宗教の本質はオルギア [宗教]
1投稿者:777  投稿日:2009年08月11日(火) 11時29分20秒

オルギア、狂宴(Orgy)

ギリシア語の o[rgia に由来する語で、「秘密の礼拝」を意味した[註1]。ほとんどの秘教の礼拝には、エレウシス、カビリア、シャクティスム、スーフィー教、キリスト教の一派の拝蛇教などの秘儀におけるごとく、性の儀式が含まれていた。ウィルキンズは、「宗教は、自然と密着したすべての祭儀につきもののオルギア的傾向をもはやとらなくなったときでさえ、……つねに性愛的な一面を持っている。……遠くさかのぼればさかのぼるほど、性愛と聖礼の違いを見分けるのはますます困難になる。そして『遠くさかのぼる』のは単に時間的な意味だけでなく、経験の深さをもまた意味する」と述べている[註2]。

 現在使われている「休日」holidayという語は東方のホリの祭り(ヒンズー教徒の春の祭り)に由来している。西欧の敬虔な観察者は、この祭りを、「最もみだらな逸楽」を特徴とする「サトゥルナリア祭」として記述している[註3]。参加者はみな一様に、彼らの「逸楽」を、至福を暗示する聖なる行為と考えていた。

 ヒンズー教の聖典は「女神パールヴァティと肉体をもって交わることは、すべての罪を消滅させる徳である」と述べた[註4]。易経は、「万物に生命を与える」性交の神秘的価値について語っている[註5]。イワン・ブロッホ(『現代の性生活』の著者。ハヴロック・エリスと同時代人)によれば、「宗教は、やむことのない渇望、永続の感情、生命の深淵への神秘な没入、永遠に祝福された結合による個と個の合体への切望を、性的衝動と分かち合うものだ」[註6]という。このような理由から、情熱、祝福、恍惚、忘我、栄光のような言葉は、宗教的および性的経験のどちらにも置き換えて用いられた。

 ギリシア時代の異教は、中心となる秘儀を表すものとして、性的狂宴orgiaを行った。キリスト教の禁欲主義者が「大儀式」を、「名を挙げることをはばかる秘教の儀式」、あるいは「エレウシスの売春」として非難した理由は、性的狂宴にあった。女神は「ひそかに寝室に入ってきた」者たちに永遠の生命を約束した。女神の寝室は「花嫁の部屋」pastosを意味し、そこにおいて、女神と女神の崇拝者たちとの間の「聖なる結婚」hieros gamosが達成された[註7]。

 同種の性的狂宴は、北方の未開民族の間でも行われた。ストラボンは、アイルランドのドルイド教の呪術師は、「サモトラケ島のオルギアと同様の」礼拝を行っていると述べた[註8]。

2投稿者:777  投稿日:2009年08月11日(火) 11時30分07秒

2、3世紀頃の極端な禁欲主義にもかかわらず、キリスト教もまた、その実践にあたって、ある場合には狂宴的な宗教としての徴候をいくつか示すようになってきた。オルレアンのキリスト教の団体は、1年の間に数夜、乱雑な行動に耽るために集まった。同時代の記述は述べている。「明かりが消されると、男たちはみな、たとえそれが母親、姉妹、修道尼であろうとかまわずに、罪の意識なしに、手近の女をひっつかむ。このようなもつれ合いが、彼らにとっては、聖なる行為であり、宗教であると考えられたからだ」[註9]。

 しかし、このような行為を、悪魔崇拝の仕業だと決めつけることは、それを防ぐ手立てとしては決して有効とは言えなかった。公共の場での狂宴は、宗教の聖典が書かれる以前から、世界のいたるところで、宗教に伴って行われる慣例的な行為であった。それは、宗教的な体験を特徴的に示そうとする集団感情のうねりの一部をなしていた。中世の農民にとってこの現象は以前から馴染みのものであって、彼らの好むものであり、たとえ悪魔崇拝と呼ばれようと、この行為に固執した[註10]。

 悪魔崇拝と呼ばれたからといって、かえりみて自分たちを悪魔の崇拝者とみなす狂宴者はほとんどいなかった。概して彼らは自分たちを特別に聖なる者として考えた。ラスプーチン(1971-1916。シベリアの農夫出身の祈祷僧、ロシア皇帝ニコライ2世と皇后アレクサンドラに取り入って、勢力をふるった)一派の「神の人々」は、彼らの裸のダンスは天国の天使のダンスの模倣であると主張した。忘我の状態を誘引する歌と踊りの後で、彼らは性の狂宴に耽り、ときには子どもたちはみな、聖霊によって生まれたのだ、と言われた[註11]。

