伝説のツインターボ [メディア]
1投稿者:777  投稿日:2009年03月15日(日) 14時19分12秒


旧稿 伝説のツインターボ
http://www.amezor.to/shiso/080915115350.html

伝説のツインターボ
http://www.amezor.to/gamb/090103124402.html

から引っ越して来ました.
2投稿者:777  投稿日:2009年04月25日(土) 13時16分47秒

You tube−競馬動画まとめ−
http://blog.livedoor.jp/digital6/archives/cat_50011899.html
3投稿者:777  投稿日:2009年05月31日(日) 10時01分16秒

2009年 第69回 桜花賞(G1) ブエナビスタ HD
http://www.youtube.com/watch?v=HiGTEto3U4M

2009年 第69回 皐月賞(G1) アンライバルド HD
http://www.youtube.com/watch?v=UXU-PKN7mH8

2009年 第139回 天皇賞(春) / マイネルキッツ
http://www.youtube.com/watch?v=vbGwYWd7L5Y

2009/05/17(日) 東京 11R ヴィクトリアマイル(G1) ウオッカ LONG Ver
http://www.youtube.com/watch?v=Q--cpnDO2Ow

2009/05/10(日) 東京 11R NHKマイルC(G1) ジョーカプチーノ CX系
http://www.youtube.com/watch?v=53SznEtqA5E

2009 第70回オークス ブエナビスタ-レッドディザイア
http://www.youtube.com/watch?v=uyeCoyB-uPo
4投稿者:ダートと芝  投稿日:2009年06月05日(金) 23時21分28秒

競馬を始められたばかりの方は、コースにダートと芝というものがあることに気が付くでしょう。現在の中央競馬ではダートコースを取り囲む形で外側に芝コースが作られています(地方競馬の盛岡競馬場ではこれが逆になっています)。

日本の競馬の主流は芝のレースと言われますが、これは重要なレースで芝が多いため。レースの数だけでいえば、ダートレースの方が圧倒的に多いです。

単純にメンテナンスの問題でしょう。芝は傷んだら張り替えなくてはなりませんが、ダートは基本的に毎回車(ちなみにベンツ製)で均す(ならす)だけでいいわけですから簡単。

かつては、ダートレースは芝よりも「格下」と見られる傾向があり、芝のレースでイマイチ活躍できなくなった馬がダートに転向するケースがよくありました。しかし、ダート競馬しかない(盛岡除く)地方競馬との交流が活発化して、95年を交流元年とした地方中央競馬の相互開放が進むと、中央競馬でもダートレース体系が見直され、ダート路線の整備が進みレベルも向上。現在では、簡単には芝で実績を残しているからといって、ダートでも活躍できるという甘いレベルではなくなっています。喜ばしいことです。

また、カネヒキリ、サクセスブロッケンなど3歳の早い段階からダート路線に専念する馬も現れはじめ、消極的な選択肢としてのダートではなく、積極的にダートを選ぶ陣営も増えています。分業が進んでいるということですね。

さて、競走馬には当然ダート、芝に得手不得手があります。アグネスデジタル、イーグルカフェのように芝でもダートでも不問という馬もいますが…。その違いは何でしょうか。

ダートと芝のコースとの違いは、まず時計がかかることです。砂に脚を取られますので、走るのにはパワーが必要となるわけです。単純に競馬は速い馬が勝つのではなく、パワーが強い馬が勝つのも競馬。それが、このダート競馬ということです。

ダートで活躍する馬には、共通点があります。全体的に馬体重のある馬が多く、体型も筋肉隆々の馬が多いと思います。(ちなみにスプリンターにも馬体重が大きい馬が多いのですが、これはスピードだけではなく、短い距離で素早く脚を前後に動かす「パワー」が必要だからかなと思っています…。)

あと、気をつけていただきたいのはダートの場合は基本的に馬場状態が悪くなるほど、時計が早くなるという点です。距離がギリギリと言われたメイショウボーラーが不良馬場でフェブラリーSを逃げ切ったことがあります。スピードが生きる馬場となりました。基本的にはパワー重視ですがスピードが問われる場合もあるということですね。

あとはダートと言っても海外と日本の芝が違うように、ダートの質も違う点に注意したいところです。アメリカは土のようなダートコースなのに対して、日本では砂のコース。ダートの本場アメリカの馬がなかなかジャパンカップダートで活躍していないのもこの違いがあるようです。日本の競馬場でも実は違います。中央競馬の場合は、現在青森の六ヶ所村から全ての競馬場、トレセンの砂を買い付けているということですので質にそれほど違いは無いでしょうが、地方ではそれぞれにバラバラに砂の確保、メンテを行っていますので、必然違いが出ます。例えば、私の手元には、中山競馬場とかつて開催されていた地方競馬の宇都宮競馬場の砂がありますが、中山の砂は粒が固めでそれぞれの粒がしっかりとしています。一方、宇都宮のそれは時間が大分経ったこともあるのでしょうが、柔らかめ。雨が降った場合、前者は水はけがいいのでしょうが、後者はドロドロに溶けそうです。また大井競馬場の砂は深い等といわれます。文字通りの「深さ」つまり砂の層の高さは中央競馬では大体8cm。ただ、砂質の違いによってもその深さの印象も違うのでしょう。当然、深いと形容される馬場はパワーがより一層必要となるわけです。
5投稿者:ダートと芝  投稿日:2009年06月05日(金) 23時22分21秒

ダートのレースの時に、コースの設計上、芝の部分からスタートして徐々に内側のダートコースに切れ込んでいくというレースがあります。中山競馬場のダート1200m戦は典型的。実は、ここで注意したいところがあります。イメージして頂くか、JRAのHPで中山のコース図を参照頂くとよいのですが、ちょうど楕円形のトラックが二重にあるとします。内側がダート、外側が芝です。1200m戦を行おうとするとき、ダートコースだけでゴールから逆算してスタート地点を設定すると1コーナーと2コーナーの間になってしまいます。スタートしてすぐコーナーというのは非常に危険です。少しでもいい位置を、ということで各馬がドッと内側に集まり事故の原因となります。そこで、バックストレッチをそのまま直線的にひいて、外側の輪である芝コースの上にスタート地点を設けています。さて、ここでスタートした場合、何が問題でしょうか。答えは枠順です。芝のコースを横断してダートに行くのですが、この時芝の輪のカーブの部分(2コーナー)を横切っていく形となります。ここで実は外側の馬の方が長く芝の部分を走れることがわかりますでしょうか。自分がスタート地点にいてコースを眺めますとちょうど右手前から左側の向こうへ「斜めに」芝コースが伸びていく感じ。内側の馬はすぐにダートに入るのに対して、外側の馬は長く芝を走れることでスピードを得られ、楽にいい位置に付けられるとされています。ただ、逆に芝が苦手な馬ですと、これがマイナスになることもあるようですのでご注意を。ともかく、ダート適性だけではなく、こういうコース設計も大きなヒントとなることを覚えて置いてください。

http://www.2n3.jp/i/class/3
6投稿者:ダートと芝  投稿日:2009年06月05日(金) 23時24分15秒

芝コース(ダートと比較して、と思って下さい)

基本的には何でもアリな傾向
逃げや追い込みといった極端な脚質でもハマる傾向が大きい
雨が降ると途端に駄目になる馬も中にはいるが、そんなの気にしないで予想をするのが吉かも?(来る時は来る、雨が降っていようとも)
ハンデ戦も同様に気にしないのが吉?
直感が頼り



ダートコース(比芝だと思って下さい)

実績馬が強い
実績馬と過去の古豪になっている馬の見極めが肝要
年齢はそんなに気にしない方が吉?
つまり若くても年取ってても強い馬は一味違う(パワー優先だからかなぁ?)
やはり一般論通り、逃げ・先行脚質が安定しているかも?不良馬場だとなおさら顕著かなぁ?
http://bogakikaku.hp.infoseek.co.jp/uma/uma13.html
7投稿者:777  投稿日:2009年06月14日(日) 13時47分17秒

257 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/12(金) 02:34:23 ID:lKS7gpv40

いやあ牡馬だと中途半端な活躍では種牡馬にもなれないし,なってもいい繁殖が集まらない.
乗馬になれればいいが,気性に難があるやつはそれも難しい.
結局用途変更で生死不明(≒肉)になるだけ.

短中距離馬であれば,種牡馬になり易いんだけどね.あのウインガーでさえとりあえずは種牡馬になれた.
中長距離馬は敬遠される.ポップロックもコスモバルクもデルタブルースもみんな引退後の道が無い馬ばかりなんだよ.
だから少しでも延命させるために,走らせるわけ.



258 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/12(金) 02:43:51 ID:LFhTtECi0
おれその辺は詳しく知らないんだが・・・そうなの!?
確かに金はかかるけど・・・種牡馬なりきれないG3クラスとかはみんな肉!?


259 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/12(金) 05:13:17 ID:3zir+CkD0

重賞取ってれば乗馬になれる可能性が高い



269 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/12(金) 20:21:50 ID:M8c7V4OM0
>>258
ウィキペディアその他で、微妙な成績の種牡馬の没年を調べるとわかる。
「用途変更」とか「廃用」と書いてあるのはたいてい殺処分されてる。
上手く引き取り手がいた馬にはちゃんと「現在は乗馬」とか「○○牧場で功労馬として
余生を送っている」とか書かれている。どんな馬にもファンはいるから生きてれば近況がわかるんだよ。
下の馬達はいずれも殺処分になったと思われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%82%BA

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%BC
8投稿者:777  投稿日:2009年06月14日(日) 13時57分05秒

現代日本の馬肉は、牛肉が高かった時代の増量材、ニューコンミートに代表される加工食品等に使用されていた冷凍トリミング(主に南米産)、熊本県、長野県伊那地方、福島県会津地方、青森県南部地方などの郷土料理として供されることで知られている馬刺しや桜鍋用の生鮮肉(現在はほとんど北米産、若干欧州産)と用途も分かれている。現代では流通している馬肉のほとんどはカナダやアメリカからのものとされているが、廃用となった競走馬の一部も食用に回されている。

競馬雑誌の競走馬の異動欄には、現役を引退する馬の異動先が記されている。地方競馬への移籍や種牡馬・繁殖入りの他に乗馬になる馬がいる。それが全て乗馬になるわけではない。それ以外にも「用途変更」という名称で姿を消す馬が相当数おり、その「用途」の中には食用もあるといわれている。実際に、廃止された上山競馬場や中津競馬場に在籍していた競走馬の末路は食肉処分だった。

また、北海道で行われているばんえい競馬では、競走に出るための能力試験(または能力検定ともいう。入厩馬に課せられる模擬競走、地方競馬のみの制度)を突破できなかったり、あるいは満足な競走成績が残せなかったりした競走馬が食肉向けに転用されており、公式サイトでも包み隠すことなくそのことが解説されている。通常、平地競馬の能力試験は、一定の制限時間をクリアすれば良いため、力一杯走る必要がなく、「馬なり」で能試を走らせることもあるが、ばんえいの場合は能試の結果がいわば「生死を分ける」ため、実戦さながらに行われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%82%89
9投稿者:777  投稿日:2009年06月14日(日) 14時02分30秒

週刊競馬ブックなどの雑誌の抹消馬コーナーなどで乗馬となっている馬の一部は実際には屠殺業者に卸されています。乗馬用として使用された馬も行く末は同じです。また、繁殖牝馬も仔出しが悪くなったり、成績の振るわないものは用途変更(食用)となります。運良く成績や血統が良く種牡馬になれた馬も成績次第では同じ末路です。最近の例ではセイウンスカイの父シェリフズスターの話が有名ですね。輸入種牡馬である当馬は日本にやってきて成績が振るわなかったため用途変更となってしまいました。その後セイウンスカイの活躍によってこの事は少し話題になったのですがJRAは行方不明として取り扱い、結局事実は雲の中という見解でしたが、真実は周知の通りです。


7、8年くらい前に報道番組の特集でやってたんですが、
内容は、前のpearl-postpetさんが言っている中の「乗馬」になる馬の一部が
食肉用になっているというものでした。

種牡馬や繁殖牝馬は行き先がある程度はっきりしてるので足取りも追えますが、
乗馬は、業者が引き取ればその後はJRAも関知していないようです。
「食肉用」と発表するのは余りにも生々しいのですべて「乗馬」として
扱われてるのでしょうね。


しかし、競走馬の場合、
馬刺しとかダイレクト?に馬のお肉を楽しむものにはならないようです。
だいたい加工肉用であったり、飼料であったり。。。。
まあ、競走馬の場合、筋肉質で食べられたものではないでしょうけども。。。。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa48167.html
10投稿者:777  投稿日:2009年06月14日(日) 14時14分28秒

45 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。[]:2008/02/12(火) 23:42:18 ID:xodS7zLc
馬は屠殺馬に送られてもおとなしく最後の時を待っているらしい。
これから起こることを理解していないのか、さもなくば悟りきっているのか・・・
彼らにとっては怖い思い辛い思いをするよりもひと思いにやってもらったほうが
どれだけ幸せか・・・
天寿を全うするとか、死後に埋葬して供養してもらうとかいうのは
人間の感覚
サラブレッドに生まれてきた以上、精一杯生き、苦しまずに死ぬのが
最高の生涯だと思う。


21 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。[]:2008/02/01(金) 21:36:51 ID:0mpXqvo1

廃用になった競走馬・繁殖馬は、馬肉にするにしても人間が食べるには不向きなので、肉食動物のエサにされるだけよ。


97 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。[]:2008/03/19(水) 23:24:35 ID:7UM4JIEh
競走馬は現役を終えたら、そのほとんどが動物園の肉食動物らの格好のタンパク源になる 
競走馬ってホント無駄がないねえ。 資源は有効活用しなきゃwww


107 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。[]:2008/03/25(火) 19:42:20 ID:iIV+7gA4
重賞勝ちどころかケンタッキーダービーとBCクラシックを勝ったファーディナンドですら、いとも簡単に馬肉にされるのだから、たがが重賞勝ちくらいで天命をまっとうできると思ったら大間違いだよ!


