神霊はVirtuosoに宿る [音楽]
1投稿者:777  投稿日:2009年03月15日(日) 14時09分12秒

神霊は Virtuoso に宿る
http://www.amezor.to/gamb/090131110022.html

日本人技術者の執念
http://www.amezor.to/gamb/090128231849.html

の続編です.

2投稿者:詐欺師_大川隆法と極悪カルト_幸福の科学の悪事を暴く  投稿日:2009年03月15日(日) 14時09分45秒

幸福の科学の正体
http://www.amezor.to/gamb/090209121114.html

から引っ越してきました.
3投稿者:777  投稿日:2009年07月21日(火) 08時25分08秒

カール・シューリヒト

ドイツの名指揮者カール・シューリヒトの音楽を愛好する人のための掲示板です。

http://8621.teacup.com/toshiharu/bbs
4投稿者:777  投稿日:2009年07月21日(火) 08時30分04秒

シューリヒト・シェリング・スイスロマンド管によるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が、なんとネットで聴く事が出来るようです。
http://www.henrykszeryng.net/en/main.php?page=audio_radio_broadcasts
5投稿者:カペー弦楽四重奏団  投稿日:2009年10月11日(日) 18時36分55秒

カペー弦楽四重奏団の素晴らしさについては、既に語り尽くされてをり、ここで改めて申し上げることは、実は何もない。ましてディスコグラフィーなど全12曲の録音しかないのだから、作ること自体意味がない。だから、これは私なりのカペーSQへのオマージュであつて、それ以上の何物でもないのだ。

 弦楽四重奏団の在り方は大きく分けて2つに分類出来る。一つはカペー、レナー、ブッシュ、ウィーン・コンツェルトハウスなどの第1ヴァイオリン主導型。これに対してブダペスト、バリリ、スメタナ、ボロディン、アルバン・ベルクなどはアンサンブル重視型と云へる。後者の第1ヴァイオリン奏者が弱いと云ふのではない。突出してゐないのである。前者の場合、魅力の殆どが第1ヴァイオリン奏者の藝術性にあり、四重奏団の性格を決定してゐる。しかし、近年はアンサンブル重視の団体が殆どであり、特に合奏能力の向上は目覚ましく、4つの楽器が見事に融合し、調和を保つた演奏でなければ、弦楽四重奏団として一流と見なされない。実のところ、第1ヴァイオリン主導型の団体は絶滅したと云つても過言ではないのだ。従つて、カペーSQなどの演奏を現在の耳で聴くと、アンサンブルに埋没しない自在な節回しがあり、却つて新鮮である。しかし、反面、団体としての均衡を欠く嫌ひはある。カペーSQにおいて、ヴィオラ奏者には余り魅力を感じない。チェロ奏者も無難と云ふ程度だ。一方、第2ヴァイオリンのエウィットが傑出してゐる。カペーとの対話も互角に行なはれ、実に達者である。大概、第2ヴァイオリンの聴き映えがしない団体の多い中、カペーSQを聴く喜びはヴァイオリン2挺の銀糸のやうな気品ある絡み合ひにある。とは云へ、各奏者はカペーの音楽に見事に収斂され、ひとつの藝術として完成してゐるので、荒を探すのは止そう。


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 品格があり聡明な演奏をすると一般的に思はれ勝ちなカペー弦楽四重奏団だが、同時期に活躍した四重奏団の録音を聴くと、意外な点に気が付く。カペーSQの演奏を特徴付けるのはノン・ヴィブラートとポルタメントである。カペーSQの演奏は、同世代或は先輩格の四重奏団―ロゼーSQ、クリングラーSQ、ボヘミアSQらと、これらの点で共通する。そして、第1次世界大戦を境に勃興し、カペーSQの後塵を拝してゐた四重奏団―レナーSQ、ブッシュSQ、ブダペストSQの各団体がヴィブラート・トーンを基調とするのと、大きな相違点を持つ。しかも、カペーのポルタメントは旧式で、時代を感じる。ポルタメントを甘くかける印象の強いレナーも、カペーとは世代が違ふことが聴きとれる。ここで、最も藝術的なポルタメントを使用したクライスラーの特徴を例に挙げることで、ポルタメントの様式における相違点を検証したい。クライスラーの奥義は3点ある。第1に、必ずしも音の跳躍―即ち運指法の都合―でポルタメントを使はない。云ひ換へれば、指使ひを変へないでも弾けるパッセージであらうとも、感興の為にポルタメントを使用する。第2に、音から音への移行過程は最初が緩やかで、最後になるほど速く行なはれる。第3に、フレーズの変わり目が同じ音のままの場合、敢てポジションを変へて音色を変へる。この際に同一音の連続にも関わらず、ポルタメントが入ることになる。このクライスラーの特徴は、ティボー、エルマンそしてレナーにも概ね当て嵌まる。これに反してカペーはポルタメントの使用箇所に運指の都合が見られ、何よりも移行過程の速度が均一である。カペーの左手による表現はロゼーやマルトーと云つた旧派と同じ音楽様式に根付いてゐるのだ。

 しかし、電気録音初期に登場したカペーSQの録音が、旧派の名団体のみならず当時最大の人気を誇つたレナーSQの株を奪ひ尽くした理由は、偏にボウイングの妙技による。1910年以前に記録されたヴァイオリニストの録音を聴くと、弓を押し当てた寸詰まりの音、頻繁な弓の返しが聴かれ、時代を感じさせる。ところが、カペーのボウイングからは、響きが澄み渡るやうに程よく力が抜けてをり、だからといつて空気を含んだ浮ついた音にはなつてゐない。凛と張つたアーティキュレーションは大言壮語を避け、ボウイング・スラーを用ゐることでしなやかなリズムを生み出した。『運弓のテクニック』なる著作を残したカペーは、エネスクやティボーと並ぶボウイングの大家である。彼らの共通点はパルラント奏法と云ふ朗読調のボウイングを会得してゐることにある。多かれ少なかれ、あらゆるヴァイオリニストは歌ふことに心を砕くが、歌はフレーズを描くために強い呼吸を必要とし、リズムの躍動を糧とする。だから、ためらひや沈思や侘び寂びを表現するには必ずしも適当ではない。これらの表現は、繊細な呼吸、慎ましい抑揚、語るやうに送られる運弓法によつて初めて可能になるのだ。カペーが本格的に独奏者としての活動に乗り出さず、室内楽に没頭したことは同時期のヴァイオリニストにとつては幸運なことであつたらう。出来ることならカペーにはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの録音を残して欲しかつた。

 カペーSQはノン・ヴィブラートとポルタメントを演奏様式とする旧派の一面も持つが、ボウイングに革新的な表現力を持たせたカペーの元に一致団結した名四重奏団である。演奏は、清明で飄々としてゐるが、高潔で峻厳な孤高の世界を呈してゐる。それは丁度雪舟の山水画にも比せられよう。

6投稿者:カペー弦楽四重奏団  投稿日:2009年10月11日(日) 18時37分54秒

Biography & History of Quartet
 ルイ=リュシアン・カペーは、1873年1月8日パリの貧しい家に生まれた。15歳の時、パリ音楽院に入学、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番を初演したといふピエール・モーラン教授に師事した。1893年に満場一致の1等賞にて卒業すると、直ちに四重奏団を結成して活動を開始した。ラムルーに見出され、コンセール・ラムルー管弦楽団のコンサート・マスターを勤める。1903年、ベートーヴェンの協奏曲で大成功を収め、独奏者としても名を馳せた。1904年には、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲連続演奏会を行ひ大反響となつた。欧州各国への演奏旅行は絶賛を博したが、1911年にボンで開催されたベートーヴェン音楽祭にはフランス代表で参加した。1907年よりパリ音楽院の室内楽科教授、1924年からはヴァイオリン科の教授も勤めた。1923年以降毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏を行なつた。1928年12月18日パリで急逝した。医師の誤診による為といふ。作曲も手掛け、作品に弦楽四重奏曲やヴァイオリン・ソナタなどがある。

 カペーを除く四重奏団員の変遷は次の通りで、括弧内は順に第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロである。第1次(1893〜99、ジロン、アンリ・カサドシュ、カルカネード)、第2次(1903〜10、アンドレ・トゥーレ、アンリ・カサドシュ、ルイ・アッセルマン)、第3次(1910〜14、モーリス・エウィット、アンリ・カサドシュ、マルセル・カサドシュ)、第4次(1919〜28、モーリス・エウィット、アンリ・ブノア、カミーユ・ドゥロベール)。


Discography
1 1928/6/12? Columbia Debussy String Quartet g-moll,Op.10
2 1928/6/14-15 Columbia Beethoven String Quartet No.7 F-dur,Op.59-1"Rasumowsky"
3 1928/6/15-19 Columbia Ravel String Quartet F-dur
4 1928/6/19-21 Columbia Schubert String Quartet No.14 d-moll,D.810"Der Tod und das Mädchen"
5 1928/6/21-22 Columbia Beethoven String Quartet No.10 Es-dur,Op.74"Harfe"
6 1928/10/3 Columbia Schumann String Quartet No.1 a-moll,Op.41-1
7 1928/10/? Columbia Haydn String Quartet D-dur,Op.64-5"Lerchen"
8 1928/10/? Columbia Beethoven String Quartet No.5 A-dur,Op.18-5
9 1928/10/5-8 Columbia Beethoven String Quartet No.14 cis-moll,Op.131
10 1928/10/8-10 Columbia Beethoven String Quartet No.15 a-moll,Op.132
11 1928/10/11 Columbia Mozart String Quartet No.19 C-dur,K.465"Dissonanzen"
12 1928/10/20? Columbia Franck Piano Quintet f-moll with Marcel Ciampi(p)
7投稿者:カペー弦楽四重奏団  投稿日:2009年10月11日(日) 18時38分05秒

Biography & History of Quartet

 ルイ=リュシアン・カペーは、1873年1月8日パリの貧しい家に生まれた。15歳の時、パリ音楽院に入学、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番を初演したといふピエール・モーラン教授に師事した。1893年に満場一致の1等賞にて卒業すると、直ちに四重奏団を結成して活動を開始した。ラムルーに見出され、コンセール・ラムルー管弦楽団のコンサート・マスターを勤める。1903年、ベートーヴェンの協奏曲で大成功を収め、独奏者としても名を馳せた。1904年には、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲連続演奏会を行ひ大反響となつた。欧州各国への演奏旅行は絶賛を博したが、1911年にボンで開催されたベートーヴェン音楽祭にはフランス代表で参加した。1907年よりパリ音楽院の室内楽科教授、1924年からはヴァイオリン科の教授も勤めた。1923年以降毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏を行なつた。1928年12月18日パリで急逝した。医師の誤診による為といふ。作曲も手掛け、作品に弦楽四重奏曲やヴァイオリン・ソナタなどがある。