 インディアナ州のあるメソジスト派の説教師はかつてこう語った。「宗教的情熱は他のあらゆる情熱を包括するのであった、他の情熱を刺激せずに、ひとつの情熱だけを激しく感じることはできない」[註12]。アメリカにおける信仰復興運動は、明らかにこの事実を証明するものであり、復興主義者の会合の9か月後に生まれた子どもは、広く「キャンプ集会の子ども」として知られるほどであった。

 外見は清教徒でありながら、その実アメリカの新教運動は、宗教的な行動様式を「復興」させた。その様式は、サモトラケ島の狂宴と好色なサテュロスをもつ古代ギリシア人にとって、全く馴染み深いものであったろうと思われる[註13]。ただ本当の名前で呼ばれなくなったにすぎない。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/orgia.html
3投稿者:777  投稿日:2009年08月11日(火) 11時32分39秒

密教の起源はインドにおける「尸林(しりん)の宗教」にあります。

「尸林」とは中世インドの葬儀場のことで、大きな都市に隣接してこの尸林が存在していました。死者の遺骸は都市部から尸林に運ばれ、荼毘(だび)にふされるかそのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられました。しばしば尸林は処刑場を兼ねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていました。

これらはまともな神経の人間には実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈(ばっこ)する危険な場所であり、しばしば魑魅魍魎(ちみもうりょう)が徘徊する場所として恐れられていました。

 この尸林では、「尸林の宗教」といったものがあり、墓場に女神が祀られ、女神に仕える巫女が住み、死体や血液を用いる黒魔術的な秘儀を行なっていたのです。尸林の土着の女神たちは、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か仏教の女神として崇拝されていました。それぞれの尸林の女神の祠(ほこら)には巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術を生業としていました。その巫女は苦行母(茶吉尼・ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)と言いました。

シヴァ神の神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に彼女たちは侍女兼巫女として仕えていたのです。

その聖地(墓場)に土着の女性たちは、多くはアウト・カースト(日本で言う穢多非人・えたひにん)の出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていました。

彼女等は1年の特定の祭日、又は月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物として食し、酒を飲み、歌舞音曲を楽しむというオルギア(秘教的儀式)を行ないました。

 この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式です。ガナチャクラとは仏教行者の行なう修法の一種であり、修法を構成する儀礼は曼荼羅制作、護摩(ごま)、観相(瞑想)法、飲食、歌舞、供犠、性瑜伽(ヨガ)などです。

 ガナチャクラの構成員は9名であり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神、パイラヴァを召喚した男性行者が1名がアジャリとなり、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行なう儀礼です。

天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽(性行為・読み方はヨガ、ヨガのポーズはこの性行為の秘儀が元になっています。)します。この位置変換を「瑜伽(ヨガ)女の転移)(サンチャーラ)と言います。女性行者が8名に臨時のメンバー(行者でない女性)を1名加えた9名と言う説もあります。その場合は中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立することになります。この結果、中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合することになります。

 この儀式はインドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっています。ちなみに切断された女神の遺体が落下した場所が前出の聖地です。
4投稿者:777  投稿日:2009年08月11日(火) 11時33分10秒

星辰(せいしん)の回転を象徴しながら、都合8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は「大楽(マハースーカ)」と呼ばれ、子の大楽が行者を「梵我一如」の境地に連れ去ると言われているようです。

 梵字はこの瑜伽(ヨガ)のポーズを記号化したものであることから、ヨガのポーズや梵字には多くの憑依霊や狐などの動物靈を呼び寄せる大変危険なものなのです。

 上記の尸林に集まる巫女の内、ダーキニーと呼ばれた人たちは、空海が日本に密教を持ち込んだ時に茶吉尼天(ダキニテン)という女神として現在の稲荷神社に祀ってしまいました。稲荷神社でキツネを眷族(けんぞく)として祀っているのは、このダキニテンからきています。

 というのは、もともとダキニテンはインドの墓場、尸林で性行為を伴う黒魔術をおこなっているたダーキニーであり、インドでは人肉を食らいながら裸で踊り狂い、左手には人の腎臓(もしくは心臓)、右手には人からもぎ取った手足を持っている姿で描かれていますが、何と日本の稲荷神社で茶吉尼天となったダーキニーは優しい姿で左手には宝玉、右手には剣を持って描かれています。

 そして、何故キツネかと言えば、もともとダーキニーは夜になると死肉をあさるゴールデンジャッカルの変身した姿だと言われていたり、ゴールデンジャッカルを人食い女神の眷族(けんぞく・使いっ走り)として使っていた、と言うことから来ていますが、日本にはジャッカルが存在しないため、ダーキニーとジャッカルのコンビが茶吉尼天とキツネのコンビに変容してしてしまったようです。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/onmyoukai/newpage109.html

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