11投稿者:777  投稿日:2009年06月14日(日) 14時17分47秒

輸入種牡馬の老後
       海外では功労馬、名馬と呼ばれるような実績を持つ馬が

       日本に種牡馬として買われてくるようになって久しい。

       だが、彼らの将来の保障は全くないのである。

       今有るJRAの制度では日本で走ったことの無い仔は蚊帳の外である。

       種牡馬として見切りをつけられた場合や歳を取って仕事が

       出来なくなった場合は用途変更と言う名目で肉にされる。

       彼らは海外での栄光を背に日本に肉になりに来たようなものである。

       JRAには幸いなことに彼らの栄光は海外でのことなので

       彼らの殆どは日本の競馬ファンには馴染みが薄い為、愛着が希薄である。

       例えば、日本の名馬と言われる仔達が外国に種牡馬として売られていき

       もう要らないからと肉にされてしまったら皆さんはどんな気がするだろう。

       かのナリタブライアンのような盛大な追悼式をしてもらえる程の

       人気のある馬がである。それこそ、その国民に向かって「野蛮人」と抗議の

       声を上げるのではないだろうか。

       日本の種牡馬とて安泰ではない。JRAの制度に該当する馬は別だが

       それ以外は同じ様な運命である。もし誰か引き取り手が有った場合でも

       預託先の確保が難しい。

       殆どの養老牧場は牡馬お断りなのである。セン馬か牝馬のみしか

       受け入れてくれない。これは牡馬は気性の面で荒いので世話が大変なのと

       他の馬を傷つけたりすることを配慮したことらしい。

       しかし、種牡馬を高齢により引退した馬には去勢は手後れとなってしまう。
12投稿者:777  投稿日:2009年06月14日(日) 14時18分01秒

       若い頃は人々の人気を背負って頑張って走り、

       引退後は種牡馬として人間を儲けさす為に次々と種付けに励み、

       歳を取って気がつけば行き場がなくなっているのである.

       今迄、人間に丁重に扱われ彼らとしても鼻高々で生きてきたはずである。

       それが手のひらを返したように廃用の烙印を押され

       家さえ失うとは余りにも哀れである。

http://tokyo.cool.ne.jp/lucca/kyousouba-1.html
13投稿者:777  投稿日:2009年06月14日(日) 14時22分40秒

馬を食用として解体する際には様々な検査があります。
食品衛生上の観点からも、さっきまでレースに出ていた馬をいきなり食肉(人用)にする事はありません。
薬殺をしていればなおさらです。

ただし、サラブレッドの食肉は存在します。
まず競争能力が無いと判断された1歳程度までの若馬の場合は穀物飼育に切り替えられ、半年〜1年間かけて食用に改良します。
しかし、それでもサラブレッドは肉質が硬く、味も良くないので非常に安値で取引されます。
実際に熊本でサラブレッドを食べた事がありますが、臭くてまずかったです。

レースに使った2歳以上の馬になると、肉質が硬くなり、色も悪くなって人間の食用には向かなくなります。
各種加工品(ドックフードなどペットのエサ)にするか、動物園で野獣のエサになるでしょう。

競走馬かどうかはわかりませんが、白クマは馬肉が好物だそうです。

基本的に市場に出回る馬肉は北海道の生産者が食肉専用に生産している重種馬の肉で、競争専用に改良されたサラブレッドとは別の物です。
インコとニワトリのような物です。

ただ、私はこのようなサラブレッドが特別不幸だとは思いません。

14投稿者:777  投稿日:2009年06月14日(日) 14時22分59秒

牛も乳が出なくなれば殺されますし、鳥も卵を産まなくなれば肉に用途変更されます。
そして牛や豚、鳥は初めから肉にされる事が決まっています。
どんなに人になついても、頑張っても期日が来れば殺されます。

馬は頑張れば種牡馬や乗馬になる可能性があるだけ幸せかもしれません。
勝てなくても一度はレースという表舞台に立つ事が出来るでしょうし、そうなれば応援してくれる人もいます。

暗い檻の中で誰からも応援されず、肉になるためだけに一生を終える家畜から比べると幸せな気がします。
http://naruhodo.television.co.jp/qa998371.html
15投稿者:テイエムオペラオーの強さの秘密  投稿日:2009年06月15日(月) 08時29分32秒

サラブレッド競走馬は約60kgの人を乗せ、1000mを60秒以内で走る、高い運動能力
をもつ動物です。サラブレッド競走馬の資質は、血統が重要であると言われますが、さら
にその能力を開花、向上させるためにはより効率的、科学的なトレーニング手法を導入す
る必要があります。そのため、競走馬総合研究所では競走馬の体力測定システムを確立す
るプロジェクト研究を展開しており、その一環として、トップクラスの競走馬の運動生理
学的データを精力的に収集しています。昨年、関係者の協力を得てテイエムオペラオーの
データを得ることができたので、ここに紹介します。
 
テイエムオペラオーの競走成績とデータ測定
 テイエムオペラオーは2001年の競馬に、7回出走しました。現役通算では22戦13勝
(春の天皇賞をはじめG1レースを7勝)、獲得賞金歴代No.1の競走馬として多くのファン
に愛された2000年最強のサラブレッドです。 データ測定は、出走の一週間前、当該週
の追い切り時にハートレイトモニターの装着・採血を行いました。測定項目は、走速度・
安静時心拍数・運動時心拍数・運動回復時の心拍数が100bpm(拍/分)を切るまでの
時間および運動終了後10分の血液中の乳酸値でした。また心拍変動解析および心エコー
検査は春シーズンの終了後に行いました。テイエムオペラオーと併走したトップジョリー
(4歳500万下、通算成績1勝)についても比較のため同様な検査を行いました。
 
心機能の評価
 心臓はトレーニングが進むにつれて左心室壁が厚くなり、一回の拍動で押し出される血
液の量が増え、筋肉への酸素供給量を増大させます。このような心臓をスポーツ心臓とい
います。スポーツ心臓になると安静時心拍数は低下し、これは効率よい酸素運搬能力を獲
得している証拠と言えます。
 
テイエムオペラオーの安静時心拍数
 調教前に馬の胸部にハートレートモニター(心拍数測定装置)を装着した後、20分程度
安静にさせ、その最も低い安静時心拍数を観察したところ、その平均はおよそ25bpmでし
た。
 これは現役競走馬の中でもトップクラスの低い数値でした。また、運動中のピーク心拍数
は併走馬トップジョリーの234bpmに対してテイエムオペラオーのそれは219bpmと低く、
テイエムオペラオーは併走馬より強めの運動を行いながらもより低い心拍数でトレーニング
をこなしたことが分かります。
 
 また、トレーニング終了後、心拍数が100bpmを切るまでの時間を見ると、テイエムオペ
ラオーは490秒で、トップジョリーのそれは1230秒でした。このことからもテイエムオペ
ラオーはトレーニング後の回復が速やかに行なわれたことを知ることができます。
16投稿者:テイエムオペラオーの強さの秘密  投稿日:2009年06月15日(月) 08時30分44秒

さらに、他の方法によっても心機能を評価することができます。心電図のR-R間隔の微
妙な違いから自律神経の活動を評価する手法(安静時心拍変動解析)を用いて調べると、
交感神経活動が活発であるか、副交感神経活動が活発であるかを知ることが出来ます。こ
の方法でもテイエムオペラオーは、これまで調べた競走馬の中でも飛び抜けて副交感神経
優位であることが分かりました。これは、一流の競走馬に見られる所見で、トレーニング
効果による迷走神経の緊張の結果であると考えられます。


心臓の大きさ
 超音波でテイエムオペラオーの心臓を調べてみると、心臓が収縮した状態の左心室壁の厚
さは49.5mmで、これは実験馬のそれの1.3倍以上でした。また、この画像から一回の収縮
で送りだされる血液の量(一回拍出量)もおよそ知ることが出来ます。推定されるテイエム
オペラオーの一回拍出量は 1447.67 ml で、この値は実験馬のそれの1.8倍に相当しま
す。
 それだけ少ない心拍数で強い運動に必要な酸素を筋肉に供給できることを示すもので、調
教中の低い心拍数や調教後の心拍数の回復(いわゆる息の入り)も一般の競走馬より早いと
される理由がここにあります。


血中乳酸値の意味するもの
 走運動は走行に必要な筋肉を速やかに収縮させ、それを持続していくことに他なりませ
ん。
 そのために必要なエネルギー、ATP(アデノシン3リン酸)は糖(グリコーゲン)や脂
肪が、体内で分解されてできる過程で産生されます。このエネルギー代謝回路には、有酸
素性と無酸素性の二つの回路があります。無酸素性のエネルギー代謝を行ったときは、代
謝産物として乳酸が産生されます。
 
 平均的なサラブレッド競走馬の場合、およそ速度800m/分(ハロン/15秒)で走った場合
の血中乳酸濃度は4mmol/l程度になります。この速度を境として有酸素性のエネルギー代
謝に無酸素性のエネルギー代謝が加わるようになります。すなわち、ハロン/15秒より遅い
スピードでは有酸素運動が主体となり、それ以上の早いスピードでは無酸素運動も関与し、
急激に乳酸が蓄積します。
 
 したがって、運動後の血中乳酸濃度を計ればその馬の有酸素性エネルギー産生能力(持久
力)が予測でき、同じ運動をしたのにその値が低ければ低いほど、持久力があると言えます。
前述の調教終了10分後のテイエムオペラオーの血中乳酸濃度は15.35 mmol/lで、併走馬
トップジョリーの19.22mmol/lを大きく上回るものでした。これによってもテイエムオペ
ラオーは傑出した持久力を持った競走馬であることが証明されました。
 
(総研 江藤大介 2002.07.01)
 http://www.equinst.go.jp/JP/topics/eto.html
17投稿者:テイエムオペラオー  投稿日:2009年06月15日(月) 11時24分11秒

1999年 皐月賞
http://www.youtube.com/watch?v=MxQPqSBlp0c&feature=related

1999年 東京優駿 日本ダービー 
http://www.youtube.com/watch?v=CFObzEWWHZI

1999年 有馬記念
http://www.youtube.com/watch?v=dq0hXHC3YBg

2000年 天皇賞(春)
http://jp.youtube.com/watch?v=i4-tkZczQCM

2000年 宝塚記念
http://www.youtube.com/watch?v=MspFz5FvyNA&feature=PlayList&p=71A3360675C81672&playnext=1&playnext_from=PL&index=2

