規制緩和を考える [経済/企業]
1投稿者:777  投稿日:2009年05月17日(日) 15時46分04秒

内橋克人×宇沢弘文

日本を襲った危機の異例の苛酷さ
内橋 世界は、社会的共通資本が企業化され、利潤追求の対象として取り崩されていくという状況に追い立てられ、そのさなかに世界経済危機の襲来です。一方が他方の結果であり、同時に原因でもあったように見えます。しかし、一般市民・勤労者の受難の程度において、多少とも社会的共通資本に対する国民的合意の形成されていた社会と、そうではなく希薄な認識のまま市場原理主義の罠にはまり込んでしまっていた社会とでは、誠首された勤労者の生活ひとつをとっても、大きな違いが出ています。

 例えば「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」と巨額の外資を誘い込み、破綻した、かの金融立国アイスランドにおいてさえ、首切りを通告されても企業から放り出されるのは最短三ヵ月先だという。雇用形態を問わず、基本的な労働権が確立された社会であるわけですね。とりわけ社会的市場経済を標榜してきたドイツにおいては、様々な制度的保障も確立している。そういう国々においてあらわれる今回の影響と日本ではどう違うか。目本においては、まさに即座に、有無を言わせぬ派遣切り、雇い止めが横行し、仕事も食も住も奪われてしまった。人間の基本的な生存権の侵害が剥き出しのかたちで、何のためらいもなく強行されました。この違いがなぜ出てきたかは明らかです。これから後の耐久力とか、今回の世界危機からの脱出という面において、社会的共通資本のコンセンサスのできた国とそうでない国とでは違ってくるのではないでしょうか。

 例えば北欧モデルとは、社会的共通資本の認識、そして国民的合意の形成がすでに通念としてなされており、その上に立って、人々の「生きる、働く、暮らす」の日常的統合が位置づけられている社会です。

 ところが日本を見ると、日本はもちろんヨーロッパでのような福祉国家も未経験ですし、基本的な労働権や人権をきちんと守っていこうという時代も経験したとはいい難い。そこへ市場原理主義、新自由主義の思想がダーツと入ってきた。ですから日本は、福祉社会、福祉国家、社会保障という体系が市民社会において築かれ、それが「行き過ぎた」ために新自由主義の思想でもってそれをつぶすという過程さえも経ていないわけです。戦前からの連続性の中で新自由主義思想がダイレクトに注ぎ込まれた。ちょうど一九九三年八月、細川政権のもとでスタートした「平岩研」(経済改革委員会・首相の私的諮問機関)のころでした。
2投稿者:777  投稿日:2009年05月17日(日) 15時47分17秒

いまも忘れませんが、「規制緩和・天国論」で満たされた「平岩レポート」が鉦や太鼓で打ち出されております。「規制緩和によって、企業は新しいビジネスチャンスが与えられ、雇用も拡大し、消費者には多様な商品・サービスの選択の幅を広げる。内外価格差の縮小にも役立つ。(中略)中長期的には自己責任原則と市場原理に立つ自由な経済社会の建設のために不可避なものである。強力に実行すべきである」

 最近、”転向”なさった中谷巌氏らが勇ましくとりまとめたものですね。日本経団連は、その後、『規制緩和の経済効果に関する分析と雇用対策』なるものをまとめ、「規制緩和に伴う産業調整によって九三四万人の雇用機会が喪失する恐れがあるが、規制緩和によって生まれる新規産業などで一〇六四万人の雇用が創出されるから、ネットで一三〇万人の雇用増加が期待できる」と数値まで示して鼓舞しました。

 絵空事とはこのことをいうのでしょう。マスコミ、経済学者、政治家たちの大合唱が続きました。真に求められていたのは「規制の組み替え」だったはずなのに、です。その平岩レポートから一五年、たどり着いたのが今回の危機でした。いまも私の念頭にあるのは、これらの反応が、アメリカ大使館が日本政府に「規制緩和の推進」を突きつけた異例の要求書(声明)に呼応してなされたものだったという事実です。以後、アメリカからは日米構造調整プログラム、年次規制改革要望書と矢継ぎ早の督促状でしたね。規制緩和万能、市場原理至上の価値観が日本を染め上げていきました。いったいだれの期待に応えてのものだったのか、いまは瞭然です。