 カペーを除く四重奏団員の変遷は次の通りで、括弧内は順に第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロである。第1次(1893〜99、ジロン、アンリ・カサドシュ、カルカネード)、第2次(1903〜10、アンドレ・トゥーレ、アンリ・カサドシュ、ルイ・アッセルマン)、第3次(1910〜14、モーリス・エウィット、アンリ・カサドシュ、マルセル・カサドシュ)、第4次(1919〜28、モーリス・エウィット、アンリ・ブノア、カミーユ・ドゥロベール)。


Discography
1 1928/6/12? Columbia Debussy String Quartet g-moll,Op.10
2 1928/6/14-15 Columbia Beethoven String Quartet No.7 F-dur,Op.59-1"Rasumowsky"
3 1928/6/15-19 Columbia Ravel String Quartet F-dur
4 1928/6/19-21 Columbia Schubert String Quartet No.14 d-moll,D.810"Der Tod und das Mädchen"
5 1928/6/21-22 Columbia Beethoven String Quartet No.10 Es-dur,Op.74"Harfe"
6 1928/10/3 Columbia Schumann String Quartet No.1 a-moll,Op.41-1
7 1928/10/? Columbia Haydn String Quartet D-dur,Op.64-5"Lerchen"
8 1928/10/? Columbia Beethoven String Quartet No.5 A-dur,Op.18-5
9 1928/10/5-8 Columbia Beethoven String Quartet No.14 cis-moll,Op.131
10 1928/10/8-10 Columbia Beethoven String Quartet No.15 a-moll,Op.132
11 1928/10/11 Columbia Mozart String Quartet No.19 C-dur,K.465"Dissonanzen"
12 1928/10/20? Columbia Franck Piano Quintet f-moll with Marcel Ciampi(p)
8投稿者:カペー弦楽四重奏団  投稿日:2009年10月11日(日) 18時39分03秒

カペー弦楽四重奏団の録音は上記12曲しかない。録音は1928年の6月と10月のみで、同年12月にはカペーが急逝して仕舞つた。まさに一期一会の記録なのである。録音情報に不備が多く、テイク数が確認出来なかつたが、恐らく取り直しなしの一発録音であらう。音程の狂ひや弓の乱れなどが聴き取れるし、何よりもライヴ録音のやうな感興とむらがあるからだ。

 カペーSQを語るのにベートーヴェンから始めなくては申し訳が立たない。それも後期2作品から始めるのが礼儀といふものだらう。古来より、第15番はカペーSQの最高傑作とされてをり、現在に至るまでこの演奏を超えたものは一切ないと断言出来る。分けても第3楽章、ベートーヴェンが「病から癒えた者の神性への聖なる感謝の歌」と書き添へた曲を、カペーSQのやうに神妙に演奏したものを知らない。ノン・ヴィブラートによる響きの神々しさは如何ばかりであらう。感謝の歌では飛翔する精神が弧を描く 。第2ヴァイオリンのエウィットが奏でる憧れに、カペーの清らかなトリルが応へ、スタッカートの軽妙洒脱な戯れが福音を語る。音楽が静かに下つて行くパッセージで、音色が侘び寂びを加へて行く様は至藝と云ひたい。好敵手ブッシュSQも相当の演奏をしてゐるが、カペーSQに比べれば青二才だ。第1楽章では、哀切極まりない音楽を感傷に貶めず、一篇の叙事詩のやうな風格を持たせてゐる。真一文字に悲劇に対峙するカペーのソロが印象的な第4楽章。緊張の糸が持続する天晴な合奏を聴かせる終楽章。何れも極上の名演。

 初演者であるモーラン直伝による第14番の演奏をカペーSQの頂点とする方は多いだらう。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の頂であるこの曲の神髄に迫ることは、19世紀においては不可能とされ、名曲かどうかも議論にされたやうな曲である。諦観、静謐、彼岸と云つた世界を音楽に持ち込み、未だに独特の位置を保持し続ける。カペーの弾く冒頭を聴いて、精神が沈思しない者は立ち去るがよい。これから始まる儀式には参列出来まいから。この神韻縹渺としたパルラント・アーティキュレーションは空前絶後の至藝であり、変奏曲形式による第4楽章に至つては天衣無縫の奥義を示す。終楽章は一筆書きのやうな閃きに充ちた名演である。第14番はブッシュSQが霊感あらたかな名演を成し遂げてゐる。ドイツ人の手堅さと熱情が渾然となった大伽藍のやうな楷書体の演奏で、フランス人カペーの力の抜け切つた草書体による絹糸のやうな演奏とは対照的である。全体に隙がなく立派なのはブッシュSQの方だ。しかし、断言しよう。藝格としてはカペーが一枚上手で、何人も及びの付かない美しい瞬間がある。

 第5番は清楚で若やいだ演奏であり、後期作品2曲に次いで仕上がりが良い。甘さと低徊さを排したストイックな歌が、青春の芳しい詩情をもたらす。繊細でさり気ない明暗の移ろひが取り分け美しい。この曲の表現として、これ以上適つたものはないだらう。「ラズモフスキー」はヴィブラートを抑制したトーンと厳しいスフォルツァンドによつて大味になるのを避けてゐる。緊密なアンサンブルと内燃する力強さが素晴らしい。特に第3楽章のパルラント奏法による沈痛な趣が甚く心に残る。しかし、全体的に線が細く、音が軽く聴こえる嫌ひがある。「ハープ」は引き締まつた造形と柔らかなフレージングが魅力で、特に第1楽章の清廉な味はひは絶品である。第2楽章は珍しく甘美で、時代を感じさせる。第3楽章と第4楽章はやや平凡な仕上がりだ。この曲にもっと豊かさを求める人は多いだらう。カペーSQの演奏は脂が少ない。

 ハイドンは天下一品の名演である。冒頭におけるカペーのボウイングには畏敬の念を禁じ得ない。ヴィブラートの誘惑を潔癖に遠ざけ、凛とした運弓で清明な音を創る。非常に個性的な奏法だが、繰り返し聴き、他の団体の演奏と比べて聴くと、カペーの凄さが諒解出来るだらう。第2楽章は細部の彫りが深く、神経が行き届いた名演である。終楽章の目にも止まらぬ軽快なアンサンブルに、上手ひなどといふのも烏滸がましい。この演奏に心躍らぬ者がゐれば、凡そ音楽には無縁の者であらう。モーツァルトも立派な演奏であるが、カペーの特徴である毅然と張つたボウイングが後退してをり、柔和に歌ふことに主眼を置いた甘美な演奏である。カペーならではの高潔で気丈な演奏を期待したのだが、終楽章と第3楽章のトリオを除いては感銘が希薄であつた。しかし、カペーSQ以上の演奏を挙げることが困難なのも事実だ。

 シューベルトとシューマンは、ドイツ系の団体とは異なる厳しいアーティキュレーションと制御されたヴィブラートによる辛口の演奏である。シューベルトは尋常ならざぬ演奏で、仄暗く甘いロマンティシズムを期待してはならない。勿体振つた表情は皆無で、快速のテンポで畳み掛けるやうに捌いて行く。フレーズの最後で掛けられる常套的なルバートも一切ない。硬派だが、雑な演奏だと感じる方もゐるだらう。しかし、これは焦燥感に溢れた、絶望的な熱病を想起させる見事な解釈であると感じる。録音される機会が少ないシューマンに関しては、カペーSQを越える演奏があるとは到底思へない。冒頭から喪失感が漂ひ、悲劇の回顧と夢想への逃避が綾なされてゐるが、軟弱な甘さはない。第2楽章は疾走するギャロップで、カペーの弓捌きが閃光のやうに輝く。他の演奏が聴けなくなつて仕舞ふ逸品である。第3楽章ではヴィブラートを抑制した渋い音と、音型の最高音になる前に始まるディミュヌエンドによつて、侘しい詩情が惻々と胸に迫る。終楽章は情熱的なアジタート、自在なアゴーギクと多彩なアーティキュレーションが素晴らしい。コーダ前のノン・ヴィブラートによるオルガン・トーンの神々しさは追随を許さない。

9投稿者:カペー弦楽四重奏団  投稿日:2009年10月11日(日) 18時39分45秒

フランクでは、シャンピのピアノが独創性と詩情においてコルトーやフランソワに及ばないとは云へ、カペーSQの合奏はフランクの神髄に迫つた究極の演奏と云へる。冒頭の張り詰めたカペーのボウイングから厳しく屹立した音楽が刻み込まれる。ふと力が抜ける際の絶妙さは比類がない。終楽章コーダで循環主題が地の底から湧き上がる瞬間に見せるカペーの霊感には凄みがある。

 ドビュッシーは今もつて最高の演奏ではないか。カペーSQの演奏はドビュッシーが生きてゐた時代の空気を吸つた強みがある。よくあるやうに印象派の絵画を意識して、輪郭をぼかした演奏ではない。第1楽章は剛毅な芯が通い、アルカイックな趣に充ちた名演。陰影と抑揚が自在で瀟洒この上ない。第3楽章におけるノン・ヴィブラートの神聖な光沢は類例を見ない。月に捧げる音楽があるとすれば、凡そこのやうなものだらう。半ばでカペーが瞬間的に見せるエスプレッシーヴォは狂ほしい詩人の涙である。ラヴェルも高次元の演奏である。第1楽章は時代がかつたポルタメントが冒頭から妖艶な息吹を掛けるが、次第に鬱屈した情念の絡み合ひとなり頂点を築く。躊躇ひ勝ちに始まる再現部は官能的な倦怠に充ちてゐる。アンサンブルの試金石のやうな第2楽章では緊張が漲つてゐる。第3楽章で織り成す不安気な綾も絶妙だ。神々しい原初的な響きで魅了するドビュッシー、近代人の憂鬱を感じさせるラヴェル、と両曲に対するカペーの読みは実に深い。全音階を主体とした楽曲であるドビュッシーでは音楽を解放させ、半音階を主体とした楽曲であるラヴェルでは音楽を緊縛する。実はこれとは逆の演奏が意外と多い。演奏効果の上がるラヴェルでは輝かしく豪奢に演奏され、ドビュッシーでは繊細なニュアンスを作らうとして軟弱に演奏される場合が殆どではないか。