2000年 天皇賞(秋)
http://jp.youtube.com/watch?v=CUA5oNYOhQ4

2000年 ジャパンカップ
http://jp.youtube.com/watch?v=mKy65dVq5SQ

2000年 有馬記念
http://www.youtube.com/watch?v=ZF6_U_WmPZE

2001年 天皇賞・春
http://www.youtube.com/watch?v=f4AQNb-ml90&feature=related

2001年 宝塚記念
http://www.youtube.com/watch?v=c85Q3NL8-mU&feature=related

2001年 京都大賞典
http://www.youtube.com/watch?v=LaLIkaVKfV4

2001年 天皇賞(秋)
http://www.youtube.com/watch?v=UaiFqX5oBaw

2001年 有馬記念
http://www.youtube.com/watch?v=I5P78gx6B2E
18投稿者:テイエムオペラオー  投稿日:2009年06月15日(月) 12時52分25秒

528 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/08(月) 18:33:12 ID:a9zLcI9l

日本競馬最強馬ならテイエムオペラオーでいいじゃん
年間無敗で秋古馬三冠
古馬G1 6勝
キャリアのピークが過ぎても出走
騎手が若すぎてもG1 7勝
ルドルフが岡部 ナリブが南井 ディープが武 オペラオーが和田W
オペラオーは和田には正直、荷が重すぎた馬だった
武あたりが乗ってれば、クラシック3冠も取れたと思う


530 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/08(月) 22:13:12 ID:a9zLcI9l

オペラオーは生涯26戦しているが
一度も5着以下になったことがない
これは主戦騎手を考えるととんでもないことで
和田が乗ってるにも関わらず掲示板を外さない
オペラオーの実力は歴代最強と言ってもいい
騎手さえ上手ならば、その実力通りの成績になったはずだ
つまりシンザンもルドルフもナリブーもディープも到達できない高みに上れたはず


533 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/09(火) 01:00:05 ID:BKnPb0IM

和田はオペ以外ではG1取れてないからな
ダービー初騎乗が皐月賞馬、その後の騎乗ミス多数
菊花賞後にオーナーもさすがに激怒して主戦交替を調教師に直訴
その後年間無敗の秋古馬3冠達成
3歳で皐月賞勝ち5歳で負け続けたから決して晩成馬ではない
実力のある騎手が乗ればクラシック3冠と秋古馬3冠を取れた馬だった
19投稿者:テイエムオペラオー  投稿日:2009年06月15日(月) 13時00分06秒

540 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/09(火) 05:46:01 ID:BKnPb0IM

正直、デビュー3年目で地方周りが主戦場の騎手が
オペラオーのような馬の主戦騎手になって周りのやっかみは相当なものだったろう
レースでの徹底マークやパドックでのヤジなど相当、精神的にダメージを負う
これが岡部や武なら周りの騎手も遠慮するし進路をふさぐような邪魔もないだろう

オペの辛勝はみんな3年目の和田が影響している
皐月勝利後の3着3着2着2着3着は和田の未熟さゆえ
4歳時の8連勝はオペが和田を引っ張って勝利したもの

有馬のピンチも騎手が和田だから他の騎手のプレッシャーも厳しい
その中あの末脚を繰り出し他馬をごぼう抜きにしたのはオペの実力

5歳時でも有馬以外G1全てに連対して能力の持続をアピールした
和田じゃなければダービー3着菊2着はともに1着だったと確信する


541 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/09(火) 06:10:00 ID:CWHvRtM3

ドトウには的場と河内、トプロには的場が乗って
オペと対戦してるんだよな


546 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/09(火) 08:41:00 ID:Fa2kvZWF

和田の弊害は下手というわけじゃない
むしろブライアンの南井とかの方が激しくアレだろう
真の弊害は、周りになめられていたから、包囲網とか食らった事だな


547 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/09(火) 08:49:24 ID:CWHvRtM3

シャーにイラっとした騎手がたくさん居たんだろうな


548 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2008/09/09(火) 10:26:32 ID:BKnPb0IM

ディープにデビュー3、4年のマイナー騎手がのってたら
あの脚質と周りのプレッシャーで、あの成績を残せなかったろう
オペがあの成績(いい意味ではない)なのもしょうがない

20投稿者:テイエムオペラオー  投稿日:2009年06月15日(月) 13時52分19秒

638 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/08(日) 12:02:17 ID:1mG3RM6m
オペの相手は決してレベル低くないだろ。
ドトウなんてオペさえいなけりゃ六冠馬だし。
トプロは芝3,000mの世界レコード出してる。
アドベも故障とかなければもっとやれたと思う。
3歳有馬で僅差だったグラスペが強かったのは言うまでもないし。
あと4歳有馬で顕著だったように嫌がらせともとれるマークもひどかった。
それであの成績なんだからケチのつけようがないだろ。



646 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/15(日) 20:25:10 ID:+1HVCNwf

オペ3歳時・・・ダービーと菊をヘボ騎乗で落とし、ステイヤーズSから有馬直行でグラスペと差のない3着

4歳時・・・・・王道G1の5連勝含む重賞8戦全勝→さすがに勤続疲労が出る

5歳時・・・・・春天勝つも、秋は力尽きる。それでも秋天とJCは僅差でしかない

酷使されて集中マーク受けて和田に足引っ張られてやっと強い対戦相手と互角なんだから
普通に過保護で名手を背に戦ったディープより強いでしょw

つかディープ恵まれすぎ



649 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/02/16(月) 11:51:49 ID:82zGjJbG

オペの最後の3戦はピーク過ぎたのもあるが騎手の差だな

宝塚で脚を余して負けたのが悔しかったんだろうが早めに先頭に立ちすぎだ

オペは他の馬と馬体併せながら仕掛けるのが良い
両方ともゴール寸前でとらえられたからな


753 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/06/09(火) 14:19:06 ID:oCAOQ86i

単純に競馬の強さを比較するならやはりオペラオーだろうな。
あれほど「どうやっても勝てない」という絶望感を周囲に与えた馬もいないだろう。

日本最強どころか世界最強候補の1頭だと思う。
離して逃げるような馬にどう対処したか見てみたかったが
そういう機会が無かったことが唯一残念だね。
21投稿者:テイエムオペラオー  投稿日:2009年06月15日(月) 14時49分38秒

29 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 13:55:33 ID:sCyOtRlPO

オペは負け方がかっこよすぎるよな
特に01JCで抜け出す所は鳥肌級


30 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 13:59:15 ID:9Q7SOget0

オペラオーのレースは全てのレースを固唾を呑んで見入ってしまう。

馬同士の密着度に表れている通り、どのレースも緊迫感が半端ないし、
オペラオーが出て来るというだけでレースがそういう空気になるのだろう。

このように自身の勝ち負け以外の部分でまで、その偉大さを表現してしまうのが
テイエムオペラオーという孤高の史上最強馬なのだと思うな。
もう、こんな馬は二度と現れないのではないだろうか?


31 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 14:08:03 ID:9Q7SOget0
>>29
それはおそらく肉体的に衰えてからも王者の走りに拘った和田の手柄だと思う。
(ていうか、和田は小細工できるほど上手くない)

例えば、スペシャルウィークの変節などを例にすると分かり易いけれど、
一般的なチャンピオンホースというのは衰えたり、自身の戦法が通用しなくなると
しばしば奇襲的な試みで体裁を取り繕う。スペの引退レースである99有馬なども
入線順位こそ2番目だがまさにそういった趣であろう。

単純に和田が下手だったという側面もあるが、テイエムオペラオーが最後まで
そうのような姑息な手段に走らなかったことは史上最強馬としての同馬の価値を高めていると思うね。


35 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 14:15:33 ID:9Q7SOget0

オペラオーは額面7勝でも実質GI10勝級なんだよ。

和田が上手くなかったという側面もあるがテイエムオペラオーという馬は
けして星を拾う的な惰性な競馬はやらなかったし、
常に王者としてのプライドに拘って引退まで走り抜いた。

そういうプライドに拘らなければ01年も全部勝てた競馬だとすら思うね。
ていうか、01有馬のマンカフェは酷いな。普通に斜行してるだろ、これ。
といっても、和田という騎手はこういう普通の騎手なら訴え出るようなことでも
グッと黙ってるんだよな。まあ、このあたりは彼の性格なんだろ。
終ってからツベコベ言うのが嫌いなのか、男らしいっちゃ男らしい。
22投稿者:テイエムオペラオー  投稿日:2009年06月15日(月) 14時58分46秒

46 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 15:24:13 ID:SU6NRVtuP

伊藤雄二のオペ評


’01宝塚 「和田君は岡部君に競馬は甘くないという事を見せ付けられたのではないでしょうか。オペラオーは負けて強し、
       競馬で勝って勝負に負けたという事。ドトウの安田君は一か八かの勝負をした、見事だった。
       ただ、あの手は2度とオペラオーには通用しないだろう。次もやったら負けます」


’01JC  「ぺリエ騎手の好騎乗の勝利。今後ぺリエ騎手が乗らない事を考えると、ジャングルポケットの今後や次に乗る騎手の事が心配です。
       オペラオーに関しては和田君の仕掛けが早かった。東京は坂を上った後に少し下り坂になる分加速するんです。
       それでラスト1Fを12.0かかっているんだから、後ろの馬でも楽に届きますよ。最近の和田君の騎乗の迷いを
       オペラオーは感じていて、勝負に対する執念がなくなっているように思います」


80 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 18:43:15 ID:9RP/WR7l0

01年のJCは伊藤雄二は和田の早仕掛けが敗因と見ているけど、それだけではないと思うんだよな。
もちろん競馬次第で勝てたレースだったとは思うんだけど、
本来のオペラオーならあそこで並びかけられた所でもう一伸びできるから、あの仕掛けで十分勝てたはず。

例えば00年のJCも、ラスト1Fが12.0と時計がかかっているけど、
直線でファンタが並んできた所で、オペラオー自ら首をぐっと下げてもう一度伸びて競り勝っている。
ところが01年のオペラオーは、直線に入った所で既に制御がきかず、
和田も何度も手前を変えようとしてるんだけど言うことを聞かず、ポケが並んできても全く競おうとしなかった。

和田自身も、オペのDVD「世紀を駆けた7冠馬」の中で、
01年JCに関しては全く本来のオペラオーではなかった、と首をかしげながら回顧していたように、
オペラオーのピークが既に過ぎていたんだと思う。


81 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 18:48:58 ID:kkThJb0M0
後藤武岡部にエグイことされて競馬嫌になってたんだろ


82 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 19:15:18 ID:U25V7jccP
舎弟のトプロが目の前で落馬したりな

23投稿者:テイエムオペラオー  投稿日:2009年06月15日(月) 15時07分52秒

83 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 19:55:23 ID:9Q7SOget0
>>81
競馬だから個別に勝負を挑むのは構わないと思うんだけど、
01宝塚の岡部ラインの行動がねぇ・・・

ルドルフの記録が更新され、自身の名誉が過去のものにされそうだったとはいえ
岡部ラインで連携して代わる代わるオペラオーに競りかけていた。

ああいうプレイを許すと競馬という競技が成り立たない。
名人と囃し奉られている岡部がそういう競馬に唾するようなことをして
また何も咎められないのだから競馬サークルというのは滅法腐ってると感じたな。

そのくせ馬頭観音に手を合わせたりするのだから滑稽だよ。


84 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 19:57:06 ID:9Q7SOget0
>>81
競馬だから個別に勝負を挑むのは構わないと思うんだけど、
01宝塚の岡部ラインの行動がねぇ・・・

ルドルフの記録が更新され、自身の名誉が過去のものにされそうだったとはいえ
岡部ラインで連携して代わる代わるオペラオーに競りかけていた。

ああいうプレイを許してしまうと競馬という競技が成り立たないと思うのだけれど、
普段名人と囃し奉られている岡部がそういう競馬に唾するようなことをして
また何も咎められないのだから競馬サークルというのは滅法腐ってると感じたな。

そのくせ馬頭観音に手を合わせたりするのだから全く滑稽だよ。


85 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 22:11:18 ID:DcgCoQly0

関係者や競馬に詳しい人ほど、オペのありえない欠点の無さ、
完璧さに驚嘆してるはずだよ。正に奇跡の産物。

日本だけなら数十年に一頭のレベルってのも大げさじゃないよ。


86 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 22:17:41 ID:9Q7SOget0

しかし、オペラオーをあれだけ貶しておいて出てきたのが
ディープインパクト程度なのだから日本の競馬社会にもガッカリさせられるよ。

所詮、ギャンブルの駒扱いというか本当にオペラオーほどの馬が
日本に生まれて良かったのか疑問になってしまうね。
貧しい日本で競馬は文化には成り得ないということかも知れないな。
24投稿者:テイエムオペラオー  投稿日:2009年06月15日(月) 15時10分36秒