 今回、業界団体によると、この三月までに派遣労働者だけで四〇万人が職を失うという。非正規雇用者が師走の寒空の下に射影されるというような事態は、恐らく北欧、ヨーロツパ諸国、とりわけドイツにおいてはあり得ない。だからこそ日本では『蟹工船』が読まれる時代になっているわけです。職なくば人間の尊厳もない、という基本的な認識がないところへ、今回の危機が到来し、二重、三重に働く場を破壊している。同時に、極めて不均衡な社会、不均衡な経済-----日本の経済は「いざなぎ超え」の中で、過剰な外需依存の経済が進んだために、海外がだめでも国内で盛り返す、という自律的な景気回復力を失ってしまった----によって、今回の危機の衝撃が世界の中でも異例の厳しさ、苛酷さを伴う現実としてあらわれてきました。

 それを用意した前段階に派遣労働法の改正があり、それはさらに平岩研にさかのぼる。その前には、中曽根政権の下での国鉄民営化、その他国有企業の民営化に始まる長い歴史がある。日本という社会が、最もラディカルに今回の世界危機の辛酸を嘗めさせられているのではないか。

 株式市場などでの指標や金融機関の受けた打撃だけをみていると、ヨーロッパも北欧も同じように深刻だ、となりますが、必ずしもそうではない。ヨーロッパでは、数々のデモも起こっています。オルタナティブも用意されている。とりわけ金融から始まった今回の危機が勤労者の雇用調整という形であらわれたときには、それに対抗していく力もすでに持っている。これが一様に世界を覆っている危機なのかと言えば、大いに疑問があります。アメリカに追随してきた国々、アメリカ型の市場原理主義をもってよしとする「シカゴ・ボーイズ」たちが地ならしをし、道を掃き清めてきた国が、最も激しく打撃を受けている。解雇・整理がいよいよ本格化し、正社員にも深く及んでいくという事態は、国によって違いがあって、むしろ世界経済危機というよりは、アメリカ、日本、韓国、その他の危機ではないのか。ラテンアメリカはまた少し事情が違っていますね。ですから国によって、あらわれ方も、危機の深さも、衝撃の強さも相当違ってきているのではないかと見ているのですが……。
http://asyura2.com/09/hasan62/msg/588.html
3投稿者:777  投稿日:2009年05月17日(日) 16時33分22秒

先週の日曜日の朝、日本テレビ系の番組で高速道路の1,000円への値下げの経済効果が話題になっていた。コメンテータの森永卓郎氏は「国民の所得が増えているわけではないので、効果は限定的」と発言していた。それに対して同じコメンテータの北村弁護士が「そんなことはない。かなり経済効果がある。」と強く反論した。

筆者は森永氏の意見に賛成である。国民の所得が増えない限り、高速道路を使用した消費支出が増えても、他の消費はその分減る。したがってこの政策は経済成長にほとんど影響がないと考える。消費は所得の一定割合であり、高速関連の消費支出が増えれば、他の消費は減る。これを消費の代替効果と呼ぶ。ケインズ経済学ではこれが常識である。


規制緩和で経済が成長するという嘘話もこれに似ている。04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」で説明したように、国民の所得が増えない限り、どれだけ規制緩和を行っても全体の消費は増えない。したがってGDPも伸びない。

ところが多くの人々は、高速料金を1,000円にしたり、規制緩和を行えば消費が増え経済が成長すると錯覚するのである。北村弁護士などが、高速道路が車で一杯になっているビデオを見て、即物的に経済効果があると思い込むのも無理はない。しかし本当に経済効果があるのかどうかを判断するには、プラスになったものとマイナスになったものを合計する必要がある。現実は高速関連の消費が増えても、例えばJRなどの乗客がかなり減っている。おそらく両者を合計すればほとんどプラス・マイナスがゼロと考えられる。


今日、日本では全体を見ないまま物事を判断する風潮が定着している。自分が見聞きした事が全てと思い込んでいる。たしかにそれでも日常生活に支障はない。

筆者は、最近の日本の国民が全体の事を考えることを嫌うようになったと感じている。日本人のほとんどは、今日、自分の半径10mぐらいにしか関心がない。国家とか世界というものは、自分とは別世界と考えている。
http://www.adpweb.com/eco/
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