カペー弦楽四重奏団の残した録音は全て神品であり、各々の曲の最も優れた演奏であると云つても過言ではない。録音が貧しいことに頓着しない方なら皆そうおっしゃるだらう。しかし、それでは贔屓の引き倒しだ。カペーSQの最高の遺産は、何と云つてもベートーヴェンの後期四重奏曲であり、第1に第15番を、第2に第14番を推す。そして、御家藝である近代フランスの作品に止めを刺す。第1にドビュッシーを、第2にラヴェルを推す。次いで、カペーの妙技を讃へる為にハイドンを加へておこう。更に比類なきシューマンも忘れてはならない。これ以上挙げることは全てを挙げることに繋がるから止すが、個人的にはシューベルトに愛顧を感じる。

 カペー弦楽四重奏団のCDは、国内では東芝EMI、新星堂から発売されてゐたが、Opus蔵から優れた復刻が出たので当分はこれを第一に推そう。海外では、Biddulphからマーストンによる良質な復刻が出てゐたが、現在では入手困難である。この他、Chaconneから出てゐた箱物が、実在感のある音質で、霞がかつた印象ばかりあるカペーSQの復刻から芯の強い音を聴かせてくれた。しかし、これも入手困難だ。

http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html
10投稿者:「バックハウス最後の演奏会」  投稿日:2009年11月21日(土) 20時48分49秒

 バックハウス(pf)
 デッカ 1969年ライヴ POCL-9941/2


ヴィルヘルム・バックハウスの残した一連の録音は、かつて私も夢中になって聴いた時期があったのですが、ここ数年ほどは御無沙汰でした。

それが、先週リリースされたザルツブルグでの協奏曲ライヴを耳にして、何だか彼のCDを無性に聴いてみたくなりました。それでまずブラームスの第2協奏曲のスタジオ盤を聴き、昨日それについて書いたところですが、今日も引き続きベートーヴェンのソナタや協奏曲を中心に色々と聴いてみました。

そして、これら一連の録音のなかでも、ひときわ趣きの深い演奏として、聴いていて気持ちが強く揺さぶられたのが、この「バックハウス最後の演奏会」と題されたライヴ盤です。

このCDは1997年にリリースされたもので、1969年6月26日と28日の2日間に渡り、オーストリアのオシアッハにある修道院で開催されたバックハウスのピアノコンサートの演奏がライヴ収録されています。収録曲は以下の通りです。

@ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」
Aシューベルト 楽興の時
Bモーツァルト ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」
Cシューベルト 即興曲作品142の2
以上、6月26日のコンサートより
Dベートーヴェン ピアノ・ソナタ第18番(第3楽章まで)
Eシューマン 幻想小曲集「夕べに」と「なぜに?」
Fシューベルト 即興曲作品142の2
以上、6月28日のコンサートより

その28日のコンサートにおいてベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番を弾いている途中、バックハウスは心臓発作を起こしてしまい、演奏も第3楽章で中断を余儀なくされるのですが、控え室で休憩の後にステージに立ち帰り、終楽章の代わりにシューマンの幻想小曲集「夕べに」と「なぜに?」、そしてシューベルトの即興曲作品142の2を演奏してコンサートを終えたのでした。そして、その時の心臓発作がもとで、28日のコンサートから7日後の7月5日にバックハウスは永眠してしまいます。

おそらく誰が聴いても思うように、バックハウスのピアニズムには他のピアニストの誰とも似ていない、まさに独特のタッチの感触が有りますね。その理由として、彼はピアノを美しく鳴らそうという発想を優先しないから、ということがよく言われていて、私も多分そうだろうと思うのですが、いずれにしても彼のピアニズムというのは、特にベートーヴェンの「熱情」ソナタを頂点として、時に法外なまでの表出力をもって、恐ろしいまでの凄味を発する演奏を披歴します。しかし、敢えて彼のピアニズムに欠けている点を指摘するならば、それはおそらく、ある種の感覚的な美しさであって、これは美しく鳴らそうという発想を優先しない以上、必然的にそうなります。

だから聴き手も、そういう陶酔的な音色の美しさなどは、彼のピアニズムには過分に求めないで、その代わりもっと掛け替えのないものを求めるのですが、ともかく以上のようなスタンスでバックハウスのピアノに耳を傾ける聴き手は、おそらく本CDの上記EとFの演奏を聴いて、言い知れない感銘を覚えずにはいられないのではないでしょうか。というのも、上記EとFの演奏は恐ろしいまでに美しいからです。

それも、人工的に設計したところで表出するのが不可能ではないかというくらい、限りなくピュアで、透徹して、澄み切った美しさを湛えたピアノの響き、、、抜けるようなピアノの音色の透明感、、

これは作品にストイックに没入するというよりも、むしろピアニストとしての何か超然とした境地に一人佇むような、突き抜けた趣きがあり、およそ人間がこのようなピアノを奏でられるということに、聴いていて畏敬の念すら湧いてくる、そんな演奏です。

このCDに聴かれるバックハウスの「白鳥の歌」は、おそらく彼の命の最後の光芒が生み出した、聴き手に途轍もない感銘を呼び起す感動的名演であって、バックハウスのディスコグラフィにおいても特筆されるべき録音だと思うのですが、もう久しく廃盤の状態なのですね。本当にもったいないと思います。

http://clamemo.blog44.fc2.com/blog-entry-405.html
11投稿者:777  投稿日:2010年03月26日(金) 11時21分20秒

ゴーギャンは11歳から16歳までオルレアン郊外のラ・シャペル=サン=メスマ ン神学校の学生で、この学校にはオルレアン主教フェリックス・デュパンルーを教師とするカソリックの典礼の授業もあった。

デュパンルーは神学校の生徒たちの心にキリスト教の教理問答を植え付け、その後の人生に正しいキリスト教義の霊的な影響を与えようと試みた。

この教理における3つの基本的な問答は

「人間はどこから来たのか (Where does humanity come from?)、

「どこへ行こうとするのか (Where is it going to?)」、

「人間はどうやって進歩していくのか (How does humanity proceed?)」であった。

ゴーギャンは後半生にキリスト教権に対して猛反発するよう
になるが、デュパンルーが教え込んだこれらのキリスト教教理問答はゴーギャンから離れることはなかったと言える。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、@wiki
まさしくゴーギャンは、神学校時の刷り込み(記憶)と、進歩より、何者であるかの
煩悶(新しく受け入れた知識)の混合を提出したのかもしれません。
あるいは、捨て去りきっていたはずの教理が、過酷な生の果ての遺作めいた作を描き
上げて深い所からの泡のように浮いてきたのかもしれないし、浮かんだことが制作の
契機になったのかもしれないし、
ゴーギャン本人にしか、わからないことです。(上記の引用の信憑も不明)。
鑑賞者は、タイトルも含めた総体として、おのおの眺め、受け取る。
その感受もおのおの異なる。
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/L1/210819.htm
12投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 11時30分01秒
フェリックス・ワインガルトナー(1863〜1942)  

1. ワインガルトナーとベートーベン

 今ではベートーベンの作品といえば、たいへん膨大な録音があり、ワインガルトナーの演奏が省みられることは少ないが、SP時代のファンの方にいわせると、「ベートーベンといえばまずワインガルトナー」という感じで、ワインガルトナーはベートーベンのエキスパートと考えられていたらしい。特に、彼の『ベートーベン交響曲全集』は、当時非常に人気があったという。最近、東芝EMIやフランスのDANTEなどがこの全集の復刻盤を作製したので、若いファンの方の中にもそれをお聴きになった方も少なくないだろう。特にウィーン・フィルとの『第9』は、東芝EMIによってかなり丁寧に復刻され、全集とは別に単独でも発売されているので手に入り易い。また、『第1番』、『英雄』は、先頃、新星堂が『ウィーン・フィルの栄光』というシリーズの一環としても復刻したので、それを入手された方もいるかもしれない。オーストリアのpreiserもウィーン・フィル創立150年を記念したシリーズで『英雄』と『第8番』を復刻している。

 しかし、これらの復刻盤を買っても、正直言ってどこが良いいのかピンとこなかった、という人はいないだろうか? あるいは、もう50年以上も前の録音だし、この程度で仕方ないと思ってあきらめてしまっただろうか? 

 ワインガルトナーは、シャルク(1863-1931)、R・シュトラウス(1864-1949)などとほぼ同い年。活躍した時代でいえば、マーラー(1860-1911)、アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)、カール・ムック(1859-1940)などとも同じ時代の指揮者と見なしてよい。この世代の指揮者の中で、その特徴を最も把握しにくいのは、ワインガルトナーとR・シュトラウスではないか、と私は考えている。この2人は、その指揮についてのスタンスがそのときそのときで微妙に揺らぐのである。すなわち、いくぶん日和見主義的なところがあり、その演奏はオーケストラに依存するところが大きい。ワインガルトナーの場合、録音で判断する限り、その演奏スタイルや完成度、そして、それから受ける印象は、ウィーン・フィルを指揮した場合と、パリ音楽院管弦楽団やロンドン交響楽団などを指揮した場合では随分違ってくる。このページでは、ワインガルトナーの録音から浮かび上がる彼の演奏の特徴、そして、それが当時の音楽界でどのように受け止められていたのか、また、その歴史的位置づけなどについて再検討してみたいと思うが、我々は、そうした点に充分注意しながら、できるだけ多くの資料から指揮者ワインガルトナーの諸相をそれぞれ抽出し、投影してみなければいけないだろう。

 