87 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 22:19:39 ID:DcgCoQly0
>>84
01宝塚は、あそこまでしなかったら100%オペに勝たれてたね。
あの時のオペは生涯最高といっていいくらいのデキで、
負ける要素は何一つ無かった。

最後の末脚は今までに見たことが無いほど凄まじいものだった。
あれで皮肉にも、日本はアメリカ・欧州と違って文化と言えるレベルには程遠く、
”所詮賭博である”ということと、オペの強さをこれ以上ない形で証明してしまった。


88 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 22:43:28 ID:NtGNoHVE0
>>82
 01天皇賞直前の記事で、「外から来られるとイヤイヤをするようになった」と有った。

01京都大章典のあたりでオペの精神は参っていた気がする。
馬は神経が繊細とか言われているだけに。
身体能力的には衰えは無かったようだけど。


91 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/14(日) 00:01:02 ID:AUDgIgZF0

オペラオー時代は一流半の馬たちで香港Cデーをほぼ独占したり、
それはもう目覚しい活躍だったのだけど。

例えばステイゴールドがドバイ遠征したときなども、やはり現地のプレスは
ステイゴールドなんかよりオペラオーが来てくれないことを残念がったらしいけど、
その日本の一流半と軽く馬鹿にしたステイゴールドに圧勝されて
下手なことは言えないと沈黙してしまったからな。

そういえばドバイ勢のJC遠征ってオペラオーの強さに自信を無くして以降、
未だに再開されていないのかい?
25投稿者:テイエムオペラオー  投稿日:2009年06月15日(月) 15時25分23秒

129 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/14(日) 16:40:52 ID:AUDgIgZF0

01宝塚の岡部ラインは明らかにチームプレーだが・・・
しかも散々レースを荒らした上に勝ち負けにすら絡めないというアホっぷりw

あそこまで攻められればルドルフですら惨敗するという計算だったのだろうか?
岡部が身をもってオペ>ルドルフを証明してくれたレースだった。


141 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/14(日) 17:01:41 ID:KWwZei7Y0

岡部ラインとは

岡部が逃げたら基本的に絡んではいけないことになってます
また岡部がインを突いてきたら絶対に塞いではいけません
もしやったら後からとんでもないことになります
直線で「どけ」というと道が開きます

構成員 蛯名 後藤 ヨシトミ カツハル 他

同義語 小島ライン
26投稿者:テイエムオペラオー  投稿日:2009年06月15日(月) 15時33分07秒

210 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/14(日) 19:07:10 ID:SXjKYnul0

オペ 非社台、ジョッキー2流半の和田、厩舎2流


ディープ 社台、武豊、厩舎1流、JRAが現役中なのに像まで作る、薬も有馬までOK、特別な蹄鉄も認める


いやーこの差はすごいね



28 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/13(土) 13:45:22 ID:9Q7SOget0

ディープインパクトなどのマスコミ仕立ての最強馬が
如何にショボいかがよく分かる。

やはり、真の最強馬はレース振りで己を証明するということだろうな。


216 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2009/06/14(日) 19:22:00 ID:AUDgIgZF0

まあ、GIとは思えないようなお遊戯レースばかりだったディープ時代と
日本競馬史上最も苛烈なGI戦線が繰り広げられたオペの時代を比較しようってのにそもそも無理があると思う。

馬鹿にするわけではないがディープがオペラオー時代のレースに出走したら
レース途中で泣いて帰っちゃうんじゃないか?

まあ、なぜああまでディープ時代の競馬がダレてしまっていたのかは知らんけどな。

オペラオーの時代、日本馬といえば世界中で恐れられるほど強かったのにな・・・
27投稿者:ドリームジャーニー  投稿日:2009年07月04日(土) 09時49分04秒

2006年 朝日杯フューチュリティーS
http://www.youtube.com/watch?v=7NriuSJJiMM&feature=related

2007年 弥生賞
http://www.youtube.com/watch?v=cV_swNLSmic

2007年 神戸新聞杯
http://www.youtube.com/watch?v=7dDKvxj8YeU&feature=related

2008年 小倉記念
http://www.youtube.com/watch?v=MzYZ_-0_a9E&feature=related

2008年 朝日チャレンジカップ
http://www.youtube.com/watch?v=oxVHygZA-pA&feature=related

2009年 中山記念
http://www.youtube.com/watch?v=wnWuWerKu8M

2009年 産経大阪杯
http://www.youtube.com/watch?v=k9VzyQoPIkI

2009年 天皇賞(春)
http://www.youtube.com/watch?v=vbGwYWd7L5Y&feature=related

2009年 宝塚記念
http://www.youtube.com/watch?v=AqSMsPSYb34&feature=related
28投稿者:ステイゴールド  投稿日:2009年07月04日(土) 17時39分37秒
黄金旅程

http://www.youtube.com/watch?v=vYPPjykH1wk
http://www.youtube.com/watch?v=bRxjy3UZP3c
http://www.youtube.com/watch?v=1spNutEGwXk

http://www.youtube.com/watch?v=v5kbbqWMvlE
http://www.youtube.com/watch?v=1I0t2vdq_o4
http://www.youtube.com/watch?v=02kjmEdwS9g

http://www.youtube.com/watch?v=2zjfYiq4ei4
http://www.youtube.com/watch?v=kFhb1KrgvM0
http://www.youtube.com/watch?v=5J_BoP22P1c

http://www.youtube.com/watch?v=aZo-TUvZWYE
http://www.youtube.com/watch?v=CHCIoqwaCuM
http://www.youtube.com/watch?v=RurnTEvjrOU
29投稿者:777  投稿日:2009年07月05日(日) 11時54分14秒

(夕刊フジ・細江純子のコラム)

宝塚記念のレース後、ドリームジャーニー担当の山下助手の目には涙が・・・。
母オリエンタルアートも担当していただけに、格別な思いがあった様子。

とにかく気の強いジャーニー。人間をも威嚇するほどで、過去には食事をつけにきた厩務員さんに鋭い目つきで迫り、
馬房の隅に追いやってしまったそう。その厩務員さんは隙を見てソ〜ッと抜け出そうとしたものの、今度はお尻を向けて蹴る格好を・・・。
あまりの恐さに馬房の端で直立し、30分以上動けずにいたそうです。それ以来、どんな時も山下助手が食事をつけているとこのこと。

そんな強い気性だからこそG1を勝つことができるのでしょうが、毎日携わる人は、それはそれは必死。
山下助手も「殺される〜」と思ったことが度々あったそうです。とにかく、これからの活躍が楽しみ。注目していこうと思います。


30投稿者:777  投稿日:2009年07月05日(日) 11時57分26秒

241 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/02(木) 21:06:21 ID:Jq093J6t
かつて池江寿助手がステゴで味わった恐怖じゃないか


243 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/02(木) 22:24:10 ID:bkdAsNuQ
生産牧場の中の人もステゴっ仔って
性格的に育てるのが難儀するのでいやだって。


244 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/02(木) 22:50:13 ID:ltPhMEjU
ちっこいのに凶暴なのかー。益々かわええのぉ。


245 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/02(木) 23:00:20 ID:cIqwW+Hz
>>243
そんなやんちゃな馬を手塩に掛けて育て上げる事こそが生産者の醍醐味なんじゃ?
…っていうのは素人だから言える事なんだろうねぇ


246 :ウイポジャンキー:2009/07/02(木) 23:09:21 ID:rgmSyf2p
 狂犬レスラーの競走馬版みたいなものか。


247 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/02(木) 23:09:33 ID:xZAoaWq/
おとうさんにそっくりだ…


251 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2009/07/03(金) 00:21:59 ID:/FJ7cp+g
>>238
オリエンタルアートも気が強いというか元気な馬らしいからな
この一家怖いw
31投稿者:馬体重  投稿日:2009年07月12日(日) 00時45分51秒

血統を馬体重で見てみると、意外ですが、日本牝系の馬体重はかなり重いことが分かります。大体が500キロ前後です。ただ、アストニシメントがそれほど大きくないかなというのはありました。それでも多くの馬の馬体重は私達が考えるよりも、大きいのです。

しかし、これは何を意味しているのかというのを考えると、そもそも馬体というのは、もっと大きかった可能性があるということなのではないかと思います。今世界で一番幅を利かせているのが、ノーザンダンサーですが、それが平均馬体重を下げているのではないでしょうか。

ノーザンダンサーは、優秀な競走馬としても有名ですが、体の小さい馬でした。410キロぐらいしかなかったというのをどこかで読んだことがあります。ただ、世界中にその血統は広がりましたが、産駒がそれほど小さいという話はあまり聞いたことはありません。

しかし、この間ジャパンカップにきたヨーロッパの馬はほとんどが日本の馬よりも、馬体重は軽かったのです。460から480キロぐらいだったと思います。日本の今の馬は、480から490キロぐらいが普通だと思うので、見た目ではなかなか分からないのですが、明らかに日本の馬の方が大きいと言うことになります。

それでも、私が競馬を始めた頃というのは、もう少し小さかったような気がします。私は、日本の馬がパワーがなくて小さいのかなと思っていたのですが、と言うよりは、ノーザンテーストが力を持っていたときだったので、その影響があったというふうに考えることもできるのかもしれないなと思います。

当時は、500キロの馬というのは、ほとんどいませんでした。今の日本の競馬では、500キロを越える馬というのは、どのレースにもいます。3割から4割ぐらいは、500キロ前後かそれ以上なのではないかと思います。有馬記念に出走する馬は14頭いますが、490キロ以上の馬は、その中に9頭います。有馬記念は、トップクラスの馬ばかりで多少馬体に恵まれた馬が多いにしても、他のレースでもそれほどの違いはありません。

先週の日曜日の中山の10Rを見ると、16頭中、9頭が490キロ以上で走っています。これは条件レースですが、それでもこれだけ多くの馬が以前と比べると、段違いに大きいのです。理由は、やはり、ノーザンテーストだと思いますが、それ以外では、芝が深くなったために、多少パワーが付いたとか、坂路を取り入れているためとも考えられるかもしれません。

サンデーサイレンスに関して言えば、元々、細身で雄大な馬体という特徴があります。そのサンデーサイレンスの馬体重に今の日本の馬は近づいているのだと思いますが、こういったことも覇権争いには関係してくるのではないかと思うのですが、ただ、ヨーロッパやアメリカの馬の馬体重というのは、なかなか手に入らないと言うか、競馬新聞を見ても、載っていません。日本のようには、計らないようです。

それで血統別に見るのですが、やはりどちらかというと、ノーザンダンサーは、小さくて、サンデーサイレンスや日本牝系の馬は大きいという感じでは見てきました。ただ、はっきり数値をとったわけでもなく、ミスタープロスペクターやナスルーラに関してもはっきりは分かりません。目分量というのもあるし、それにノーザンダンサーでも大きい馬はいます。母系とかの影響もありますから、ばらつきはあります。もちろん、きちんと結論をつけるには、血統別にある程度数値を出すというのと、地域別に数値を出すというのが必要になると思います。

もしかしたら、ヨーロッパの芝は深いので、あまり大きな馬よりも小さな馬の方が走ると言うこともなくはないかもしれません。それによって、小さくて、パワーのある馬体を持ったノーザンダンサーが活躍しているということも考えられますが、しかし、普通に考えれば、芝が深いなら、その逆だと思います。それでもハイペリオンなども小さかったので、このあたりはもっと調べないと分かりませんね。

先週の朝日杯に出ていた日本牝系の馬は、セイウンワンダーとホッコータキオンですが、この2頭も馬体は大きいですね。それに2頭とも、ヘイルトゥリーズンで、サンデーサイレンスの血が入っています。こういった血統の馬は、今日本では増えていますから、それが覇権争いとどういった関係にあるのかは、見ていきたいと思います

http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/550986/535515/48818156
32投稿者:777  投稿日:2009年07月12日(日) 02時18分09秒

ハマノパレードは日本の競走馬。1973年の宝塚記念を制したが、その次走高松宮杯で骨折・予後不良となり、翌日屠殺されるという最期が物議を醸した。日本における競走馬の安楽死システムが整備される契機を作った馬とされている。

宝塚記念に出走。得意の中距離戦ながら4番人気という評価だったが、スタートからハイペースで後続を引き離し、最後の直線では2番手につけたタイテエムに一瞬馬体を併せられるが、先頭で粘り切り、芝2200メートル2分12秒7の日本レコードタイムで優勝した。

