch?v=p5vsnMDbd4c&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=8

http://www.youtube.com/watch?v=ST3EnQtMfxc&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=9
http://www.youtube.com/watch?v=2vZ5OWtB8OQ&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=10
http://www.youtube.com/watch?v=RskJZI0gJRI&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=11

http://www.youtube.com/watch?v=0ZnJoyIJHt4&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=12
http://www.youtube.com/watch?v=RcP-vu7yKJw&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=13
http://www.youtube.com/watch?v=PQNe3hGzkgA&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=14

http://www.youtube.com/watch?v=WS3FnVFXA_g&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=15
http://www.youtube.com/watch?v=2mOENe_Q-Ak&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=16
http://www.youtube.com/watch?v=ghp78DyIRFQ&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=17

http://www.youtube.com/watch?v=qk_L1dPa1gE&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=18
127投稿者:赤ひげ  投稿日:2009年11月15日(日) 12時43分55秒

ドストエフスキー『虐げられた人びと』

ワーニャが遭遇したある老人の死。その老人の孫娘、ネリーに与えられた表象は、どうだろうか。ワーニャに悲惨な境遇から助け出されてワーニャの家に移り住んだネリーが、あるときワーニャの家を飛び出す。さんざ探し回った挙句にワーニャが目にした光景は、哀れにもネリーが橋の上で物乞いをしている姿だった。


私が愛し、可愛がり、いつくしんでいた何か貴重なものが、その瞬間、私の目の前で辱められ、唾を吐きかけられたように思われた。そして私の目から涙があふれ出た。
ネリーを恐るべき虐待から救い、目一杯の愛情を注ぎながらともに暮していたワーニャはそのとき、少女の傷がまだ癒されていないことに気づいた″。


こういう苦痛をいっそう掻きむしり、苦痛を愉しむやり方は、私にはよく理解できた。それは運命にさいなまれ虐げられ、しかも運命の不当さを意識している多くの人々の楽しみなのである。・・・(中略)・・・〔だが〕全く自分だけのために、この楽しみに耽っているのだろうか。何のための物乞い、何のための金なのか。
ネリーは施しをもらうと、すぐさま近くの店に入った。なんと、ネリーは、さっき家を出るときに自分が壊してしまった茶碗を買っていたのだ・・・! ワーニャはネリーに赦しを乞う。少女は涙を浮かべ、そんなワーニャの胸に飛びつく。・・・

この小説の最も美しい場面のひとつと云えるだろう。ネリーは自分の不幸を見せ付けるために物乞いをしていたのではなかった。あくまで他人に迷惑をかけまいとする、あまりに純朴な心がさせたことだった。自分を限りなく貶めようとする自虐的な性格は、彼女にとって世間から自分を守るための手段であり、怯えを覆い隠すヴェールである。だから、ワーニャがネリーの傷が癒えていないと思ったのは、けして間違っているわけではない。無償の愛に包まれることをたやすく許さない彼女の心の傷は、こちらから一方的な愛情を注ぐだけでは癒されないのだ。愛することに怯えず、愛されることに後ろめたさを感じないこと――つまり、すべてが赦される愛。いつか、彼女が人を本当に愛することができるようになってはじめて、心の傷は消え去りはじめるだろう。ネリーとは、赦されることの愛の大切さを物語る存在なのである。
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