 まず、彼の『ベートーベン交響曲全集』が成立するまでの歴史的背景について述べてみよう。歴史上はじめての本格的な交響曲の全曲録音は、1913年のニキシュ/ベルリン・フィルによるベートーベン『交響曲第5番』であったといわれている。確かに、それ以前にも、ザイドラー・ウィンクラーらによって交響曲の全曲録音は行われていたが、ニキシュの『第5番』は、人気アーティストを迎えての歴史上記念すべきイヴェントだったのである。ところで、ニキシュは、ライプツィヒなど数カ所でベートーベンの交響曲の連続演奏会を行って、ベートーベン演奏において充分な実績を持っていたし、当時まだやっと夜明けの時代を迎えたに過ぎないという状態のレコード録音に対しても積極的であったというから、彼がもうあと10年長生きしていたら、きっと『第5番』以外の交響曲も録音したにちがいない。しかし、残念ながらニキシュはその機会がないままにこの世を去った。1920年を過ぎると、未だアコースティック録音とはいえ、録音技術はさらにめざましく発展し、合唱を伴った大掛かりな作品も録音の対象として取り扱われるようになった。ワインガルトナーによるベートーベン『第9』(ロンドン・フィルとの旧盤)やオスカー・フリートによるマーラーの『復活』などはこの時代における快挙であった。そして、『第9』の録音を達成したワインガルトナーは、マイクロフォンと増幅器を用いた本格的な電気録音時代の到来とともに、さらに次なる一大事業を成し遂げる。それが、単独の指揮者としては史上初となった『ベートーベン交響曲全集』である。技術の壁が取り払われるのを待って、ついに顕れるべくして顕れた録音が、このワインガルトナーの『ベートーベン交響曲全集』であったといえよう。この一大事業は、しかし、誰かがいつかはやらなければならない『約束された課題』であった。ベートーベンの死後、十九世紀を通じて、彼の生涯と作品は、ある一人の作曲家という領域をはるかに越えて、ほとんど神聖な領域にまで美化されていた。(このあまりにも限度を越えた美化、偶像化の詳細は渡辺 裕氏による『聴衆の誕生 ポスト・モダン時代の音楽文化』(春秋社、1989年)という本の中に非常におもしろく書かれている。)そのベートーベンの作品の中でも、もっとも主要な位置を占める9曲の交響曲をすべて取り上げるということは、十九世紀の影響がまだ色濃く残っていた当時、現代からは想像もつかないくらい大きな栄誉だったのではないか、と思われるのである。問題は、それを誰がまずやるかということであった。

13投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 11時31分40秒

ワインガルトナーは、かなり学者的な側面を持った指揮者であった。彼には、『 Ratschlae ge Auffuerungen Klassischer Symphonien.(古典派の交響曲の演奏に対する提言)』という著書があり、その中でベートーベン演奏について論じている。ここで、彼は、ベートーベン時代との楽器の違いの問題、オーケストラの規模の問題、テンポやメトロノーム記号の解釈の問題などについて論じている。また、彼は、ベートーベンのスコアの改訂でも多くの業績を残している。私の記憶では、日本のいずれかの出版社の『第9』合唱用スコアには、今なお何箇所かワインガルトナー校訂による、シャープの削除などが記されていたような気がする。いずれにせよ、彼のベートーベン解釈には音楽学的な論理的背景があり、それを最大の武器にして当時のさまざまな解釈と闘っていた。ことに、ビューローやマーラーの生前には、彼らのワーグナーの流れを汲んだベートーベン解釈に真っ向から敵意を表わしていたのである。

 ワインガルトナーは、こうした学問の領域で頭角を表すと共に、パリやロンドン、マインツ、ウィーンなどでベートーベンの9つの交響曲の連続演奏会を実際に指揮し、ベートーベンのエキスパートとして当時揺るぎない地位を確立していた。したがって、『ベートーベン交響曲全集』録音にあたって、ワインガルトナーに白羽の矢が立ったのは当然の成り行きだったのかも知れない。

 さて、実際のワインガルトナーの演奏はどのようなものであったのだろうか? 

 彼の残したベートーベンの中で、もっとも名高いのはやはり『第9』だろう。冒頭に書いたように、今ではワインガルトナーの演奏が省みられることは少ないが、宇野功芳氏などのように、ワインガルトナーの『第9』をこの曲の代表的な名演盤として推薦している評論家の方もいないではない。この『第9』や『第8番』、『第1番』などでは、ウィーン・フィルと組んだということも成功した理由のひとつかもしれない。これらの録音の特徴をあえて一言でいうとするならば、それは『円満』という言葉だろうか?

 ワインガルトナーの『第9』は、フルトヴェングラーをはじめとする、もっとおどろおどろしい、荘大な『第9』とはまるで対照的な音楽である。ワインガルトナーの場合、音がもっと明るく、透明で、さらに、やわらかみや温かみが感じられる。それは、低音を強調し過ぎず、木管楽器の音をより表面に出していくという彼の音作りによるのだろう。また、彼のとるテンポは、決して杓子定規なものではないけれども、さらさらとして淀むところがない。特に第3楽章など、ノン・ビブラートでさらさらと速いテンポで流していくし、ポルタメントをかけることはあっても、メンゲルベルクのように粘ったり、官能的になったりしないので、解釈全体が非常に明晰で、清澄な美しさを持っているのである。こうしたワインガルトナーの解釈は、巨匠たちの威風堂々たる『第9』に比べると、やや物足りないと感じる人もいるかも知れない。しかし、何も、現在でもなお支配的なワーグナー流のあの『第9』の解釈だけが『第9』ではない。この交響曲がベートーベンの晩年の作品群に含まれることを思いながら、先入観を捨ててこの曲のスコアに向かうと、こうした清澄な美しさを持った演奏も成り立つことが理解されるはずである。たとえるなら、ワーグナー流の『荒涼とした原野に繰り広げられる大スペクタクル』ではなく、もっと風光明媚な解き放たれた世界を感じられるようになると思うのである。また、ある意味では、こうした演奏はワインガルトナーがメンデルスゾーンの流れを汲む古典的スタイルを持った指揮者の一人であったことを伺わせる演奏ともいえるかもしれない。合唱を伴う第4楽章も、そうした意味で壮大さはないが、いきいきとした輝かしい演奏である。この楽章の冒頭は、何となくしおれたような演奏だが、オーケストラもすぐに持ち直し、『抱きあえ、百万の人々よ! Seid umschlungen, Millionen! 』以降では、インスピレーションに富んだ『名人の棒さばき』を感じさせるのである。

14投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 11時34分10秒

そうした『第9』以上に、私が共感するのは『第8番』である。

 この曲はベートーベンのこの時期の交響曲としては比較的規模も小さく、明るくはつらつとしており、他の作品とはいくぶん異なるニュアンスを持っている。特に冒頭、序奏もアウフタクトもなしに、第1拍から全オーケストラのフォルテで第1主題が奏でられるというのは、ベートーベンとしても、交響曲の歴史全体を見渡してもかなり異例なことである。この開始はそうした解釈の上からも、また、演奏技術的にも、非常に指揮者泣かせな部分である。この部分を、例えば、クナッパーツブッシュやフルトヴェングラーのように、巨大に、あるいは、嵐のような勢いで演奏する解釈も成り立つし、もっと客観的にそっけなくやってしまう『現代的な』解釈も考えられなくはない。私にとって、ここの難問を最も美しく解決しているように感じられるのがワインガルトナーとウィーン・フィルの演奏なのである。この演奏で、彼らは第1音に適度な重みを持たせ、音楽を明確に開始させた後、2小節目から4小節目にわたる上行するフレーズでは、スタッカートを見事に活かし、すばらしい抑揚を聴かせているのだ。この演奏では、全曲を通じ、当時のウィーン・フィルの持ち味、とりわけ、リズムの強調、独特のグリッサンド、レガートとマルカートの明確な対比などが随所に聴き取れ、その洗練されたイントネーションは、愛らしい女性と会話しているような楽しさにさえ満ちているのである。永年にわたってこのオーケストラを指揮し続けてきたワインガルトナーであればこそ、ウィーン・フィルからこうした本来の響きを引き出すことができたのかもしれない。ワインガルトナーの一つの側面、彼とウィーン・フィルの幸せな一時代を思い起こさせる録音なのである。

 以上、ワインガルトナーの最も代表的な録音について簡単に触れた。他の録音については、後で詳しく触れるとして、ここで、彼の経歴をご紹介しよう。

 

2. 経歴

 

 フェリックス・ワインガルトナーは、1863年ユーゴスラビアの小さな町に生まれた。したがって、ワインガルトナーは、マーラーより3歳年下、シャルク(1863-1942)とは同い年である。ワインガルトナー家はオーストリア貴族の家柄であったが、彼の父親の死で一家はかなり貧しくなり、彼がまだ少年のうちに一家はオーストリアに帰国した。7歳のとき、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を見て感激したワインガルトナーは指揮者になることを決意、18歳になるとライプツィヒ音楽院に入学、カール・ライネッケらの指導を受けた。彼より4歳年上のカール・ムックも同門である。その3年後には作曲家リストに認められて門下となり、自作の歌劇『シャクンタラ』をワイマールで上演するまでになった。彼の指揮者としての活躍もめざましく、ケーニヒスベルク、ダンツィヒ、ハンブルク、マンハイムとドイツ国内の各地を歴任した後、1891年、27歳の若さでベルリン宮廷歌劇場の総監督に就任した。続く、1892年、この劇場の第二指揮者にムックが就任し、ワインガルトナーとムックは当時人気を二分していたという。1890年代のベルリンは、ワインガルトナー、ムックのほかにも、ベルリン・フィルの指揮者として、ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)やアルトゥール・ニキシュを迎え、R・シュトラウスやマーラーもたびたび指揮台に登場する(当時ハンブルク歌劇場の指揮者だったマーラーは、1895、96年と2年続けてベルリンを訪れ、ベルリン・フィルを指揮して、『交響曲第2番』の抜粋、『交響曲第1番』、『さすらう若者の歌』などを上演した。)という、華やかな音楽都市だったのである。このベルリンで、ワインガルトナーは、歌劇の指揮のみならず、交響曲をはじめとする管弦楽作品の指揮も得意としていたため、歌劇場のオーケストラと数多くの演奏会を行った。1898年から1903年には、ワインガルトナーはミュンヘンのカイム管弦楽団(現在のミュンヘン・フィル)の指揮者も兼任している。

15投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 11時36分58秒

ワインガルトナーがマーラーの後任としてウィーンへやって来たのは1908年のことであった。この年、マーラーは『ニーベルンクの指環』の新演出上演を完結しないままウィーンを去らねばならなくなった。その後任として着任したのがワインガルトナーだったのである。本来、マーラーの後任にはフェリックス・モットル(1856-1911)が就任することがほぼ決定しており、これにマーラーも同意していた。しかし、ワインガルトナーは、利害関係者どうしのいざこざに乗じて、この地位を奪い取ったようである。

 これは、マーラーのベートーベン解釈や劇場運営に反対していた保守的なアンチ・マーラー派、および、モットルの就任によるワグネリアンの隆盛を恐れたアンチ・ワグネリアンらの画策によるところだったらしい。ワインガルトナー自身、マーラーのベートーベン解釈や劇場スタイルに対し、非常な反感を抱いていた。詳しくは後で触れるが、この2人のベートーベン解釈はまったく相容れないものだったのである。マーラーが、自分こそベートーベンの最も正統な解釈者だ、といってはばからなかったのを、やはり、ベートーベン解釈では第一人者を自負していたワインガルトナーとしては、どうしても許すことができなかったのだろう。