続いてハマノパレードは高松宮杯に進んだ。このレースでも1番人気の天皇賞馬・ベルワイドを相手に、宝塚記念と同様のレース運びで先頭を進んでいた。しかし最後の直線に入り、2番手のタケデンバードを突き放し逃げ切り勝利を収めるかと思われた瞬間、ハマノパレードは前のめりに転倒した。前脚を骨折しており、馬運車に収容されたその場で予後不良の診断が下る致命傷であった。

現在であれば予後不良の診断が下された馬は、薬物投与による安楽死の処置を執られることが原則となっているが、ハマノパレードにそうした対応は行われず、痛みでもがき苦しむ状態のまま食肉業者に売却され、翌朝になって屠殺された[3]。

その馬肉が中京競馬場に近い名古屋地区の食肉市場に「さくら肉『本日絞め』400キログラム」という品目で売りに出されていたことが食肉業者の間で噂として拡がり、やがてこの事実がスポーツニッポンで記事として取り上げられ、大きな反響を呼んだ[4]。

その後、時代の変遷に伴う動物愛護意識の浸透と共に、重度の故障を発症した競走馬については屠殺が原則的に行われなくなり、予後不良の診断が下ってその後の必要な諸手続きが完了次第、即刻薬殺されるシステムが整備されていった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89
33投稿者:777  投稿日:2009年07月12日(日) 02時31分49秒

日本の競馬界においては、すべてのGl馬が幸福な死を迎えているわけではない。

種牡馬失格の烙印を押された後、観光用の馬車を引く使役馬として酷使され、熱射病で死んだとされる皐月賞馬ハードバージ、

やはり種牡馬として失敗し、その行方を知る者もないまま消えていった宝塚記念馬オサイチジョージのような例も、容易に見出すことができる。

それに加えて、近年の馬産地の構造不況と種牡馬の供給過剰は、競馬ファンなら誰もが知っている。
http://www.retsuden.com/vol72-11a.html
34投稿者:ハードバージ  投稿日:2009年07月12日(日) 10時39分01秒

この年の四歳クラシック戦線は最強との評価を得ていたマルゼンスキーが持ち込み馬であるためにクラシックには出走権がなく、前哨戦の勝ち馬がコロコロと変わる混戦状態を呈していた。ハードバージは8番人気と低評価であった。

しかしテン乗り福永洋一騎手の天才的感覚で忍者のように直線のインを強襲、逃げるラッキールーラを捉えて優勝した。福永騎手はその後落馬事故により騎手生命を絶たれるのだが、この皐月賞での騎乗は彼の最高の騎乗の一つに数えられている。

「(スピードが)速くて(仕上がりが)早い馬が勝つ」と言われる皐月賞にあって、未勝利脱出に7戦を要したのも珍しく、また毎日杯の勝ち馬が皐月賞に勝つのは史上初めてであり、その後も1999年のテイエムオペラオーまで待たねばならなかった。

 ダービーでは福永騎手が先約があったために、武邦彦騎手に乗り替り1番人気に支持された。武騎手は巧みにハードバージを操り直線中ばで先頭に立った。しかしながら二冠達成かと思わせた瞬間に失速しラッキールーラーにアタマ差差され雪辱された。その後、屈腱炎が発症し復帰が試みられたが、結局ダービーから2年後に引退した。

 シンジケートが組まれ、1981年門別スタリオンセンターにて種牡馬生活に入ったハードバージは初年度48頭の種付けをこなす順調なスタート。しかし期待していた程産駒は走らず、1986年シンジケートは解散し、種牡馬を引退。家畜業者に買い取られ、乗馬に用途変更された。

その後石狩乗馬クラブに引き取られ去勢された。競走馬というのは闘争心が表に出てしまいやすく、乗馬としては扱いにくいといわれている。だから引退後の競走馬が乗馬として余生を全うできる例は少ない。

こうしたそれなりに名の通った馬を預かるのは牧場なり乗馬クラブなりの善意の発露といえるものだろう。しかし経済的な限界というのがある。仕方なく福井市に本社がある貿易九谷園に売却された。

ここでの生活は過酷を極めた。観光用の馬車の曳き馬として、またある時は装身具込みで90キロもの人間を乗せてのアトラクションに出演と、およそ栄光の皐月賞馬の扱いではなかった。やがて心身ともに疲れ果てたハードバージは同園乗馬クラブの牧場で他界した。栄光の皐月賞から10年目、1987年7月のことで、死因は日射病だという。

 現在は旧八大競走及びジャパンカップの優勝馬は、繁殖や乗馬に従事しない場合、ファンに展示できる施設に繋養されていることを条件に、JRAより助成金を受け取れることになっている。しかしハードバージの頃は制度はなかったので、過酷な運命を受け入れざるを得なかった。ここまで悲惨でなくとも失意のうちに世を去った名馬は数多い。ハードバージは名馬とまではいえないだろうが、皐月賞での福永洋一騎手の天才的騎乗とともに後世まで語り継がねばならないだろう。
http://umayado.hp.infoseek.co.jp/uma/hard_berge.htm
35投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時22分25秒

ステイゴールド女 第一話
テーマ:小説(競馬)

注)馬年齢は全て新表記(満年齢)に統一しています。


第一話「また2着」

「うっしし〜。また取っちゃったよぉ。」

「うししってマチコさん、まさかステイゴールド買ってたの?」

「うんっ!複勝だけどね〜。」


‘98年の宝塚記念(GT)は、破竹の勢いで中距離重賞を連勝していたサイレンススズカが1番人気に応え、この日も得意の逃げをキメて勝利した。2着には猛然と追い込んだ9番人気のステイゴールド。2.8倍の単勝では物足りないと、スズカを軸に馬連でエアグルーヴとメジロブライトに流していたショータの買い目は結果1着3着、見事にこの穴馬に邪魔された格好でハズれていた。

このショータという男、自称理論派馬券師で、昨年は120%の回収率を誇った腕前の持ち主。このレースこそハズしたが、重賞レースばかりの馬券成績は今年もまだ勝ち越しである。22歳で中肉中背、社会人2年生だ。会社での評判はもっぱら「おとなしいコ」、悪く言えば典型的な「見た目、無気力な若者」だった。オシャレへの興味の無さも手伝って、彼女イナイ歴22年(本人は15年だと主張している)。しかし見た目の無気力さとは裏腹に実は凝り性で、高校生の頃に競馬ゲームにハマったのを皮切りにやがて本競馬の魅力に目覚めた。それ以来この熱を冷ますものは、去年就職してからすぐ上司にドヤされる日々が始まるまで何もなく、馬券を買いに行く機会が減っても重賞レースだけは毎週チェックしていた。好きな馬はトウカイテイオー。常識を覆した’93年有馬記念の走りに大泣きしたというから、実はロマンチストなのかもしれない。そうは言っても予想に関しては理系人間らしくドライで、表計算ソフトを駆使したペース分析という彼独自の秘密兵器が好成績を産み出していた。
36投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時22分45秒

「ステイゴールド、こいつはステイヤー(長距離適正の馬)ですよ。中距離のGTでくるわけがないんです。ほら前走の天皇賞のペースが・・・・。」

レース前に長々と講釈をタレていたショータの言葉が空しい。ただでさえGT当日ということもあって、開催日でもない府中競馬場に多くの人が押し寄せてきている。そんななか、彼女はその資料付きの説明を一部始終しっかり「うんうん」と聞いてくれたというのに、彼女が買った馬券はその裏を行き、あろうことか的中してしまったのである。聞けば前々走の天皇賞・春(GT)でも、10番人気のステイゴールドの複勝を当てたのだという。

「この馬、またGTで2着にくるよ、って、ビビッときたのね。」

「そんなぁ・・・。」

また2着って滅茶苦茶いうなよ、とは鋭い突っ込みだが続けての言葉として出せない。自信満々に披露した予想を台無しにされ、ショータはそのプライドを打ちひしがれていたからだ。しかも彼にとって記念すべき生涯初めてのデートの場において(このことは他の誰にも内緒である)。

マチコは彼の予想のことは全く気に留める様子もなく、ちょっと自慢げにニヤリとして、当たり馬券をヒラヒラさせながらこう切り出した。

「ほら、この馬券換えてきなさいよ。今日はあたしのオ・ゴ・リ。」

彼女がかもしだす存在感に圧倒され、もはやこの命令にショータは全く抵抗できなくなっていた。今日からショータはマチコの飼い犬、それが決定付けられた瞬間でもあった。

「はぁ・・・」うなだれたまま彼は、複勝馬券を受け取り、既に長くなっている換金所の行列の最後尾へトボトボと向かわされた。

マチコは今年25歳。ショータと同じ会社で庶務を勤めて8年めになるというから、もはやベテランだ。仕事ぶりもテキパキとしてて誰もから評判がいい。150cmそこそこと小柄で、体つきもほっそりとして目立たないが、持ち前の明るさとぱっちりとした目がかもし出す可愛らしさ、小粋なギャグセンス、そして楽しそうにしているときだけに見せる、カリスマ性と言ってもいいその存在感。彼女の魅力は、ショータには知れば知るほど光り輝いて見えるのだった。しかしオトコがいるというハナシは不思議と耳にしない。

ある日の昼休み、彼女が3つ向こうの部署のショータになぜか声をかけてきた。

「あたしねー、お馬さん好きなのよ。実は『オダギラー』なんだ、エヘヘ〜。」


突然憧れの女性に声をかけられ、5秒間カタまるショータ。その隙に彼の手にある週刊の競馬雑誌をすっと奪い取り、易々とその真意を果たすマチコ。


「ふーん、またステイゴールド出るんだ。」

たまたま目に付いたページで今度のGTレースに興味を示す彼女に、心拍数が収まらないままショータが発してしまった言葉が、

「に、日曜日いきませんか?府中・・・。」

これが彼の初デートの経緯だった。

そう、ふたりはまだ付き合っているというわけではなかった。いや客観的にはっきり言ってしまえば、マチコはショータの手にはまだ遥か届かない、「近くて遠い」存在である。

「すっかりパシリだよもぅ。」

ショータは独り言をつぶやきながら換金所をあとにしたが、内心は幸せそのものだった。月に一度程度とはいえ、彼女の競馬観戦に、これからの、自分だけの役回りができたのだから。初デートの成果としては、彼にしては上々と言えた。

「しかし、何だヨこの馬は。重賞未勝利のクセに・・・。」

ショータは、去年デビューしてしばらく初勝利をあげられなかったこのステイゴールドという馬をまだよく知らなかった。そしてこの馬に秘められた「力」に、そして自分の中で芽生え始めたその馬への親近感にも、まだ気が付いていない。
37投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時23分25秒

「ステイゴールド女」 プロローグ
テーマ:小説(競馬)

プロローグ 〜ステイゴールド その戦跡とあらましについて〜





馬名ステイゴールド、1994年北海道白老ファーム産。父サンデーサイレンス、母ゴールデンサッシュ(母の父ディクタス)。1996年12月競走馬デビュー、2001年12月引退、生涯成績50戦7勝。

この彼の紹介文でまず目に付くのは、今は亡き偉大なる父の名と、50戦という一線級の中央馬としては類い稀なるレース数である。父は日本競馬界空前の大種牡馬で、この馬もその素質を3歳(新表記、満年齢)のクラシック戦線で開花させるものと期待されて育ったが、平均馬体重430kg弱(他の一線級の馬は概ね470〜510kg程度)という数字が示すようにいたって小柄。五十数kgの、騎手という名の「おもり」を背負って走るレース「競馬」においては明らかに不利な体格だった。さらに加えて持ち前の激しい気性が扱いを難しくしていた。3歳時は阿寒湖特別を勝ち、クラシック最後の菊花賞になんとか出走を果たすも結果は8着。既に発揮されていた長距離馬としての適性に古馬としての後半生の活躍をわずかながら期待するしかない、そうとも思われた当時の成績であった。





なお4歳になって以降、50戦めのレース「香港ヴァーズ(国際G1)」までの彼の主な戦績は、本編を参照されたい。


38投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時24分21秒

「ステイゴールド女」 第二話
テーマ:小説(競馬)

第二話「府中競馬場」


それからというもの、ショータには毎月のように「おトモ」の指示が下った。彼はただついていく、もちろん一度も断ることなく。隣を並んで歩くことはかなっても、手を握りにいくシチュエーションにはまだとても持ち込めない。貯めこむしかなかった口座に手をつけて服を上下買い揃えなおし、朝ブローもキチンとやるようになった彼だが、その努力の成果が表れる日は来るのだろうか。


マチコの「主戦場」は府中競馬場か、立川ウインズだったが、どちらかといえば前者のほうが多かった。というよりむしろ、特に問題がなければ開催が無くとも府中競馬場のほうを選ぶとのこと。理由は2回目のデートで早くもわかった。


「ショータ、第六レース当たったでしょ、焼きそば買ってきなよ。」


指示通りとはいえわざわざ、遠くの第1コーナー側の売店まで行く。最初はその真意もわからず、自分の分も含めて「やきそば二つ、ショーガ抜きで」と注文した。すると普通盛りのはずなのに出てきた量がすごい!両方の手にそれぞれ皿を乗せ、こぼさぬよう持ち帰るのは難儀で、帰りは行きの倍の時間がかかった。


「あら、2つ買ってきたの、大丈夫?ふふふ。」


彼女が心配したのは、持ち帰りの大変さへの気遣いではない。彼女はいとも簡単にその一皿を平らげたが、ショータは食べてみて実感、とても軽食といえる量ではなかった。食に関しては健全な彼も、なんとか7割を詰め込んだところでギブアップ。午前中、彼女のペースにあわせてジャンクフードをつまんでいたのがアダになった。そう、マチコはその小柄な体に反して、とんでもない大食女だったのだ。座り込んで食べながらの観戦となると、たしかにウインズ構内というわけにはいかないよな・・・。






 やがて秋が訪れ、その府中競馬場でGTが開催された。第一弾は天皇賞・秋。この日はデートに邪魔が入った。マチコの後輩ムツミ、サイレンススズカの大ファンだという。とにかくキャッキャとうるさい、ミーハーらしい。マチコいわく「ムツミ、とてもかわいいよ」とのことだったが、ショータにとってはふたりきりの時間を奪う乱暴者でしかなかった。


 本番のレースでは、単勝オッズ1.2倍と圧倒的一番人気のサイレンススズカが途中まで快調な大逃げを演じて見せたが、4コーナー手前で躓いたような仕草を見せると徐々にスローダウン。異変に気付き始めた場内は重低音で騒然となりはじめ、「ちょっとおかしくなった」のアナウンスとともに1オクターブ上の悲鳴が重なって、スタンドはいつもと違う大音響を奏でた。「えっ、何〜、うそ〜!」ムツミの金切り声をさすがのマチコも止められない。ターフビジョンが映し出す、壮絶な直線の叩きあいを観る者はいつもの半分しか居なかった。4コーナーはずれで武豊騎手が下馬したスズカが群集の視点のもうひとつの焦点だった。


39投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時25分04秒
「飛ばしとったから、予後不良やないか?」


無神経なオヤジの言葉が耳に入ったため、ムツミの暴走はもう止まらない。奇声をあげて泣きじゃくるムツミを二人で両側から支えてスタンド裏のベンチへ退避する。「大丈夫、だいじょうぶだからねっ!」サイレンススズカが死ぬことはないと、根拠をもたないはずのマチコが必死にそうなぐさめる。それがようやく効きはじめたのは、もう表彰式が始まった頃。レース結果を確認することなく、三人は競馬場をあとにした。そしてその夜遅くのスポーツニュースでは、スズカの薬殺処分の報が流れた。


 レースは7歳馬の伏兵オフサイドトラップが勝利していた。ステイゴールドはまたも2着だったが、大変な逸機であった。最後の直線で鋭く伸びたのも束の間、大きく斜行し内ラチにモタれてしまうという問題レースだった。これがなければ勝利していたのではとの声もあった。


宝塚記念のデータを加えたショータの事前の分析は、このハイペースになるであろうレースでは、たとえ距離が不向きでもステイゴールドが有力であることを教えていた。実際そのようになり、ショータの馬券はスズカからの流しであったためハズレとなったが、マチコの3たびの複勝はまたも的中していた。馬券の換金は一ヶ月後のジャパンカップ、そのときステイゴールドは着外に敗れるのだが、さらに一ヵ月後、年末の有馬記念ではグラスワンダー、メジロブライトに次ぐ3着と健闘、馬もマチコもきっちり借りを返すのだった。






スズカの悲劇の後、二人のデートを邪魔するものは二度と現れることはなかった。徐々にファッションにも感心を向け、時には冗談もいうようになったショータを横目に、ぴったりの相手とニラんだムツミを紹介するつもり、つまりいらぬ気遣いをしたのだということは、後にも先にも、マチコはオクビにも出すことはなかった。


 競馬界ではこの頃から、若者を中心にしたステイゴールド人気が巻き起こり始めた。「イマイチ君」。「善戦マン」。勝ちきれない悲しさをパロったものでしかなかったこれらの形容が、その魅力を表すものとして適切でないことが明らかになるのはしかし随分後のことである。ただ、ショータはその秘めたる能力の一端に早くも気付き始めただけでなく、「なかなか勝ちきれない」その様を自分にダブらせ、近いうちにくるであろう彼の勝利を期待するようになっていた。
http://ameblo.jp/gekka-no-shirabe/page-2.html#main

40投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時25分40秒

「ステイゴールド女」 第三話
テーマ:小説(競馬)

第三話「いつか」


‘99年になり、長期放牧もなく2月の京都記念からステイゴールドは始動。この年は実に11戦をこなすハードスケジュール振りであった。間隔がちょうど月一回程度ということもあり、二人のデートもぴったりこれに合わせて重ねられた。いつしかステイのレースに照準を合わせるようになっていたのは暗黙の了解である。


この年前半のステイのレースは、その出走振りでタフさをアピールする一方で、荒れた内容であった。京都記念(GU)で出負け、他馬との接触もあり7着。日経賞(GU)も出遅れがたたり3着。春の天皇賞(GT)でまたも接触があり5着。その後宝塚記念の前までになんと中二戦もして連続3着であった。頻繁に見せる出遅れ、必死の追い出しに対する反応の鈍さ、そして直線コースでたびたび見せる斜行。主戦の熊沢騎手はこの馬を手に負えないでいるようにファンの目には映ったが、不思議と誰も彼を責めようとするものはいなかった。






マチコは複勝を毎回のように購入してはたびたび的中させるのだが、なぜかこの時期は機嫌がよくなかった。


「ちょっともう、休ませてあげようよ〜。」


ショータが勇気を出したタイミングは絶妙かに見えた。そんなマチコをなだめるべく、


「大丈夫ですよ、ステイあんなに元気だし。」


そう言いながら、右腕をマチコの背後から奥の肩のほうへと伸ばす。


「またやってくれますって・・・」


その手が目的地点へ到達しそうなまさにその時、彼女はバン!と立ち上がり、知ってか知らずか、ちょうどその腕を跳ね飛ばす形になった。


「もう帰るよっ!」


きっ、と睨んだその視線に、下心の後ろめたさもあって、けして太くはないショータの勇気は力もなく萎縮してしまった。彼は当分手を出せそうにない・・・。


41投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時26分09秒

マチコの機嫌が晴れたのは、宝塚記念(GT)のとき。レースは直線でまぶしいばかりの豪脚を披露したグラスワンダー、敗れたとはいえ他馬とは圧倒的な差を見せつけたスペシャルウィーク、この両スターホースに次いで、7馬身離されながらもステイゴールドは3着にすべりこんだ。


「やっと休めるね〜」


この日は二人とも馬券が当たり、帰り路は途中の焼肉店へ。相変わらずの彼女の食べっぷりには舌を巻いたが、ショータにとっては彼女の笑顔を正面から満喫できたひとときだった。この状況に満足しそうになっている自分に気付き、ショータはつい、いましめの言葉を発してしまう。


「ステイ、このままじゃいけませんよね、勝たないと。」


「ウフフ、そう思う?勝てるかな・・・?あっさり勝っちゃうと面白くなくない?」


「いつかきますよ。きっと。いつかね。」


言葉では「いつか」と言ったが、こんなに使い込まれて、もう5歳のステイは結果を出せないまま今年中に引退してしまうのではないか。そんな不安が自分の胸の中で大きくなっていたことに、ショータははじめて気がついた。


GTでこんなに好走する馬なのに、重賞のひとつも勝てずにいる。しかしそんな「イマイチ君」のまま終わってもらっては困る理由が2つ、ショータの胸の中にあった。ステイの引退は、今はまだ見えない、しかし遠くない将来にやって来るであろう彼女との楽しいステイ観戦の日々の終わりでもある。それはそのまま、観戦デートの終焉ではないかという気がしているのがひとつの理由、はっきりした根拠はない。そしてまた、ステイゴールドが勝つとき、「その時」こそが彼女に想いを打ち明けて、願いを果たす絶好のチャンスだと、ショータは男の本能でそう感じているのがもうひとつの理由だった。


ともあれ、「その時」は、少なくとも秋以降におあずけである。





42投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時26分51秒

「ステイゴールド女」 第四話
テーマ:小説(競馬)

第四話「あたし見たもん」


ステイゴールドが勝てない原因のひとつがその「ジリ脚」にあることは、関係者の間だけでなく、すでにファンの間でも有名な話になっていた。自身が小柄だったからであろうか、ラストスパート時の一時的な最高スピード(つまり瞬発力)がない馬であり、スローペースからの直線勝負のレースともなると他馬との差が歴然としていたのだ。一流馬の魅力が、直線で発揮されるその豪脚にあるとしたら、確かにステイは逆に「イマイチ」であった。それゆえ、彼が勝つには、ハイペースが必須条件とも言われていた。


‘99年秋を一戦、京都大賞典(GU)で叩いたステイゴールドは、そのまま天皇賞・秋(GT)に向かった。他の一流馬たちと同じ、本番のGTで力を発揮しやすいローテーションである。


本番の天皇賞のメンバーには、強力な逃げ馬が多かった。かつて大逃げでターフを沸かせた1番人気のセイウンスカイこそ差し馬に転向していたが、それでもハイペースは必至だとショータは予想した。なにより、最有力のはずのスペシャルウィークが前走からおかしく、調教も絶不調だという。これは、ひょっとすると・・・。






「今日のショータ、なんかカッコいいね?」


「いつも、って言って下さいよ。」


ショータは前日に特に綿密な分析を済ませてから、マチコと府中競馬場に乗り込んだ。彼の分析結果が大きな「チャンス」を示しており、膨らんだ期待が彼をさっそうと歩かせ、いつもと逆にマチコをリードするかのようだった。


「チャンス」とは、パソコンがハジき出したステイゴールドの勝率がこれまでのGTより倍以上高いことだった。12番人気と人気落ちしているということもあって、自称馬券師のショータにとってはこの上なくおいしいレース。迷わずステイの単勝馬券につぎ込んだ。


しかしこの場合は馬券のことはニの次、ステイが勝ったときにどうキメるかが重要なのだ。ゴールの瞬間に手を取り合って、いやいっそどさくさにまぎれて抱き合って、それから見つめあって・・・そうだ、観戦場所は重要だな。ショータはターフビジョンとゴールの瞬間を一望できる絶好のオープンスペースとして、スタンド3階の通路階段の一段を、マチコと並んで占領しスタートを待った。


 ファンファーレ、そしてちょっとした事件が起こる。1番人気のセイウンスカイがゲートインを嫌がったのだ。3分、5分・・・古馬GTのスタートがこれほど手間取った例もないほど遅れたが、イライラするどころかショータはむしろ、内心ほくそ笑んでいた。ライバルのトラブルでステイゴールドの勝利の要素がさらに高まったと解釈したからだ。当のステイはゲートの中でおとなしく待ってくれている。


43投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時27分47秒

ようやくスタート、逃げ馬は単騎で競り合いにならないが、やはりハイペースだ。タテに長い展開のまま一分ほど過ぎるのを、スタンドはじっと見守っている。昨年のような悲劇もなく、各馬無事に4コーナーを迎えたのを確認すると、群集はそれぞれが握り締めたものを叫びだし、スタンドはフェアな活気に包まれた。

ステイゴールドの小さな馬体が目立って見える。熊沢騎手が直線早めに追い出すのはいつものことだが、このときばかりは反応と勢いが違って、輝いてすら見えた。そのまま外に持ち出し、府中自慢の長い直線。これならいける!