 さて、いざ宮廷歌劇場総監督に就任すると、ワインガルトナーは、それまでマーラーが心血を注いで作り上げてきた『指環』の舞台をすべて旧態然とした別なものに変更してしまった。また、マーラーによってようやく全曲ノー・カットで上演できるようになったこれらの作品に再びカットを入れた。マーラーの発案で始められた、『フィデリオ』の第2幕、フィナーレの前に序曲『レオノーレ第3番』を演奏するならわしも、取りやめとなった。彼の最大のモットーは、「この歌劇場を元の状態に戻す」ことで、マーラーによる新しい試みはすべて剥ぎ取られ、葬り去られることになったのである。マーラーにとっては、これは余程耐えがたいことであったらしい。マーラーが舞台装置を依頼したロラーも、ワインガルトナーの方針に反発し、歌劇場を辞任してしまった。マーラーに親しく薫陶を仰いだ指揮者のひとり、オットー・クレンペラーによれば、マーラーは、ワインガルトナーについて、「ウィーンにおけるわたしの後任、ワインガルトナー氏は当然わたしをきらいだ。だが彼はワーグナーもきらいだよ。『ワルキューレ』や『ジークフリート』でカットをしているんだからね」と語ったという(P・ヘイワース編、佐藤 章訳『クレンペラーとの対談』白水社、1976年)。

 1908年から1911年までの3年間と1935年から1936年までの1年間、ワインガルトナーはウィーン宮廷歌劇場の総監督として活躍した。オペレッタの指揮をも得意としていたワインガルトナーは、コルネリウスの『バクダットの理髪師』などを宮廷歌劇場のレパートリーに取り入れたほか、1919年から1924年まで、ウィーン・フォルクスオーパーの監督も兼任していた。しかし、歌劇場での彼は、必ずしも成功したとはいえなかった。むしろ、コンサート指揮者として、ウィーン・フィルとの関係の方が長く続いた。1908年から1927年までの19年間、ワインガルトナーはウィーン・フィルの常任指揮者としてたび重なる共演を行っている。この間、彼は、ベートーベン(1916〜17年)、ブラームスおよびシューマン(1918年〜19年)の交響曲の全曲演奏を行ったほか、スイス(1917年)、ベルリン(1918年)、南米(1922年)などへ演奏旅行を行い、ウィーン・フィルの実力を世界にアピールするのに貢献した。特に、1922年の南米での公演では、ブエノスアイレスのコロン劇場で、ワーグナーの『ニーベルングの指環』が演奏された。1924年、第1回の『ウィーン・フィルハーモニー舞踏会』が行われたときも、ワインガルトナーがヨハン・シュトラウス二世の『美しき青きドナウ』を演奏した。1927年、ワインガルトナーはすでにウィーン・フィルの常任指揮者を辞任する意志を表明していたが、この年のプラハへの演奏旅行に同行し、ベートーベン没後百年を記念して、『第9』と『ミサ・ソレムニス』を演奏した。常任指揮者を辞任した後も、ナチスがオーストリアを併合する1939年まで、ワインガルトナーはこのオーケストラを指揮し続けた。特に、1933年から1937年までは毎年このオーケストラの指揮台に立つとともに、パドゥア(1934年)への演奏旅行やヨーロッパ・ツアー(1935年)にも同行している。彼の残した録音のうち、『ベートーベン交響曲全集』の何曲かはこの時期に録音されたものである。

16投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 11時39分43秒

ウィーン・フィルを離れてからの彼は、ロンドン、バーゼルなどを中心に活躍し、1942年、スイスのヴィンタートゥールで78歳の生涯を終えた。その晩年には、音楽学者、教育者としても多大な業績を残した。

 ワインガルトナーは、自分自身を指揮者である以上に作曲家であると考えていたようである。彼の作品には、8つの歌劇、7曲の交響曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、数多くの歌曲、室内楽曲などが残されている。しかし、マーラーがその死後も作曲家として重要な地位を獲得したのに対して、ワインガルトナーの作品は現代では忘れ去られてしまった。きわめて保守的とされるワインガルトナーの作品は、今後もおそらくは蘇演されるほどの価値を見出されることはないのではないかと思われる。

 ワインガルトナーは生涯に一度ではあるが日本へもやって来た。1937年、彼はNHK交響楽団の前身の新交響楽団を指揮したのである。世界的な音楽家の来日がきわめて異例のことだった当時の聴衆が、ワインガルトナーによって与えられたインパクトは、現代の我々の想像をはるかにしのぐものだったにちがいない。

 

 ワインガルトナーのレパートリーは、すべての分野に亘って網羅されたものではなかったといわれている。ウィーン・フィル文書保管所の委員、クレメンス・ヘルツベルク氏によれば、ワインガルトナーがウィーン・フィルを指揮したプログラムでは、ベートーベンとブラームスが圧倒的優位を占めており、その次に、リスト、ベルリオーズが続く。ハイドンは得意だったようだが、モーツァルトはあまり進んで取り上げようとしなかった。ワーグナーもそこそこ指揮したが、スメタナ、ドヴォルザーク、チャイコフスキーはワインガルトナー自身の作品以下の回数しか取り上げていないという(C・ヘルツベルク著、芹沢ユリア訳、『王たちの民主制 ウィーン・フィルハーモニー創立150年史』、文化書房博文社、1992年)。また、彼が、オペレッタやワルツ、ポルカなどの音楽をも得意としていたことが、ウィーン・フィルや、ウィーン国立歌劇場などの記録より明らかにされている。

17投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 11時41分17秒
3. 録音

 

 『第8番』、『第9番』といったウィーン・フィルとの録音では、随所に見られるウィーン・フィルの持ち味がすばらしい効果を発揮していることについては先の項で述べた。では、『ベートーベン交響曲全集』の中に含まれる、ほかのオーケストラとの録音は一体どんな演奏なのであろうか? すでに述べたとおり、ワインガルトナーの録音は演奏するオーケストラの如何に依存するところが大きい。例えば、1927年録音のロイヤル・フィルとの『田園』は、ウィーン・フィルとのあの豊かな音楽に比べると、もっと淡々とした色彩の欠けた演奏になっている。例えば、その第1楽章冒頭。通常の指揮者は、ぽつんと独り言のように呈示される第1主題とその後の各パートの動きを対比させるために、第4小節のフェルマータで充分間を取って、気分を切り替えて第5小節以降の部分に進むが、ワインガルトナーはそのフェルマータをほんの控え目に延ばすだけで、そのまま表情一つ変えずに先に突き進んで行ってしまう。これはもちろん、バッハのフェルマータが単なる息継ぎの記号だったために、フェルマータを伸ばさないで演奏するといった問題とは全く別の問題である。また、ワーグナーやビューロー、マーラーといった指揮者たちは、第1主題に比べ第2主題のテンポを遅く設定していたといわれているが、ワインガルトナーは第2主題に入っても速いテンポのままで乗り切ってしまっている。第2楽章の極端に速いテンポも、この演奏の淡泊な印象をより一層強調しているように思われる。第5楽章も、現代通常に行われている、なだらかなアーチを描くような洗練された演奏を聴き慣れた我々には、随分骨ばった大ざっぱな演奏のように思われる。このように書くと、このロイヤル・フィルとの『田園』は、現代人にとってこれといって聴き所のないつまらない演奏のように感じられるかもしれない。事実、この時代の指揮者やオーケストラに興味のない現代の一般的な聴衆には、この録音は何ら得るところのないつまらない演奏に過ぎないだろう。しかし、ワインガルトナーのさまざまな録音を聴いた後、再びこの録音について考えると、この録音の第5楽章などは、実はワインガルトナーの演奏様式を非常によく反映したものと考えられ、彼のスタイルを理解する上で重要な示唆を与えてくれる。その最も重要な要素は、アクセントである。ワインガルトナーのアクセントは現代の洗練された演奏体系からは想像もつかないものである。特に、この楽章最大のクライマックスとなる、ヴァイオリンのトレモロの上に、木管楽器と金管楽器が『神への感謝』の主題の音型を奏でる第133小節から第164小節にかけての部分では、金管楽器の強烈なアクセントに驚かされる。これは、アーノンクールのモーツァルトの録音などに見られる過激なアクセントにも匹敵するかもしれない。また、この楽章の最後の2つの和音も、強引なまでに強く鋭い。こうした強いアクセントは、ワインガルトナーのその他の録音でもしばしば目に付く。例えば、1938年、ロンドン・フィルとの録音のベートーベン『献堂式』序曲もそのひとつで、独特のアクセントと鋭いリズム、そして、巧妙な対位法の処理などによって、どちらかといえば親しみの薄いこの曲を圧倒的に見事な音楽にまで仕上げている。また、同じ年に録音されたロンドン交響楽団との『第2番』の冒頭、序奏部や、1933年録音のロンドン・フィルとの『第4番』の終楽章などにも同様の傾向が顕れている。前述のウィーン・フィルとの録音ではこうしたアクセントはウィーン・フィルの個性に隠されて表面化していないが、上記のような録音によってワインガルトナーの指揮の傾向を把握した上で、再びウィーン・フィルとの録音を聴き直すと、『第9番』の第2楽章・スケルツォなどにもたしかに同様のアクセントが認められるのがわかる。
18投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 11時42分41秒