ジリ脚、お前は今回もそうか。一跳びずつ、前脚を投げ出すたびに、確かに先頭との差を詰めてくるのだが、ショータはヤキモキさせられて仕方がない。このままいけば、ゴールで先頭に立つと信じるしかない。坂にさしかかってからもなお、とてつもなく長い20秒間。

不意に、忘れかけていた黒い馬体がステイの外から襲い掛かり、勢いが違うその瞬発力から目をそらしたい気分で一杯になる。ステイだけを注視、もうかわしそう!そして、遂に先頭に立った!すぐに外からステイよりも一回り大きな馬体が覆いかぶさり、思わず心の中で叫ぶ。「スペシャル邪魔するな!」


 明らかに、かわされたと判るところでゴールした。歓声で聞き取りにくい実況を確認するまでもない。ステイは最後のひと伸びが足りなかった。鞍上の熊沢騎手が、スペシャルウィークの武騎手と健闘を称えあってかハイタッチする。


ショータは予定の行動を実行に移せず、悲しい目だけをマチコに向けると、彼女は青い馬蹄形のゴール板を見つめたまま、いつになく真剣な表情。視線に気づくと彼女はこう切り出した。


「ねね、いま、すごいの見ちゃった。」


同時にショータの背中をバンと叩いてくる。初めてのことだ。


「えっ?負けちゃいましたよね。」


「違うの。今ね、ステイ。一着を『譲った』のよ。あたし見たもん。」


「そんな・・・」


こんなに笑える話なのに、彼にとっては強烈な追い討ちだった。悔しさで涙が出そうになるのをぐっとこらえ、かわりに「11月は小遣いナシですよぉ」と単勝馬券がハズれたことに転嫁して、作った苦笑いでごまかした。






後日発行の競馬雑誌に熊沢騎手のコメントが載った。


「決め手の差としかいいようがない。」


そんなこと言うな。GTだから、相手がスペシャルだから勝てなかったと言うのか。それにあのハイタッチはなんだ。お前はそれで満足なのか・・・。熊沢騎手が苦労して乗っているらしい情報は、雑誌の中にこれまで何度も書かれていた。なんとかして勝たせてやりたい、そう一番強く想っているのはおそらく熊沢騎手なのだろう。それだけに、このコメントにはやりきれないものを感じた。そして、またとないチャンスが去ってしまったという想いを、否定したくて、ぬぐい切れなくて、ショータはしかたがなかった。

 ‘99年、ステイにはその後ハイペースのレースは訪れず、ジャパンカップ(GT)が6着、有馬記念(GT)が10着となり、この年のスケジュールが終わった。ジャパンカップは、スペシャルウィークが、有馬記念はそのスペシャルをわずか4cm差で制したグラスワンダーが、それぞれ勝利した。世界の舞台へとまさに羽ばたいていったエルコンドルパサーを除けば、この2頭が主役の1年と言えたが、サラブレッドの年月は早いもの。スペシャルは引退を表明する一方で、「来年はこの馬の年になる」と囁かれた成長途上の3歳馬が、もう有馬記念の時点では主役からクビ差の3着までと迫ってきていた。
44投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時28分28秒

「ステイゴールド女」 第五話
テーマ:小説(競馬)

第五話「拍手」


2000年が明けても、ステイゴールドは休むことなく毎月レースをこなした。AJCC、京都記念、日経賞と3つのGUレースを2着、3着、2着。着順は相変わらずに見えるが、レースを観た者には、それまでとのレース内容の違いがハッキリと見て取れた。タイミングぴったりのスタート。差しにこだわらない積極的な位置取り。たとえスローペースであっても、早めの追い出しに鋭く反応して先頭をうかがう。瞬発力と結果さえ伴えば、最強馬の横綱相撲、そのものであった。


「強かったですね、今日のステイゴールド。」


「あはは、それで2着ってのがいいでしょ。でも、もう卒業かな?」


出遅れの克服、道中での反応の改善、斜行癖の回避。熊沢騎手の3年に渡る必死の取り組みが、ようやく結実しようとしていた。






迎えた本番、天皇賞・春(GT)に、本物の横綱が出馬してきた。皐月賞馬、テイエムオペラオーである。しかしこの皐月賞馬という肩書きは、未熟な3歳時の結果を表した一時的なものでしかなかった。新聞の予想紙面は、この馬とナリタトップロード、ラスカルスズカで「3強」と一斉に報じた。


果たして、その評価は正しく、オペラオー、ラスカル、トップロードの順に、3/4馬身ずつの差でゴールになだれ込んだ。ステイゴールドの4番手という評価も結果的には正しく、スローペースに決め手を欠いたステイはトップロードからさらに3馬身離された。ただ、レースへの集中力は、それまでとは違い、抜群に高かったようにも見えた。






「土曜日はダメなの。日曜日だったら行けたんだけど。」


天皇賞・春から2週間半後、驚きのニュースを伝えようと慌てて電話したマチコからの返答は、ショータをさらに落胆させた。


「その日は大事な用事があるんだぁ。だからね、あたしの代わりにちゃんと応援してくるのよっ。立川じゃダメだからね、いい?」


驚きのニュースとは、ステイゴールドが土曜日のメインレース目黒記念(GU)に急遽出走することになったことだけではない。騎手が武豊に変わったというのだ。まさか、熊沢騎手が主戦から下ろされたというのか?熊沢騎手をもいつしか応援するようになっていたショータは、一時的なものであって欲しいと内心思ったが、真相はわからなかった。


45投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時30分10秒

レース当日は雨。悲しいくらいにしとしとと降る初夏の雨。ショータは午後一番には府中競馬場に乗り込んでいたが、もはや眼中にない前座のレースで遊ぶこともなく、ただ本番を待つ。午前中に分析してきたのも、この目黒記念だけだ。

 ショータの分析結果は、ハイペースならステイゴールド1番手、そうでなければ2番手の評価だった。強力な逃げ馬がいるのでハイペースは期待できるのだが、雨による重馬場という条件は不安要素だった。落ち着かずに部屋を飛び出してきてしまったショータは、到着してからはしかし何もすることができず、3時半のスタートをじっと待った。3時になると応援の垂れ幕に囲まれたパドックへ。それから地下馬道へもぐったステイを追いかけて、芝生の見えるスタンドへ。会話の相手がいない今日のショータは、透明のビニール傘を片手に、ただ黙ってステイを見守る。

 ターフビジョンがスターターの旗振りをアップで映し出し、ファンファーレのあと間もなく、スタンド前に設置されたゲートが、カシャ、と乾いた音を響かせて開く。出遅れの波乱も、GTレースのような一周目の大きな歓声もない。変わったことと言えば、2500mという長距離のレースなのにすぐに先行争いが始まり、競り合った2頭がぐんぐん伸びて他馬を置き去りにしていったことだ。時計と距離標識を見比べなくてもわかる明らかなハイペースで、まずは第一条件クリア。ステイは後方待機している。

 レースが第3コーナーに差し掛かり、馬群に、スタンドに、そしてショータの胸に、いつもの緊張が高まり始める。後続のペースも上がり、いつもなら熊沢騎手が反応の鈍いステイを必死に追い出しにかかるところ、武騎手はまだ強くは追い出さないでいた。逃げ馬の1頭がさらに抜け出し、そのまま第4コーナーへと突入する。先頭からはまだ10馬身以上、重馬場の直線で伸び切れるのか?残ったもう一方の条件、その不安が消せないまま、耳を傾けていた場内アナウンスは歓声で徐々にかき消されていった。

 武騎手は仕掛けの瞬間を大きく見せない。いつの間にかステイに勢いがついていて、前の馬群のカベを大きく避けてその姿を見せたときには他のどの馬よりも脚色がよく、そこへさらにムチが入って本格的なスパートに入った。残り200mで先頭に立つと、力の残っていない2線級の他馬たちは従うしかなく、ステイは2着に1馬身1/4の差をつけて勝利した。溜めて、爆発させる。熊沢騎手とは違う発想の、確かに武騎手の好騎乗が光ったレースだった。「さすが武騎手」とアナウンスまでもが称えたが、ショータは熊沢騎手でも勝てたのだと信じたかった。

レース直後、前代未聞の珍事が起きた。スタンドから拍手が起こったのだ。暖かく、優しく包み込むような、マラソンで最終ランナーがゴールするときのあの拍手と同じものだった。おめでとう、やっと勝てたね、小さい体でよく一生懸命走りとおした、そしてお疲れ様・・・ファンたちの様々な想いが込められているのが感じ取れた。もはや、ステイゴールドはGUなら勝って当然の馬と受け取られていたとも言えた。

悔しさがこみ上げてきたのは、ショータ自身でも予期せぬことだった。この拍手は、この拍手だけは許せないという気持ちに駆られた。彼に対してのものではないのに、こんな同情は受けたくねぇよという怒りさえも覚えた。この勝利を心から祝福するという群集の行為に違和感を覚えたのは、けして騎手のことがあったからではない。

これで終わって欲しくない、ステイはこんな勝利で満足して終わる馬じゃないんだ、これはゴールなんかじゃない!かねてから抱いていた気持ちが、消えるはずだったこの勝利で、逆に膨らんでくるのがわかった。実に2年9ヶ月ぶりの感動的な勝利という絶好のチャンスであったはずだが、それを活かせなかった不運に対しての悔しさは、逆にもうこみあげてこることはなかった。いや、彼女の不在は不運ではなかったのだ。

GUではない、GTというこの馬にふさわしい勝利が達成されたその時こそ、初めて心から「やった!」と言える、そしてあの人にも・・・。自分の気持ちをはっきりできたこの瞬間を胸に刻み込み、人だかりができた表彰式に背を向けて、ショータはひとり帰途についた。

 帰宅するとすぐ、部屋の電話が鳴った。夕方には珍しいことで、やはりマチコからだった。


「テレビで観たよ〜。」

レースシーンを振り返り、余韻に浸ったのは少しだけだった。武騎手の騎乗ぶりも話題には出さなかったし、拍手のことにも触れなかった。


「それでね。あたし、会社辞めることにしたんだ。」

切り替えられた話題の、突然の衝撃に動揺する。今日はそのことで家族、つまり単身赴任の父親と実家を守る母親、妹を交えた4人で話し合っていたのだという。なるほど、大事な用事だ。

「これからはあたし、自分の好きなことをやって生きてくの。」

まずは、以前からやってみたかった、温泉旅館の仲居という仕事にチャレンジするのだという。また、当面熱海に住み込みになるので、競馬観戦にはあまり行けなくなるというのだ。

「ステイのGTだけ、行こうよ。あたし、府中まで行くからさっ。」

間をおかずマチコはこう続けてくれたので、ショータの不安はすぐに消えた。しかし、「ステイの引退」=「観戦デートの終焉」というただの予感であった図式が、近い将来確かに成立してしまうのだと通告された瞬間でもあった。一瞬訪れた悲しい気持ちを悟られないよう、しかしけして強がりでなく、彼もすぐさま言葉を返す。

「ええ。ステイ、このままじゃ終わりませんから。」

「そうよ、じゃまたね。」

ふたり、それぞれの決意を伝え合った電話は終わった。最後にあっさり同意されたのがちょっと意外で、少し拍子抜けした。
46投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時30分51秒

「ステイゴールド女」 第六話
テーマ:小説(競馬)

第六話「不遇」


2000年の中長距離のGTレースは、次なるステップとしてGT勝利を目論むステイゴールド陣営にとっては、不遇なものであった。結果を言ってしまえば、「横綱」テイエムオペラオーの独壇場。春の天皇賞以降、その年の2000m以上の芝GTレース5つ全てを勝利してみせた。この馬の全盛期の走りは、着差こそさほどではなかったが、先行、差しと自在な位置取りから、直線ではライバルに並びかけては必ず競り落とすという、勝負に徹した強い内容であった。圧巻だったのは有馬記念で、最後の直線で前が壁になった大ピンチの状況で、オペラオー自身が壁のわずかな隙間を見つけて割って入り、そして抜け出すのを、全国の観戦者が目撃した。その「賢さ」を見せつけたレースは、オペラオーの安定性、隙の無さを大いにアピールし、引退するまで無敵なのではないかとも思われた。また、同じ世代のレベルの高さから、この馬こそ史上最強馬との声さえも多く聞かれた。


メイショウドトウ、ナリタトップロードの「大関」らも横綱に準じた結果を毎回出した。オペラオーさえいなければ栄光は彼らのものであり、世代が違えば時の最強馬になり得たと多くのホースマンが認め、臍を噛んだ。彼らもまた、不遇の辛さを味わったのだ。