 こうした現代人には意味不明のアクセントや奏法は、シャルク、ニキシュなどの録音にも認められる。私は、演奏の歴史について、こうした演奏法の点から言えば、ワーグナー以前とワーグナー以後、さらに、第二次世界大戦以降から現代の3つの大きな流れがあると考えている。例えば、現代のオーケストラの演奏は、ニュース原稿を読むアナウンサーのようなもので、標準的ではあるが、非常に特徴に乏しいものである。この他、今世紀前半の録音には、十九世紀後半以降に出現した、「ロマンティックなスタイル」を聴くことができる。アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の指揮者であったヴィレム・メンゲルベルクや、マーラーの作品を数多く指揮したオスカー・フリートなどはその典型的な例といえるだろう。ここでいう「ロマンティック」は、後期ロマン派の音楽家たちが好んで用いたという意味で、現代の通常の意味とはニュアンスが違うのでご注意いただきたい。フレーズに応じたテンポの変化や強弱記号の強調、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラートなどがその代表的な特徴である。また、ベートーベンなどの音楽に文学的な解釈をあてはめて、表現を加えていくという手法が好んで用いられたのもこうしたロマンティック・スタイルとの関連性が高い。これらの表現法の確立は、ワーグナーの存在なしでは考えられなかっただろう。ワーグナーは、その作品で文学と音楽の融合を試みたのみならず、指揮者としても、ベートーベン解釈などにおいて当時の音楽界に大きな影響を及ぼした。したがって私はワーグナーを近代演奏史の大きな分岐点と考えるのである。第3のスタイルは、ワーグナー出現以前のスタイルで、最近のオリジナル楽器オーケストラやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などに代表されるような古いスタイルである。ノン・ヴィヴラート奏法、音符の音価の強調、すなわち、長い音符は本来よりわずかに長く、短い音符は本来よりやや短く演奏する処理や、長い音符の後ろの方で音量が強くなる後置型アクセントなどはその代表的な特徴である。おそらく十九世紀中頃までは、世界中のすべての指揮者とオーケストラが多かれ少なかれこのスタイルに従っていたのではないかと思われる。シャルク、ワインガルトナーに認められる意味不明なアクセントなどは、その名残りではないかと考えられるが、現代の我々が聴くと、音楽の文脈とまったく関係のない、形式的で余計な表現として受け止められるのだ。本来、こうした古い演奏体系には、音楽の構造と結びついた明確な規則があった。しかし、ロマンティック・スタイルの出現、その反動のノイエ・ザッハリヒカイト、さらに、現代のより洗練された演奏スタイルが普及していく過程で、古い演奏スタイルの必然性は失われ、現代の我々にはまったく理解不可能な単に形式的なものへと変化していったのではないかと思われる。つまり、ブラームスやブルックナーが初演された状況などにおける古い演奏体系と現代の演奏体系の間には、missing link(失われた関連性)があり、シャルクやワインガルトナーの録音は、途切れてしまった鎖をつなぎあわせる重要な手がかりといえるのではないだろうか? 今世紀前半の指揮者たちの演奏を聴くためには、この3つのスタイルをきちんと聴き分ける知識と能力が必要とされるのではないだろうか。ときには、3つのスタイルが同一の演奏の中に複合して表現されていることも多い。フェリックス・ワインガルトナーやアルトゥール・ニキシュのように、曲に応じてそれぞれのスタイルを使い分けている場合もある。そして、どの曲にどのスタイルを当てはめたかということは、その指揮者の個性や芸術性を反映する非常によい判断材料ともなり得るのである。

19投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 15時43分44秒

話題を元に戻して、ワインガルトナーの残した録音の中で、先ほどのベートーベンの『第8番』、『第9番』と同じくらい重要と思われるものが、ワルツ・ポルカなどのヴィーナー・ムジーク Wiener Musik である。これらは残念ながらウィーンでの録音ではなく、ロンドンやバーゼルでの録音で、ワルツなどウィーン・フィルがやるような純正のウィーン・スタイル(註:3拍子の1拍目を短く、2拍目を長くするリズム設定。2拍目を長くするのは、その間に女性がターンをするためといわれている。通常の均等な3拍子では、余程テンポを遅くしないと女性がターンできなくなってしまうそうだ。日本語の『円舞曲』の名は、女性がクルクルとドレスをひるがせながらターンするところから生まれた。)ではない。また、ワインガルトナーのワルツがすべてよい演奏とは決していえない。しかし、中にはいくつか、独特の味わいを持ったとてもいい演奏があるのである。まず、彼の演奏で代表的なものといえば、『春の声』ではないだろうか? 軽くて明確なリズム、明るい色彩の音づくりなどが、彼の天性のワルツへの適性を物語っている。ワインガルトナーの場合、クレメンス・クラウスのように、優雅なリズムに身を任せ、切なく、狂おしくうたいあげるウィンナ・ワルツとはやや趣が違う。規則的な3拍子、ノン・ビブラートで、一見淡白なようだが、健康的で、いきいきとした表情を湛えた、彼ならではの味わいのあるワルツである。『美しき青きドナウ』も同様にとてもいい演奏である。気取りのない自然体であるのに、どことなくノーブルであるこれらの演奏はさすがと思わせる。さらに、『千一夜物語』が絶品だ。このワルツは、上記の2つのワルツほどの知名度はないが、序奏に美しい弦のソロが活躍するなかなかいい曲である。このソロをはじめ、主部に入ってからも、ワインガルトナーは実にデリケートな名演を聴かせているのである。ワインガルトナーは、いくつかのポルカと『常動曲』も録音している。こちらの方は、テンポがおそく、音楽が生命力を失っており、あまりいいものはない。また、『ピツィカート・ポルカ』で、木管楽器のみならず、金管楽器までが加わっているのは、録音のために、弦のピツィカートだけでは音量が足らないという配慮だったのであろうか? 現代の我々にとっては、度肝を抜かれるような演奏である。後で紹介する『ハンマー・クラヴィーア』と並んで、これも甚だ悪趣味だと言わねばなるまい。

 

 これらの録音の他、ワインガルトナーには、フランスの名オーケストラ、パリ音楽院管弦楽団との一連の録音が残されている。これらの録音は、ワインガルトナーの演奏における今まで述べた特徴とはまったく異なる側面を伺わせている点で特筆すべきと思われる。パリ音楽院管弦楽団は現在のパリ管弦楽団の前身となるオーケストラで、1828年以来の長い歴史を持っていた。1967年に解散し、パリ管弦楽団として再編成されるまで、フランス風の色彩の強いオーケストラとして独自の地位を獲得していたといわれている。ワインガルトナーはこのオーケストラを指揮して、ベートーベンの『ピアノ協奏曲第3番』(独奏はマルグリット・ロン)、リストの『ピアノ協奏曲全曲』(独奏はエミール・フォン・ザウアー)、ワーグナーの管弦楽曲数曲、ヘンデルの歌劇『アルチーナ』より抜粋、バッハの『管弦楽組曲第3番』、ボッケリーニの『メヌエット』などを録音している。まず、ヘンデルの『アルチーナ』が非常に印象的な演奏である。この録音の冒頭における弦楽器のフレーズは完全にオスカー・フリート(1871-1941)やメンゲルベルクなどと共通するロマンティックなものである。メロディーを奏するヴァイオリンなどはまるでオンドノ・マルトノ(註:オリヴィエ・メシアンなどの作曲家が好んで用いた電子楽器で、柔らかい音色を持ち、音の高さを連続的に変化させることができる。)のような音だ。ボッケリーニの場合も、ヘンデルほどではないにせよ、どちらかといえば甘美な表現が基本となっている。ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』第三幕への前奏曲も、ワインガルトナーとしてはかなり濃厚なロマンティッシズムを湛えた演奏である。これらの録音に接するとき、ベートーベンの交響曲などを通じて感じ取ることができたワインガルトナーのイメージは崩壊の瀬戸際まで追い詰められることになる。これが先に触れた演奏スタイルの揺らぎであり、ワインガルトナーの評価の一筋縄では行かない部分である。こうした演奏を行うときのワインガルトナーは、オーケストラに対して、あるいは、作品に対してどのようなスタンスを持っていたのだろうか? ワーグナーの場合はさておき、ヘンデルやボッケリーニ場合、その演奏、あるいは、作品に娯楽性のようなものを見出し、自分本来のスタイルではない、色彩的でロマンティックなスタイルを楽しんでいたのではないか、と私は考える。ワインガルトナーの思想の中では、ロマンティックなスタイルがより強い表現手段なのではなく、装飾的、あるいは、娯楽的なものだとする考え方が潜在しており、ヘンデルやボッケリーニの作品のシンプルで通俗的なイメージと重なるところがあったのではないだろうか? マーラーやニキシュであれば、はたしてこれらの作品にロマンティックな表情を与えたであろうか? この録音はそうした指揮者たちのスタンスを考える上で、大きなきっかけを与えてくれるのである。
20投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 15時46分33秒

ワインガルトナーは最も早くブラームスの交響曲全曲を録音した指揮者でもある。彼はブラームスの生前より彼の交響曲を積極的に演奏していた。1896年、ベルリン・フィルを率いてウィーンで初めての演奏会を行ったワインガルトナーは、ブラームスの『交響曲第2番』をプログラムに取り上げた。この演奏会には最晩年に差し掛かっていたブラームスも出席していたという。ワインガルトナーの演奏をブラームスは大変に気に入り、言葉の限り絶賛したという。彼はこの『第2番』を大変得意にしていたらしく、ウィーン・フィルを離れる最後の演奏会においてもこの曲を指揮している。

 ワインガルトナーは、1938年から1940年にかけてロンドンでブラームスの交響曲全4曲を録音した。また、『第1番』については、1928年にもロイヤル・フィルとの録音がある。これらの録音は、アンサンブルが不充分であったりして、聴きづらい場面も少なくないが、ブラームスに関する現代人の先入感を払いのける興味深い演奏である。全体に速めのテンポが設定されており、音色も明るく、テクスチャーが明瞭で、いわゆる『ドイツ的な重厚さ』はまったく感じられない。ベートーベンのところで述べたワインガルトナー流のアクセントはここでも明確に聴くことができ、ハンス・リヒター(1843-1916)など、やはり古いスタイルを持った指揮者たちによって演奏されていたブラームス作品を彷彿とさせているように思われる。やがて、ブラームスの交響曲も頻繁にオリジナル楽器オーケストラで演奏されるようになることはほぼ間違いないが、ワインガルトナーのブラームスは、そうしたトライアルを検討する上でも充分に参考とされうる録音ではないかと思われる。

 

 

 ワインガルトナーの場合、幸いなことに、彼が実際にオーケストラを指揮している映像が残されており、現在では、LDでも見ることができる(The Art of Conducting ; Great Conductors of the Past、IMG/Teldec WPLS-4009、1994)。このLDによせて、宇野功芳氏は、「ベートーベンの交響曲における楽器改訂の本を書いた彼は神様に近い存在なのだが、その神様が棒立ちで、いかにも覇気のない指揮姿を披露されては困る。コーダの入りなど、のんびりとした顔で格好をつけるのでずっこけてしまう。」というコメントを付しているが、彼の論文などから受ける印象と彼の実際の指揮の印象が異なっているのは確かだ。ワインガルトナーの指揮には、どことなく不器用な感じが付きまとう。

21投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 15時48分43秒

ワインガルトナーはパリ交響楽団を指揮して、ウェーバーの『魔弾の射手』序曲を演奏しているが、ワインガルトナーの指揮は、導入部、提示部あたりでは、不器用にごそごそ動いている程度で、これといっておもしろみがない。この部分では、これといった演技もない。しかし、展開部に突入すると、ドビュッシーが「ぽきぽきしている」と表現した彼独特の指揮ぶりを見ることができる。ワインガルトナーはほとんど直立を保ち、その両手の動きは直線的で、最上段から膝上の高さまでほとんど垂直に振り下ろされる。来日したイーゴリ・マルケヴィチなども、まるでロボットのように直線的な動きで指揮をしたが、ワインガルトナーも限りなくそれに近い。ワインガルトナーの指揮棒は拍打の瞬間だけものすごい速さで動き、拍打と拍打の間のほとんどの時間は空中で静止している。したがって、彼の指揮は、まるでコマ送りを見ているようでもある。コーダの直前、弦の上昇する音型を挟んで二つの長い和音が奏でられる部分は、ワインガルトナーが両腕をまっすぐに伸ばし、まるでナチスの敬礼のような格好で和音を止め、あるいは、薪を割るような勢いで弦に開始を告げる『見せ場』であるが、現代の我々から見るとやや滑稽でもある。ワインガルトナーは、最後の最後(この曲の最後の和音の止め)でも、いきなりのオーバーアクションでちょっとした『見せ場』を演じている。

 ドビュッシーの「ぽきぽきしている」という批評との整合性から考えて、以上のようなワインガルトナーの映像は、通常の演奏会における彼の指揮ぶりと大きな相違点はないと思われる。このワインガルトナーの指揮を、ニキシュの映像や、指揮をするマーラーのカリカチュアなどと比較すると、この3人の指揮者が三人三様個性的な指揮をしていたことが明らかになり、非常に興味深い。ワインガルトナーの軍隊の指揮官のような指揮に比べると、ニキシュはまるで女性をエスコートするような感じの指揮ぶり、マーラーはまるで『春の祭典』を踊るダンサーのようである。現代においては、指揮の動作自体についてもかなりの方法論が確立され、このような多彩な指揮を見る機会は少なくなった。しかし、方法論がしっかりしてきた反面、制約がより大きくなったことも事実であろう。そうした点においても、これらの指揮者の指揮姿は、現代の我々に興味深い示唆を与えてくれると思われる。

22投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 15時50分43秒

4. ドビュッシーの聴いたワインガルトナー

 

 ワインガルトナーの指揮が学問的で、明晰かつ簡潔なものであったことはすでに述べたが、その一方で、ときには、彼の音楽は冷たく、白け気味であることもあったらしい。ドビュッシーは、ワインガルトナーの指揮するベートーベンの『田園』を聴いて、「細かいことに気のつく庭園師のような指揮ぶりだった。毛虫は見事に駆除されているので、ニスの上塗りをほどこした、つやつやした風景画でも見ているような錯覚をおぼえるほどだった。その風景画には、つらなる丘のなだらかな起伏が、1メートル10フランの安物のビロードで出来たように描かれていて、樹木は髪鏝ごてで縮らせたような格好をしている。(『ジル・ブラス』1903年2月16日)」と書いている(『音楽のために ドビュッシー評論集』、杉本秀太郎訳、白水社、1993年)。ドビュッシーの文章自体は、そのまま読んだのでは一体何のことかさっぱりわからない三流の表現であるが、そこから想像する限り、ワインガルトナーの指揮した『田園』が、整然とした手際のいいものではあったが、あまりに角の取れすぎた、感情的な高まりの感じられないものであったために、ドビュッシーの好みには合わなかったということなのだろう。しかし、この日の最後の曲目、リストの交響詩『マゼッパ』を聴き、ドビュッシーは同じ文章で、「リストの『マゼッパ』を指揮したとき、ワインガルトナー氏は本来の面目を取り戻した。(中略)ワインガルトナー氏は、一見したとき、研ぎたてのナイフのような体型をしている。指揮の身振りはぽきぽきしているが、一種優雅なところをもっている。ところが、不意に彼の両腕が振り上げられ、トロンボーンが吼え立て、シンバルが狂乱する。はなはだ印象的である。闘牛を見ているようである。聴衆はもはや熱狂をどう表していいかわからなくなる。」とも記している。また、当日演奏されたワインガルトナー作曲の歌曲については、「ワインガルトナー氏の作曲になる3つの歌曲が、ローネー夫人によって歌われたが、かなり美しい展開をそなえているのは第3曲だけといえそうだ。オーケストラの額ぶちが立派なものだから、あきれるほど発明力の乏しいワインガルトナー氏の欠点が目立って、歌を台なしにしている。実にだらだらと長い曲だ。雨降りみたいな音の雰囲気のなかで、未練げにうろついている曲だ。」と批評している。その約1カ月後、ドビュッシーはジークフリート・ワーグナーの指揮する演奏会を聴いているが、そのときのコメントの中では、「(ジークフリート・ワーグナーは、)オーケストラの指揮者としては、ドイツが従来輸出しているものよりも品質は劣っている、と私には思われた。たとえば、ワインガルトナー氏は彼よりも理解力があるし、ニキシュ氏は装飾性においてまさっている。(『ジル・ブラス』1903年3月2日)」とも述べている。(前掲書)

23投稿者:777  投稿日:2010年10月02日(土) 15時52分22秒
5. 『ハンマー・クラヴィーア・ソナタ』

 

 以上、SPなどに残された録音からワインガルトナーの演奏について検討してきたが、そうした点とはまったく違う意味で、ワインガルトナーを語る上でもう一つ忘れてはならないおもしろい録音がある。彼がオーケストラ用に編曲をした『ハンマー・クラヴィーア・ソナタ』(ピアノソナタ第29番)の録音である。ロイヤル・フィルとのこの録音は、現在はイギリスのPearlというレーベルなどからCDに復刻されている。演奏自体や編曲の技術には、残念ながらそれほど魅力はないが、興味深いのは、巨大なフーガを持つベートーベン最大のピアノソナタを、オーケストラ用に編曲することを思いつき、それを実行し、さらに、演奏、録音までしたという事実である。ベートーベンのピアノソナタの中には幾分ピアノ離れしたふんいきのものがあり、ピアノでは表現しきれない部分をオーケストラで表現してみたらどうだろうなどということは、ちょっと楽譜を書いたことがある人なら誰でも考えることだ。そういう私ですら、10代前半の頃、第22番のソナタをオーケストラで演奏したらなどと考え、あれこれと試してみたことがあるくらいだ。現代の、しかも、専門的な教育のない私ですらこうなのだから、まして、ベートーベンがまだ神様だった時代、似たようなことを考えた専門家たちもいただろう。しかし、よりによって『ハンマー・クラヴィーア・ソナタ』というのが驚きなのだ。このソナタはあまりにも複雑で、対位法的で、その響きもむしろピアノないしはそれに類する鍵盤楽器で演奏するのに向いている。オーケストラにあのテクスチャーをそのまま移植しようとすると、細かい音符の動きはのっぺりとぼやけてしまって、余計わかりにくくなる。現に、録音で聴くこのアレンジも、いかにもなまぬるい音楽になってしまっている。粒だったピアノの響きの方がずっと多くのものを伝えられるのである。これは、録音条件の悪さによるものでないことは一聴して明らかである。現代の我々からすれば、悪趣味以外の何ものでもない。(余談だが、グラズノフらの管弦楽編曲によるシューマンの『謝肉祭』の録音が、アンセルメ指揮の演奏で残されている。これなどを聴くと、ワインガルトナーの場合にきわめて類似した悪趣味をステレオのより鮮明な録音で体験することができる。) したがって、この曲をオーケストラで演奏する必然性はほとんどない。それなのに、なぜワインガルトナーはこんな労多くして実りの少ない作業に取り組んだのか? そこに、ワインガルトナーの夢と野望、もしくは、『教祖ベートーベン』に対する信仰告白のような心理があったとするのは、私の深読みのし過ぎであろうか? 彼の少し前、マーラーがベートーベンの楽譜にほんのちょっと手を加えただけで、ヒステリックな反撃に見舞われ、結局ウィーン・フィルの指揮者を辞任せざるをえなかったというエピソードをおそらくワインガルトナーも充分知っていただろう。むしろ、ワインガルトナーはマーラーを攻撃する勢力に積極的に協力していた可能性すらある。そのワインガルトナーが結局このような録音を残してしまったことは、音楽的にはまったく理解できないのである。権威とは恐ろしいものである。

 

 

 以上、録音、映像、当時の記録などからワインガルトナーの指揮者としての特性について考察した。パリ音楽院管弦楽団との録音に見られるように、彼のスタイルには時折揺らぎがあって、単純に評価することは難しいが、そのほとんどの資料は、彼が後期ロマン派以前の古いスタイルを基本としていた指揮者であったことを示している。特に、そのアクセントやリズムの処理には、現代の演奏家が完全に失ってしまった、ワーグナーの出現以前にも遡る古いスタイルが息づいている。ワインガルトナーが単なる往年の巨匠としてではなく、そうしたスタイルの継承者として再評価されることが今後強く望まれるのではないだろうか?

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/weingartner.html
24投稿者:777  投稿日:2010年10月03日(日) 13時08分54秒

カラヤンやバーンスタイン、ショルティ、クライバーの時代はムード音楽の全盛期だったから、彼らもその真似をしたのさ:


その場に快適な雰囲気をかもし出してくれる音楽、あるいは快適な雰囲気そのもののような音楽を、かつてムード音楽と呼んでいた。
太平洋戦争がおこなわれていた時代からアメリカで開発され、
戦後の40年代後半から50年代なかばにかけて、完成の頂点を迎えた、おそらくもっとも贅沢な音楽が、ムード音楽だった。
日本では軽く扱われたが、もっとも豊かでしかも若かった時代のアメリカで、
多くの天才的な才能と経費そして時間を惜しみなく注ぎ込んで、ムード音楽のLPが大量に作り出された。


1965年ごろから“ムード音楽”という言葉がもてはやされ、色々なオーケストラが出てきた。
マント・ヴァーニ、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、
パーシ・フェイス、ボストン・ポップス、アンドレ・プレヴィン、
カーメン・キャバレロ、カラベリ、ニニ・ロッソ、サム・テーラー、シル・オースティン等など。
http://kouji-trumpet.hp.infoseek.co.jp/moodmusic.htm

上にベルリンフィルやNYフィルも加えて欲しかった。
25投稿者:777  投稿日:2010年12月26日(日) 23時34分23秒

未聴CDを聴く5 レナーSQのラズモフスキー

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◎ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」
               第8番「ラズモフスキー第2番」
               第9番「ラズモフスキー第3番」
               第11番「セリオーソ」

  レナー弦楽四重奏団

  伊STRADIVARIUS STR 78002


 ワゴンセールで入手したまま未聴だったもの。2枚組480円でした。

 レナーのベートーヴェンというと,戦前はカペーやブッシュと比べて
格落ちするように思われていたのか,全集録音しているのに,CD復刻
もなかなか行われず,STRAVDIVARIUSの他に新星堂が全集復刻している
程度でしょうか。恥ずかしながら,レナーのベートーヴェンは今回初め
て聴きました。