「今日のステイどうしちゃったんでしょうね?」


「きっと、おっきいのが邪魔したのよ、いじわる・・・」


2000mと中距離の秋の天皇賞は、長距離馬ステイゴールドにとって過去‘98年、’99年連続2着となぜか相性のいいレース。2000年のレースも再度武豊騎乗とあって一部で期待されたが、当時有名だった「魔の第ニコーナー」で不利を受けてしまい、見せ場なく7着と敗れた。府中競馬場の2000mのレースはスタート地点が第一コーナー付近にあり、スタート直後に第二コーナーの左カーブに入るという構造的な問題があり、第二コーナーのインコース争いがいつも激しくなるのは当然のことであった。その2年後には数ヶ月間開催を無くして改修・改善されたほどかつての悪名は高く、「秋天は一番人気が勝てない」というジンクスの一因とも言われた。ともあれ、結果的には新しいライバルたちの後塵を拝し、ステイは馬券に絡むことすらできずにその年を終えた。


鞍上のほうはというと、秋の天皇賞以外は後藤騎手が担当したが、やはりなかなか手に負えないでいる様子で、満足な結果を出せなかった。そして、春の天皇賞以来8ヶ月というブランクは、熊沢騎手にはもうステイに乗る機会が二度と来ないことを示していた。


ステイゴールド陣営は、有馬記念の前に来年も現役続行することを既に表明していた。彼らの思いもまた、このままで終わって欲しくない、ということのようだ。


47投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時31分30秒

2000年末最後のレースが終わり、ショータは馬券が当たったのにまったく喜ぶことができなかった。ステイが出走するGTレースは数ヶ月先のことになるからだ。しばらく会えませんねと、「素直」に寂しがることができるようになったのは、しかし駆け引きの上達でもあった。


「また来年があるから、ね?元気出しなって。」


そう言って、マチコはまたバン、と左手で背中を叩いてくれる。その時の距離が毎回近くなってきているのが密かに楽しみで、ここまでは作戦通りだったのだが、今回は彼の右腕を抱え込んで強く寄り添ってきたので、激しく動揺した。予定外の状況には弱いのだ。抱き寄せ返すどころか、言葉すらも発することができない。


マチコはむしろ判らないようにしていたのだが、実は彼女が買った馬券の変化を目ざとく彼は見つけていた。いつからなのか、復勝ではなく単勝馬券。2着や3着でない、ステイの勝利こそを、彼女期待するようになっているのだ。勝利の喜びは、確かに共有できるものなのだ。そして、確かに近づきつつある距離・・・。彼は「その時」の妄想を、彼女の側面の感触を味わいながら描いたが、傍から見るとただ固まったままの彼を、上目使いでちらと確認する彼女の視線は見逃してしまっていた。


ともあれ、馬券がハズれた彼女が当たった彼を励ますのは、競馬場においては異例の光景だった。






2001年、明けてステイはもう7歳。競争馬としてはもはや高齢であり、同期の馬たちのほとんどが引退してしまっていた。しかし当のステイは衰えを見せず、鬼の居ぬ間とばかりに1月の日経新春杯(GU)を、格の違いを見せつけて勝利した。陣営が発表した次走のプランが、なんとUAEドバイへの海外遠征。その異例さと自信の程に、競馬界が大いに驚愕したのは言うまでもない。


48投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時32分10秒

「ステイゴールド女」 第七話
テーマ:小説(競馬)

第七話「砂漠の夜の夢」


UAE(アラブ首長国連邦)の一つの首長国であるドバイ。その頭首であるモハメド殿下は競馬界に対しての巨額の支援を続けていることで有名であり、その一環として企画されてきた競馬の祭典「ドバイワールドカップデー」が遂に1996年に創設された。それ以降毎年3月に、「砂漠の中の人工オアシス」ナド・アルシバ競馬場で開催されているこの祭典は、プログラムが7つの高額賞金レースで構成されており、特にメインレースでもある「ドバイワールドカップ(国際GT、ダート2000m)」は一着賞金360万ドルという、世界最高クラスの額を誇っている。ステイゴールドが出走する「ドバイシーマクラシック(国際GU、芝2400m)」も、賞金は日本のGTと同じレベルだ。レースは現地時間の夜に行われる。日本時間で言えば、土曜日の深夜になる。






 その、「ドバイシーマクラシック」で、ステイゴールドが勝利したという。ショータはもちろん期待はしていたのだが、日曜日のテレビでの結果速報にはさすがに驚いた。快挙だということは判っている。どのくらい凄いことをやってのけたのか、その詳細を知りたい、すぐにでも。今週末のテレビで詳しく放映されるだろうが、待ち遠しくて落ち着かない。






月曜日出社すると、たまたま出張で来ていた名古屋支店の同期、ワタナベに出くわした。入社当時は新入社員研修で一緒に合宿した、文字通り「同じカマのメシを食った」仲である。競馬の話題で花が咲き、合宿先から近い横浜のウインズにも一緒に行った。サニーブライアンが逃げ勝ったレースに一緒に呆れ、そのまま引退されて「勝ち逃げされた」とまた一緒に苦笑した、そんな思い出が懐かしい。


「おう、元気そうやん。『お馬さん』はやっとんの?」


「ケーブルテレビとPATに入っとんねん。毎週ウチでやっとる。」


どこの方言かわからないイントネーションは放っておく。もしかして、とショータは早速その「ケーブルテレビ」という言葉に飛びついた。驚きを顔で表現しながら、


「ステイゴールドは・・・」


と切り出すと、質問の内容も確認しないまま、ワタナベはふふんと得意げになって言った。


「ドバイのレースなら、全部ビデオに撮っとるで。」
49投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時32分41秒

頼んだダビングのテープが宅配便で届いたのは、水曜日のことだった。名古屋に戻ってすぐに送ってくれたらしい。早速梱包を解いてデッキにかける。


 スタジオのつまらない解説と座興をはさみながら、数十分おきに現地の1つひとつのレースが繰り広げられる。3つめのレースがシーマクラシック。ダリアプールやカイタノ、インディジェナスといった耳にしたことのある強力なメンバーのなかに、去年のジャパンカップにも出馬していたファンタスティックライトもいるではないか。昨年はジャパンカップこそ3着と破れたが、エミレーツWRCで総合優勝、世界最強の一頭との呼び声もあった。鞍上は世界の第一人者との呼び声高いL.デットーリ騎手で、文字通り世界最強コンビである。前評判は一番手、納得のいく評価だ。






 数日前の海の向こうのレースが、ショータの部屋で今まさに始まる。ステイはスタートも悪くなく、間もなく堂々と自分のポジションを馬群後方で主張する。馬群は固まった一団であったが、けしてスローペースではない。それぞれの馬のベストポジションが近いことがそうさせているのであろう。世界のトップジョッキーたちのレベルが感じ取れるような光景だ。ステイの武豊騎手もまた、その一人である。


 向こう正面で馬群と平行して走る中継車がアップで映し出す迫力満点の光景では、しかし何も目立った動きが映らない。やがて周回内側の中継車が離れ、一団の形が崩れないまま第四コーナーへと差しかかる。カーブを曲がり切るところで、馬群から早めに抜け出しを図った馬を追いかけて、脚色のいい馬が一頭、ファンタスティックライトだ。実況はまだ600mの直線という「期待」が残っていることを教えてくれる。


次の瞬間、馬群に隠れていたステイも顔を出す。またもや武豊騎手の仕掛けの瞬間がわからない。手綱追いだけで、勢いを徐々に増しつつ最後の300m。すでに先頭に立っていたファンタスティックライトと、追いかけるステイゴールド、2頭の一騎討ちの様相を呈してきた。ジリジリと、しかしステイの加速はまだ終わらない。デットーリ騎手が大きなアクションでしきりにムチを入れ、手綱で一体となったままのステイと武騎手が静かに追いすがる。1馬身、半馬身、徐々に馬体が重なって、届く・・・?かわしたとは思えない、並びかかったところでゴールした。何度か巻き戻して見返すと、2頭が並んだところで、首の上げ下げでステイが勝っていたのがようやく判別できた。


確かに素晴らしいステイのレース振りだったが、先着できたこと自体は幸運そのものだった。そしてこの結果はそのまま額面どおり、「世界最強馬」を負かした、としてよいものなのか?ファンタスティックライトはこの年の緒戦であり、本番前の前哨戦かもしれないし、去年ほどの力はもはや残っていないのかもしれない。ひょっとしたら、相手を甘く見ていたかもしれないし、負けてもいいと軽く考えていたのかも知れない。そんなことが頭の中を駆け巡り始める。レースシーンを巻き戻しては、同じことを考え、また巻き戻しては、ぐるぐるぐるぐる・・・・。


いつの間にか、テープを再生にしたまま上の空。ショータはこのレースが、どうしてGUなのか、どうしてGTじゃないのか、もう納得がいかなくなってしまっていた。メインの「ドバイワールドカップ」で4歳牝馬トゥザビクトリーが2着の快挙を成し遂げ、奇跡の度合いとしてはこちらが上なのかも知れないが、もう気にも留まらない。こうして、中東の砂漠の夜の夢の祭典は、部屋の中の砂嵐へと埋もれて、やがて消えていった。






翌日夜になって、マチコに電話。ビデオを宅配便で泊り込み先の旅館へ送った旨を伝えた。


「最後は届き切れないかと思ったら、首の上げ下げで勝ってやがった。」


「あはは、さすがあたしのステイね。ごほうびしてあげたくなっちゃった。」


彼女は何かプレゼントでも思いついたようだが、詳細は「うふふ、ないしょ」と教えてくれなかった。仲居の彼女にとっては、夜は仕事の時間。合間の電話は長くできず、次は宝塚記念だよ、と再会の見通しを確認し合ってすぐに終えた。






ちなみにこの「ドバイシーマクラシック」というレース、賞金はそのまま、翌年から国際GTに昇格されたことは、全くの余談である。
50投稿者:777  投稿日:2009年07月20日(月) 18時33分20秒

「ステイゴールド女」 第八話
テーマ:小説(競馬)

第八話「ムチ」


「今度ね、群馬の乗馬クラブで働くことになったんだ。」


半年振りの再会の冒頭、いきなり、そして楽しそうにマチコはこんなことを告げた。温泉旅館の仲居はもう辞めたのだという。


「やっぱりあたし、お馬さん好きだし。」


この人の動機はいつも単純だ。素直というべきなのか、直感に正直とでもいうのか。深く考え込んでいるところはとても想像もできないが、その割には行動力のあることをやらかす。そういや、まだ会社にいた頃、夏休みに自転車で北海道の牧場巡りをしたこともあるって言ってたっけ。いちいち、どうしてと聞く気にもなれず、ショータはただ感心するばかりだ。


ステイゴールドの帰国第一戦、宝塚記念では、先行から会心の抜け出しを成功させたメイショウドトウが、仕掛けにもたついたテイエムオペラオーを出し抜いて、遂に念願のGT勝利を達成した。直線勝負になったこともあり、ステイゴールドは4着。遠征帰りはまあこんなものかと、いきなり世界最強馬へ変貌したわけではないステイを確認して、ショータは秋の本格的なローテーションに期待しなおした。






2001年秋、ステイゴールド最後の秋。緒戦はいつもどおり京都大賞典(GU)からだった。休養明けのレースはいつもどおりだろうと、テイエムオペラオーやナリタトップロードらの載っている出馬表を見てから、3着あたりに滑り込む様子をイメージして、一人で競馬場にきているショータは何も心配していなかった。


だから、異変に気がつくのが遅れた。ふと京都を実況中継している場内テレビを見上げると、もう直線に入ったあとで、ナリタトップロードをかわしてステイゴールドが先頭に立っている。オペラ、トップの2頭が巻き返してくるはずだという期待が、そのとおりになっても、頑として先頭を譲らないステイに、また徐々に裏切られていく。後藤騎手が最後の右ムチを入れ、さらに少しだけ伸びて、まさかを確信にさせたのは、しかしその瞬間だけだった。伸びた方向が左にヨレて、1馬身未満の差で追いかけていたトップロードの正面に踊り出てしまった。接触・・・?明らかな進路妨害に審議の心配をする間もなく、脚が絡まったのかトップロードがひどく前のめりになり、渡辺騎手が大きく投げ出された。大丈夫だろうか・・・。そのままゴール。気まずそうに、ステイ、オペラの順にゴール。


やってくれた、これは伝説になるだろう。あの2頭を直線でねじ伏せるというフェアな栄光を犠牲にしてまで、ステイが「伝説」を勝ち取った瞬間だった。やがてレース結果が発表され、ステイゴールド失格。ショータは、伝説にふさわしい結果だと正義感からそう考え、一番手に入線したという記録に残らなくなった結果を見つめていた自分を誇りに思った。諦めたのではない、いつも以上にもどかしく感じながら、そう思ったのだった。


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