 演奏は非常にスムーズで,響きもなかなかきれいだと思います。確か
にカペーのストイックさや,ブッシュの強い意志のような面は希薄で,
作品そのもの,演奏自体を楽しんでいるかのような演奏です。

 録音当時の評価はともかく,今聴くと古くさい感じもしないし,押し
つけがましさがなくて,素直に楽しめる演奏なのではないかという気が
します。

 今回聴いた作品中ではラズモフスキーの方は陽性のこだわりのない演
奏でこれはこれでいい演奏だな,とくに緩徐楽章は気持ちよく聴けるな。
と思った反面,セリオーソはさすがにもう少し芯がほしい気がしたのも
事実です。

 これらの演奏の特徴を一言で言うと「聴き手の感情に負担のかからな
い演奏」というところでしょうか。というわけで,私はとても好印象を
持ちました。
1999.7.18
http://homepage1.nifty.com/classicalcd/cdreviews/1999-3/1999071801.htm
26投稿者:777  投稿日:2010年12月26日(日) 23時40分17秒

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131



カペー弦楽四重奏団 Capet String Quartet <rec. 1928> オーパス蔵

1st 7'26'' 2nd 3'15 3rd 0'51'' 4th 12'22'' 5th 5'43'' 6th 1'50'' 7th 5'46''
 
 室内楽愛好家には神品のごとき扱いである。以前はセットもので発売されていたため、入手しづらかったが、SP復刻で素晴らしいCDを発売しているオーパス蔵が一枚もので復刻してくれた。膨大な針音の中から、妙なる楽音が聴こえてくる。楽聖晩年の融通無碍の境地。カペーらの演奏は、ルバートやポルタメントによって甘美さを追求したもの。それでいて演奏スタイルは結晶化しているため、むしろ他団体よりも速い。神品とはこういうものを指すのだろう。これならマルセル・プルーストが惚れるわけだ。プルーストは『失われた時を求めて』の作者である。彼は自分の部屋にカペー四重奏団を呼んで演奏させていたというからうらやましい。一楽章からして空気に溶けていくような、まるで楽器の音じゃないような、不思議な音。彼岸からおずおずと響いてくる懐かしい子守唄のようだ。それでいて胸が締め付けられる。二楽章も飄々としており、リズム感より、融通無碍の境地。四楽章はひたすら甘美な夢を見させてくれる。五楽章になると、豪快にチェロが活躍し、厳しいリズムを踏むが、それでも独特の甘美さは消えない。それでいてバリリQのようにべたっとしない甘美さ。漂う感じなのだ。六楽章はとびっきり甘く、切ない。その情緒は史上最高だろう。フィナーレはアッチェレランドが次々にかかるが、オーパス蔵の復刻では、シンフォニックに聴こえ、その疾走感がまたやるせない気持ちにさせる。録音が古いのだけが心残りだ。

27投稿者:777  投稿日:2010年12月26日(日) 23時41分05秒

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131


レナー弦楽四重奏団 Lener String Quartet <rec. 1932> Shinseido

1st 6'31'' 2nd 3'15'' 3rd 0'42'' 4th 13'10'' 5th 5'59'' 6th 1'38'' 7th 6'41''

 レナー弦楽四重奏団のベートーヴェンについてまとまった演奏評を見たことがない。『クラシック名盤大全』の中で、幸松肇氏は次のように書く。「第2次大戦以前にベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を録音した団体は、このハンガリーのレナーSQしか存在しない。リーダーのイエネー・レナーは、ヨアヒムの高弟フバイからドイツ流のベートーヴェン奏法を身に付け(中略)、優美にして流麗なボウイングの美しさで人気を博していたが、この全集を耳にして頂ければ、知性と感性のバランスが整った品格の高さにも魅力があったことがお分かり頂けよう。初期では爽やかなアンサンブルが、中期では小気味良い推進力が、後期では調和のとれた構築美が神々しい輝きを放っている。」録音状態は曲によって盛大なパチパチノイズが激しいが、年代を考えれば驚異的に良く、この14番も音質が良好である。演奏はカペーのいくぶん流線型の融通無碍とは異なり、がっちりとした造形と懐かしいポルタメントで彩った旋律の妙なる歌わせ方から成り立つ。一楽章も幽玄よりは、現実的な響かせ方であり、二楽章もゆったりとしたテンポで歌う。三楽章の激情も抑制され、長大な緩徐楽章は淡々と奏しつつ、中間ではぐっとテンポを落として夢見るような内省的音楽を聴かせてくれる。頑固な見得の切り方も出てくる。五楽章もアンサンブルがしっかりとしており、六楽章も心のこもったハーモニーが素晴らしい。フィナーレはブダペストQのような情緒や伸びやかさを大切にした表現で、ギャロップ風のこの楽章の激情をいたずらに爆発させることなく、調和を図っている。これに比べるとカペーQの幽玄は素晴らしいがアンサンブルは雑。レナーSQには幽玄さはないが、アンサンブルの確かさと甘美な奏し方が融合した独特の魅力がある。これは名演奏である。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/kitakenworld/14.html


28投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
29投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
30投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
31投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
32投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
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34投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
35投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
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37投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
38投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
39投稿者:4  投稿日:2013年05月05日(日) 10時50分37秒

演奏で一番大事なのは音色

モーツアルトにはこれがモーツアルトの音色
ベートーヴェンにはこれがベートーヴェンの音色

というのがあって、カラヤンがモーツアルトやベートーヴェンをいくら完璧に音化しても
モーツアルトやベートーヴェンには聞こえないんだ。

オーディオも同じ

QUAD ESL や goodmans axiom80 をPX25 や PX4 で鳴らさないとクラシックの音色にはならない

JBL や アルテックでないとジャズの音にならない。


>部品じゃない。

同じウェスタンエレクトリックが作ったWE300B でも1940,1950年代に作ったのが断然良くて
1980年代の復刻は全然ダメなんですね。 同じ図面・機械で作ってもそれだけ違うのですから
やはり部品の出来で音質が決まるという事ですね。


>マランツ級の技術者がいまだ出ないため今の部品を使いこなせてないだけ。
>録音の世界でマランツのころと今で今のほうが悪いという人はいないでしょう。

基本的なところで誤解がありますね。

現在は原音再生がオーディオ技術者の目標、昔は原音よりいい音を出すというのが目標

音色というのは倍音成分できまるので、原音再生ではフツーの音色しか出せないんですね。

昔のオーディオの音色は高調波歪みや部品の共振を利用して意図的に作ったものなので、
現代のオーディオでは絶対に出せないんですね。

従って、音色に関しては今のオーディオよりSP時代の方が遥かに上

ブラック・ビューティやバンプルビーのコンデンサをつかったマランツ#7よりいい音のプリは未来永劫作れない
40投稿者:6  投稿日:2013年05月05日(日) 10時51分36秒
397 :名無しの笛の踊り:2013/05/05(日) 00:27:27.40 ID:EzveuYVV
ベートーヴェンの音とかモーツアルトの音とか無い。
スタカートとかアクセントの使い方、テヌートの使用の可否、
弓の位置、あげ弓下げ弓、指弓の使い方によって音色に差が出る。
それは作曲史的に正しいと代々判断されて演奏の歴史となりいわゆるクラッシックとなる。
演奏史を無視すれば簡単にベーT-ヴェンやモーツアルトではなくなるだろう。
音色の差はそうやって出されている。

私はダイヤトーンだろうがナショナルだろうがある程度の忠実度があれば
きちんとそれをドイツ音楽として聴くことができる。

抵抗でドイツの音とか、クラングフィルム(トーキーのこと)が
響きがいいなんてほとんど霊感商法の被害者としか思えん。

初期盤でちゃんとしたオーディオというが
初期盤で最新オーディオだとマッチすることは無いだろう。
なぜなら当時の特性に限界がある装置の補完としての録音機や再生機の
各レーベル、メーカー技術者の秘術を尽くしたフィクションだからだ。
フィクションの必要性が少なくなってきた現代の装置では
上手く鳴らないと思うよ。

それはある意味オルゴールと同じということだ。


401 :名無しの笛の踊り:2013/05/05(日) 09:49:45.70 ID:EzveuYVV
マランツのビンテージがいいのはマランツが音楽をよく知ってる
回路技術者だったから当時の入手できる部品でベストの組み合わせを
考えたからでしょう。組み合わせと根拠となる理論もあった。
現代の部品は性能が上がってるから発振だってするでしょう。
なぜならマランツ7やクワド22はポジティブ帰還を使ってるから。
今の部品が音が悪いのではない
マランツ級の技術者がいまだ出ないため今の部品を使いこなせてないだけ。
マニアには理屈がわからないから同じ部品を使うしかない。
整流にしてもマランツは採用していないが真空管では
傍熱管は音抜けや静澄さでは直熱管にとうてい及ばない。
それをセレンで半波整流ここに技術がある。部品じゃない。
でもだからクラッシクが聴けないというのはおかしい。
録音の世界でマランツのころと今で今のほうが悪いという人はいないでしょう。
アナログ末期には今のよりいいのがあったりしますが。
41投稿者:4  投稿日:2013年05月05日(日) 11時04分19秒
それから真空管アンプの音色というのは出力トランスのを通すことで生じる歪みで作られた音ですね。
従って、トランジスタアンプでいくら頑張ってもあの音色は出せないんですね。
トランス自体もウェスタンのに匹敵するものはもう作れないので、WE91BとWE86Bに匹敵するアンプも未来永劫作れない:

北九州市の菅野製作所(株)の会長で居られた故菅野省三氏が、自分の音楽の趣味のため資材、私財を投入し、
昭和30年台に、当時としては珍しい電子顕微鏡!!までをを購入し、
米国WE ウエスタンエレクトリック(株) の真空管アンプ類を分解し、
音の秘密がコア材のパーマロイにあることを発見されます。
石にも目があるように、金属にも目があります。金属結晶の分子列配合です。
石の目にそって鏨(タガネ)を入れると、僅かな力で石は目に沿って割れます。
TVなどでも石切場で見られたことと思います。昔の方はどのようにして金属の目を見つけるのか?

それは光線の縞に答えがあります。同じパーマロイ厚板から切断しても、組み方が違えば同じ音にはなりません。
そんなことはない!!と言われる方も多いですが、事実、組み手が変われば音は変わります。
それは長い熟練と経験と音楽に対する造指の上に完成します。
http://www.auduo-1.com/casa_007.html
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